太田述正コラム#8893(2017.2.3)
<米帝国主義の生誕(続)(その3)>(2017.5.20公開)

 (2)二つの陣営

 「米西戦争、及び、米国の地域的、全球的大国への転換(conversion)についての議論において、反帝国主義陣営は、米国の指導的著述家達と改革者達の大部分を惹き付けた。 ミズーリ州選出の上院議員のカール・シュルツ(Carl Schurz)<(注1)>のような若干名は、奴隷制に反対する運動(campaign)の帰還兵だった。

 (注1)1829〜1906年。「<米>国の政治家、改革者および南北戦争時の<米>陸軍将軍。<ヘイズ大統領の時の内務長官。そして、>著作家、新聞の編集者およびジャーナリストでもあり、1869年に・・・ドイツ生まれの<米国>人としては初めて<米>上院議員に選ばれ<ている>。<彼は、ボン大学に入学後、>1848年革命に失敗して<米>国に移住したドイツ人移民、いわゆるフォーティエイターズの中でも最も良く知られた人物のひとりである。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%AB%E3%83%84
 彼は、1848年、革命軍に参加してプロイセン軍と戦っているし、米南北戦争の時は、准将、少将として南軍と戦っている。
 南部再建時代には、欧州人の優位性意識と黒人との混血防止目的から、黒人の市民権の連邦政府による軍事的付与と保護に反対している。
 また、内務長官時代を含め、インディアン達を、その経済的文化的発展が不可能な保護区に押し込める政策を推進するとともに、インディアン達との約束をしばしば破った。
https://en.wikipedia.org/wiki/Carl_Schurz

 他の若干名は、ジェーン・アダムズ(Jane Addams)<(注2)>のような、女性参政権運動(movement)や他の当時の進歩主義的改革諸大義の指導者達だった。

 (注2)1860〜1935年。「<米>の社会事業家・平和運動家・女性運動家であり、ソーシャルワークの先駆者である。1931年のノーベル平和賞を受賞した。・・・<米>ロックフォード大学<卒後、>・・・<疾病のために>フィラデルフィアの女子医科大学での勉学を中断した。・・・<やがて、英国滞在中の知見を踏まえ、米>国でセツルメント<を展開した。>」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%80%E3%83%A0%E3%82%BA
 平和主義者としての活動は、下掲に詳しい。
 なお、彼女は不妊の体であったが、同性愛者で、売春は全て誘拐によると主張し反対し、また、禁酒法にも賛成した。
https://en.wikipedia.org/wiki/Jane_Addams

 多くの南部人達は、米国がキューバとフィリピンをコントロールすることにも、非白人の住民達に諸権利を供与することが、米国における白人至上主義を掘り崩すのではないかという恐れから反対した。
 また、反帝国主義者達には、サミュエル・ゴンパース(Samuel Gompers)<(注3)(コラム#486、3668)>のような労働指導者達もまた含まれていた。

 (注3)1850〜1924年。「<米>国の労働運動指導者。・・・1850年、ロンドン・・・でユダヤ人家庭に生まれた。1863年に<米国>へ渡り、家業である葉巻業に従事した。1870年代より葉巻工組合の指導者となり、1886年の<米>労働総同盟(AFL)結成に尽力した。同年、AFLの初代会長に就任し、亡くなるまでその地位にあった。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%9F%E3%83%A5%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%B4%E3%83%B3%E3%83%91%E3%83%BC%E3%82%BA
 彼とAFLは1882年の支那人移民排斥法を強く支持し、その後の移民規制諸法の推進母体となった。
 また、第一次世界大戦への米国の戦争努力も強く支持した。
https://en.wikipedia.org/wiki/Samuel_Gompers

 彼は、フィリピンからの移民達が米国人の諸賃金に及ぼす<悪>影響を心配していた。
 「仮にこれらの新しい諸島が我々のものになれば、…その時点で我々自身の国の一部になっているわけだから、支那人達や諸々の半野蛮人種の諸群れ<の到来>に抗する、洪水防止諸門を閉じることを、果たして望み得るだろうか」、と。・・・」(B)

⇒ここまでに登場した3人の反帝国主義識者達は、いずれ劣らぬ、人種主義的ないしリベラルキリスト教的なひどい偏見の持ち主揃いであり、反吐が出そうになります。
 況や、帝国主義識者達においてをや。
 で、先回りして申し上げれば、かかる反帝国主義陣営が、ある意味、論争に勝利を収めることとなり、米国は、北米大陸外では、(私が、これまで何度も指摘してきたところの、)非領域的な帝国主義という、帝国主義の米国特有の形態をとって、世界覇権国へと成り上がって行くわけです。(太田)

 「<表舞台での対峙は以下の通り。>
 マッキンレー、ハースト、ロッジ、そして、<セオドア・>ローズベルトは帝国を推進し、ホア(Hoar)、カーネギー(Carnegie)、ブライアン(Bryan)、そして<マーク・>トウェイン(Twain)は海外諸領域の併合/征服に反対した。」(C)

 「著者は、<ローズベルトとトウェインは>二人とも愛国者達、思想家達、にして、多くの場合、自己利益追求者(self-promoter)達であったと描く。
 但し、ローズベルトは植民地主義を「キリスト教的慈善」と見たのに対し、トウェインは、キリスト教を、「流麗な血まみれの礼服を纏った荘厳なる寮母(a majestic matron in flowing robes drenched with blood)」と見たのだ。・・・」(D)

⇒トウェインが登場して、当時の米国の反帝国主義者たる識者にもまともな人物が一人はいたことを知ったわけですが、彼については後で詳しく取り上げることとし、ここでは、この書評子(または著者)は、トウェインが、生前、キリスト教についてのホンネを公にしなかったこと
https://en.wikipedia.org/wiki/Mark_Twain
・・恐らくこの辛辣極まりない、引用された文章もそうでしょう・・を注記すべきであった、と指摘しておきます。(太田)

(続く)