太田述正コラム#8885(2017.1.30)
<映画評論48:君の名は。(その4)>(2017.5.16公開)

 私は、高群逸枝の母系制論(コラム#8249)を念頭に置いて、日本の縄文時代、ひいては狩猟採集社会一般の男女関係を捉えているのですが、母系制においては、「よくある母権制的な理解は誤り。むしろ、政治的な支配権は母の兄弟や長女の夫が持つ場合が多い。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AF%8D%E7%B3%BB%E5%88%B6#.E6.AF.8D.E6.A8.A9.E5.88.B6
とされているところ、(「母権制は・・・原始共産制<の属性として、>エンゲルスにも支持されマルクス主義の教義にもなったが、・・・母系制との誤謬と混同を徹底的に指摘され、人類発展史の一段階としての母権制を想定する説は否定され、現在の文化人類学者で支持する者はほとんどいない」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AF%8D%E7%B3%BB%E5%88%B6#.E6.AF.8D.E6.A8.A9.E5.88.B6
というわけで、)権威は女性に権力は男性に、という邪馬台国の卑弥呼と弟の姿
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%82%AA%E9%A6%AC%E5%8F%B0%E5%9B%BD
が、弥生人が縄文文化の影響を受けた結果なのか、それとも、縄文時代からそうだったのを弥生人が「継受」したのか、いや、そうではなく、縄文時代は母権制だったのか、等、分からないことばかりです。
 しかし、一つだけはっきりしていると思うのは、少なくとも農業時代到来以降、日本列島を除いて、世界の大部分が父権制(家父長制)(にして父系制)の社会になったことです。
 「古代ローマに、・・・父権制・・・の典型を見ることができる」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%B6%E7%88%B6%E9%95%B7%E5%88%B6
という次第です。
 農業時代以降は戦争の時代であり、そのような時代において、社会にとって最も重要な職であるところの戦士たりうるのは、もっぱら、平均的に、腕力、体力、等、において女達を顕著に上回っているところの、男達の方であったことから、社会が男性優位となるのは自然な成り行きでした。
 そして、いくら戦争に弱いとはいえ、支那の漢人文明(コラム#省略)も、その例外ではありませんでした。
 いや、例外どころか、例えば、支那の牽牛織女の説話は、「河東に住む天帝の娘である織女(織姫)が河西の牽牛郎(牛飼い、彦星)に嫁ぐことを許したが、嫁いだ後に機織りをやめたことで天帝の怒りを買い、河東に戻ることを強要、1年に1度だけ会うことを許した」、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%9B%E9%83%8E%E7%B9%94%E5%A5%B3
という、露骨なまでに男性優位の内容ですし、その「貞女は両夫に見えず」ということわざにしても、「貞節な女は一度結婚したら死別しても、あるいは離婚してさえも別の夫を持つことをしない」、
http://www.jlogos.com/d005/5551763.html
と、寡夫ならぬ寡婦だけに再婚禁止を求めています。
 (男だけが聖職者たりうる
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%AF%E6%95%99%E4%BC%9A
といった父権制に立脚しつつも、「神が結び合わせてくださったものを、人が離してはならない」(マタイによる福音書19・6)という新約聖書の記述に基づき、男女差別なく離婚を禁じており、「配偶者が死亡した場合は、結婚は解消され、その後の再婚は認められてい<る>」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A9%9A%E5%A7%BB%E3%81%AE%E7%A7%98%E8%B7%A1
カトリシズム、つまりは、プロト欧州文明の方が、支那に比べればまだ女性に優しい、と言うべきでしょう。
 ちなみに、プロテスタンティズムにおいては、聖書の他の諸々の記述に拠りつつ、離婚も認めているところです。
https://www.gotquestions.org/japanese/Japanese-divorce-remarriage.html )
 このような、露骨な父権社会たる支那に、男女差別なき、かつ、家父長の出番のない、赤い糸伝説、がどうして生まれたのかは定かではありませんが、この伝説が、家父長によって結婚相手を決められていた、結婚適齢期の漢人達の間で、人気を博し続けるであろうことは想像に難くありません。
 (日本を除く)東アジア一帯についても、同じことが言えそうです。

 残された難問は、どうして、東アジアの外の、イギリスとアイルランドにおいて、少なくとも映画評論家達の間では『君の名は。』が好評なのか、です。
 (この映画の両国での興行成績がどうなるのかはともかく・・。)

(続く)