太田述正コラム#8859(2017.1.17)
<米支関係史(その7)>(2017.5.3公開)

 米国は、今では、恭親王の言葉を理解している。
 すなわち、支那は米国が欲しているような類の協力関係(partnership)には関心がないのかもしれない、と。

⇒いや、まだまだ、そんな感じじゃ、「理解している」とは言えませんね。(太田)

 リチャード・ニクソンは、支那の潜在能力を1971年に見ていた。
 「8億人の支那人達をまともな(decent)システムの下で働かせれば、彼らは世界の指導者達になるだろう」、と。
 しかし、彼がまだ亡くなる前の1994年、彼は、「我々はフランケンシュタインを創造したのかもしれない」ということを恐れるに至っていた。

⇒フランケンシュタインは、米国の方です。(太田)

 米国は支那の変化を助けてきた。
 しかし、これまでのその変化は皮相的(superficial)なものだった。
 行間(underneath)で、ポムフレット氏は、支那の指導者達が、その上に近代的な国を建てるための新しい基礎を整備してこなかった、ということをはっきりさせている。・・・

⇒アングロサクソン文明よりも高次で普遍性のある日本文明との比較においては、米国は非近代的な国なのであって、支那の「変化は皮相的」だの「近代的な国<としての>基礎」がないだの、とあげつらう資格は、米国にはありません。(太田)

 <それはそれとして、>金融危機は、現在の超大国の諸欠陥を露わにした。
 ポムフレット氏は、上級指導者の王岐山(Wang Qishan)<(注7)>が、金融危機後に米国の財務長官のハンク・ポールソン(Hank Paulson)に話したことを引用する。

 (注7)1948年〜。「第2次温家宝内閣で国務院副総理・・・商務、金融、市場管理、観光などを担当・・・を務め、現在は第18期中国共産党中央政治局常務委員(序列は7人中6位)、中国共産党中央規律検査委員会書記を務める。姚依林元国務院常務副総理(第一副首相)の娘である姚明珊を妻に持ち、太子党に属する。」西北大学(歴史学)卒。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8E%8B%E5%B2%90%E5%B1%B1

 「あなた方は私の先生だったが、…我々は、もはやあなた方から学ぶべきかどうか確信が持てなくなった」、という・・。
 突然、要は若干の自分達のお化け達を見付け、<支那に憑りついたその>お化け達を支那が祓い始めたのだ。・・・」(C)

⇒王岐山は李鵬ほどの「上級」指導者ではないこともあり、(米国の識者達でさえ自国に関して言いそうな)当たり障りのないことしか言っていない、というだけのことです。(太田)

  カ 米支関係の関係性

 「・・・しかし、ポムフレットは諦めず、後書きの中で、「あらゆる不和(discord)のただ中でも、両国の諸絆には美しいものがあるのであって、この二つの国々の間で心地よい(lovely)和合(concordance)が出現するという」チャンスがある、と執拗に主張する。・・・」(A)

 「・・・これら全てにもかかわらず、ポムフレットは<両国の>対峙を予見せず、米国の関与(engagement)と封じ込め(containment)が<両国関係の>安定を維持するであろうことを信じている。

⇒ソ連崩壊後の今、米国以外の全ての諸国の「関与と封じ込め」の対象たるべきはむしろ米国であるというのに・・。(太田)

 彼は、この関係は、見かけほど機能障害を起こしているわけではない、と言う。
 また、支那は、時々そう見えるほど危険ではない、とも。
 世界は、ポムフレット氏が正しいことを願わざるをえない。」(C)

⇒失笑せざるをえません。
 対支那どころか、あらゆる国に対して、その建国以来、米国は、危険であり続け、現に、20世紀だけでも、ナチスドイツやソ連によるものを遥かに超える、大量虐殺を世界中でやって現在に至っているからです。(太田)

 「・・・ポムフレットの説明の通奏低音的主題は極めて単純なものだ。
 すなわち、米国と支那は、「どちら側も逃れることのできないもつれた抱擁」の金縛り状態にあり、この相互依存は「世界の運命にとって死活的」である、というのだ。・・・

⇒何度も申し上げていることからして、かかる相互依存は、米支間にではなく、日支間にあるのです。(太田)

 この本の中で殆ど言及されていないが、支那人著述家達だけが正しく理解しているように見えるのは、この関係の生来的不均衡性だ。
 すなわち、米国は、この国が独立して存続してきた全期間にわたって支那と緊密に関わってきたのに対し、支那のわずか約250年の米国<に向けられてきた>意識は、(主権支那国家が数千年前後の間存在していたことを思い起こすや否や、)支那のこの地球上における<存在>時間のわずか数パーセント<を占めるだけ>に過ぎない、という・・。
 この単純な算数だけでも、支那に、太平洋の遠い反対側に位置する新興国に対する、尊大な上から下目線を与える。
 <だから、>いい時も悪い時も、<支那側からは、>お高くとまった調子が自ずから滲み出る。
 米国は、野蛮な国で、諸流儀ががさつで物の考え方が短視眼的であって、自身の未熟さ故に、知られている中で、最も賢明で、最も古い国に適切かつ十全に対処することなどできない、という・・。・・・

⇒まさにその通りなのですが、この書評子は、支那側を揶揄しているつもりなのでしょうね。(太田)

(続く)