太田述正コラム#8857(2017.1.16)
<米支関係史(その6)>(2017.5.2公開)

  ウ 核拡散

 「・・・とりわけ特記すべきは、・・・支那政府の核拡散に係るペテンだ。
 ・・・支那人達が最初は諸違反をしていることを否定し、次いでそんなことはしていないと主張し<つつ実はしてき>たことを止めると約束しつつ、具体的には<、一貫して>パキスタンの核開発を助け<続け>、同国の科学者のアブドゥル・カディール(Abdul Qadeer)<(注5)>が、核の諸秘密を世界中に売りさばくことを可能にしたのだ。・・・」(A)

 (注5)1936年〜。「1970年代以降、核技術の地下ネットワーク(核闇市場)の構築に力を注ぎ、1998年にはパキスタンの原子爆弾実験を成功させたことから・・・パキスタンの「核開発の父」と呼ばれる。イラン・リビア・北朝鮮などに核兵器の製造技術を密売し、核拡散を進めた。カーンが構築した地下核ネットワークの全貌は明らかでなく、パキスタン政府の関与が疑われるが、パキスタン政府は関与を否定する。・・・
 <なお、>日本の一流メーカーが、パキスタンの核開発に結果的に協力し、資機材供給体制に組み込まれていた実態が・・・判明しており、・・・<カディール>は「日本は非常に重要な輸入元だった」と強調し<ている。>」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%96%E3%83%89%E3%82%A5%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%B3

⇒ここからだけでも、中共当局は、自分の利益になりうるのであれば、ウソを付くことを躊躇しない、という教訓が得られるはずです。
 それは、逆に言えば、自分の不利益になるホンネを言うことはまずありえない、ということでもあるはずです。(太田)

  エ 自由民主主義

 「・・・彼は、レーガンとブッシュの年々に、支那に対する、人権への敬意を高めよとの要求が弱まったことを指摘する。
 もとより、彼らより前の、ヘンリー・キッシンジャーとジミー・カーター(Jimmy Carter)の安全保障担当補佐官のズビグネフ・ブレジンスキー(Zbigniew Brzezinski)だって、人権諸問題への関心<の高さ>でもって知られてはいないが・・。
 ポムフレットは、支那が、その経済が改善されれば米国の諸価値を採用するだろうという米国における終わることなき諸期待・・とりわけ、米国の実業界とその学界応援団によって育まれた諸期待・・を露出させることに巧みだ。
 1986年に、教育担当国務委員(state councilor for education)であった、李鵬(Li Peng)は、我々のグループに対し、社会科学、自然科学両方の科学の面での米国の支援を大いに歓迎するとともに、支那は米国の諸価値は決して採用しないだろう、と語った。
 彼は、それを、彼が天安門諸虐殺を統括した時に証明した。
 そして、習近平中共主席は、彼の政府が、諸教会、弁護士達、ジャーナリスト達、学者達と諸NGO・・市民社会一般・・を攻撃しており、李鵬の線から逸脱していない。・・・」(A)

⇒中共は、マルクス主義、少なくともマルクス・レーニン主義、を捨て去ったように見えるのに、中共指導者がかくも自信ありげに「米国<・・欧米、と言い換えてもよかろう・・>の諸価値は決して採用しない」と言い切るということは、それらに代わる第三の主義ないし諸価値にトウ小平以降の中共指導者達が依拠しているからではないか、一体、その第三の主義ないし諸価値は何なのだろうか、と、どうして米国の識者達が思わないのか、私は不思議で仕方がありません。
 そもそも、「ウ」で指摘したことからして、「<欧米>の諸価値は決して採用しない」などという、自分の利益になりえないことを中共指導者が明言するなんて、よほどの事情・・確信犯的決意?・・があるはずだ、と身構えてしかるべきだというのに・・。
 私は、米国人識者達を李鵬がおちょくったのだと想像しています。
 どうせ、彼らは、これが謎かけだとは思わないだろう、従って、自分達が日本文明総体継受を試みつつあることに気付くなどということは絶対ありえないだろう、とふんで・・。(後述するところを参照のこと)(太田)

  オ 米支関係--歴史

 「・・・1881年に、ニューヨークタイムスは、「支那は、政治的叛乱のウィルスを一緒に輸入することなく、我々の学問(learning)、化学、そして、我々の産業の物理的諸形態を借用することはできない」、と予言した。・・・
 米国人達は、最初に、18世紀に、貿易をするためにやってきた。
 1773年にボストン港に投げ込まれた茶は、厦門(Xiamen)から来たものだ。
 支那貿易による諸利潤が米国の産業革命の財源になった。
 <また、>支那人の労働力が米国の西部を作った。
 <更に、>宣教師達と実業家達が逆方向に太平洋を横切って<支那に>溢れた。
 <そして、>他国人はともかく、支那人としては、かつて、米国は欧州の諸大国とは違うと見た。
 19世紀の<支那>指導者の恭親王(Prince Gong)<(注6)>は、「米国人達は純粋な精神を持ち(pure-minded)、正直(honest)だ」、と言った。

 (注6)1833〜98年。道光帝の第6子で兄は咸豊帝。「幼い頃から聡明で、刀槍、詩歌と文武に優れ<ていた。>・・・1861年・・・の兄の死後、西太后・東太后や弟・・・と結んでクーデターを起こし・・・権力を握<り>(辛酉政変)・・・、甥の同治帝の摂政として君臨した。また曽国藩・李鴻章などの漢民族官僚を起用して洋務運動を支え、同治中興と呼ばれる清朝の国勢の一時的復興を実現した。しかしその立場を脅かされることが度々あ<った。>・・・1894年・・・に日清戦争が勃発すると・・・外交と軍務を統括し・・・国難に当たったが成す術も無く敗戦を迎え、4年後・・・病死した。変法運動に傾いていた光緒帝を諫め保守派と革新派の調停に当たっていたが、その死により両派の対立は表面化し戊戌の変法、戊戌の政変が引き起こされていった。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%84%9B%E6%96%B0%E8%A6%9A%E7%BE%85%E5%A5%95%E3%82%AD%E3%83%B3

 しかし、支那の狙いはいつも功利的なものだった。
 「問題は、どうやって彼らをコントロールして我々が食い物にするかだ」、と彼は付け加えた。・・・

⇒これぞ、まさに、恭親王が、米国人達は、おしなべて国際音痴で、支那のことなんぞ皆目分かっていない魯鈍なやつばらだから、どう、うまい具合に騙して尻の毛を抜くかを考えなきゃ、と喝破した、ということなのに、ポムフレットにせよ、この書評子にせよ、それが本当のところ何を意味しているのかに全く気付いていないわけであり、それから一世紀半前後も経っているというのに、米国人の魯鈍さに全く変化がないことがよく分かろうというものです。
 なお、我々は、20世紀半ばに、まず蒋介石が日本と戦うため、というか、それに藉口して米国からカネやモノをせしめるため、次いで毛沢東が、その蒋介石から権力を奪取するために、更には、その少し後に、今度は、ソ連を抑止しつつ日本文明総体継受戦略を発動する手段として、それぞれ、米国人達の尻の毛を大量に引っこ抜くことで、この、恭親王が設定した課題を、見事に果たしたことを知っています。(太田)

(続く)