太田述正コラム#8853(2017.1.14)
<2017.1.14東京オフ会次第(その1)>(2017.4.30公開)

1 始めに

 本日のオフ会は、1次会に私を除いて8名が参加し、所用があって、遅くまでいることができない参加者が多かったこと、新年早々であること、から、1次会だけで切り上げ、ファミレスででも有志だけで、新年会を兼ねた夕食にして、お開きにしようと提案し、みんな一緒に出発しようとしていた時に、もう1名が飛び入りで到着し、「参加」者が9名になりました。
 西馬込駅近くのファミレスのジョナサンが混んでいたので、付近の居酒屋に、残った6名と入店し、19:00からの予約が入っている席で、17;00頃から18:45頃まで飲食しながら懇談をしました。
 その後、(飛び入り参加した)1名とジョナサンで、事実上の2次会を20:00頃までやりました。
 (彼からは、しばらく前に電話で仕事に関する相談を受けていたので、その続きの話があるのではないか、と私は思って彼を誘ったのですが、結果的には、太田コラム・マターの話ばかりになった次第。)

2 三島由紀夫について

 1次会の「講演」の後、私の方から(ディスカッションで予告していた)三島由紀夫「自殺」について、以下のような話をしました。

 三島が『檄』
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AA%84_(%E4%B8%89%E5%B3%B6%E7%94%B1%E7%B4%80%E5%A4%AB)
を残して「自殺」したことは、翌年防衛庁に入庁が決まっていた、私にとって、本来、深刻に受け止めるべき大事件だったはずだが、私は、『檄』を熟読することも、彼の「自殺」について思いを巡らすこともなかった。
 三島の作品を結構読んでいた私は、直感的に、この「自殺」にうさん臭さを感じていたからだ。
 (前にも記したことがあるはずだが、彼の作品群の中で、読むに耐えるものは、『近代能楽集』だけだ、と思っている。)
 さて、運動神経のなさが、三島の「自殺」の遠因となった、などということはありえない。
 私の運動神経のなさは、恐らく三島以上なのではないかと思う。
 体がイメージ通りに動いてくれないのだ。
 例えば、私は飛んできたボールをバットで打ち返すことができない。
 あたることはあたるのだが、いつもボールの上の方にあたって、ゴロになってしまうのだ。
 同じことで、飛んでいる蚊を両手で叩こうとすると、利き腕の右手が上にズレた形で叩いてしまうので、蚊をしとめることができたためしは殆どない。
 だから、工作なんてのもからっきしダメだ。
 字もひどい。
 自分で書いた文章が、後で読めない場合がしばしばある。
 中学2年の時だったが、当時、技術家庭、という科目があり、実技の方は、当然、まるでダメだったのだが、ペーパーテストだけは良かった。 
 その担当教師から呼び出しを食らった。
 「答案の字がひどくて全然読めないので採点できない、自分でも読めないんじゃないか、読んで聞かせてみろ」、というのだ。
 その時は、テスト直後だったこともあり、何とか全部読めたのだが、この教師、悔しそうに、「100点だな、但し、余りに汚い答案なので、99点にするからな」、と宣告した。
 2年の時にピアノを断念したのも、(1年の時にコンクールの中学の部の予選で落ちたことが大きかったけれど、)自分のイメージ通りに指が動いてくれないので、自分には才能がない、と、実は、相当前から見切りをつけていたのだ。
 でも、運動神経のなさでコンプレックスを感じたことは全くない。
 私の中学校は、進学校の最たるものだったが、1年の時の担任の教師(数学)が、入学早々の面談の時、私に向かって、「ピアノをやっているそうだが、勉強に差し支えるから、早く止めた方がいい」、と言ったのだ。
 憤慨して帰宅し、母親に話をしたら、呆れていた。
 私が、何かスポーツに励んでいたとすれば、この教師は、もっと強い口調で「即刻止めなさい」、と言ったに違いない。
 でも、学校全体がそういう雰囲気だったこともあり、幸い学業成績が良かった私は、運動神経のなさにコンプレックスを感じるわけがなく、実際、繰り返すが、全く感じなかった。
 だから、学業成績抜群だった三島なら、なおさらそうだったはずなのだ。

 そうしたら、参加者から、「三島の「自殺」の理由は、かねてより自分の貧弱な肉体にコンプレックスを感じていた彼が、ボディビルで筋骨隆々になりはしたものの、年を取ればその肉体が衰えてしまうので、衰えるまでに「自殺」したのだと思う」、との発言があったのですが、私から、「それ、通説だと思うが、本当にそうだろうか」、と返しておきました。 

(続く)