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太田述正コラム#8847(2017.1.11)
<米支関係史(その3)>(2017.4.27公開)

20世紀に切り替わり、全球的大国としての米国の曙が到来すると、ワシントンの政策策定者達は、支那に対する関心を高め、欧州諸国と日本がそれを諸植民地として分け合おうとする諸努力に抗して、同国の一体性を維持しようと戦った。
 米国の政治家達は、支那のベストアンドブライテストを米国に結び付けるために、支那人達を米国側で教育するための基金を設立するという形で動いた。
 義和団事件賠償金奨学金(Boxer Indemnity scholarships)<(注3)>は、ノーベル賞受賞者達、科学者達、技師達、作家達を族生させ、1920年代と1930年代の支那の知的ルネッサンスの場面を設定した。・・・

 (注3)「清朝の歳入が8800万両強であったにもかかわらず、課された賠償金の総額は4億5000万両、利息を含めると9億8000万両にも上った。このしわ寄せは庶民にいき、<義和団が掲げた>「掃清滅洋」という清朝を敵視するスローガンは、義和団以外にも広がりを見せるようになる。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%A9%E5%92%8C%E5%9B%A3%E3%81%AE%E4%B9%B1#.E5.8C.97.E4.BA.AC.E8.AD.B0.E5.AE.9A.E6.9B.B8

 1937年の日本の支那侵攻は、かつてないほど、支那と米国とを緊密に縫い合わせた。
 <この>戦争の前には支那には1万人の米国人達がいたが、わずか数年でその数は10倍に急増した。

⇒全くもって言語道断の、米国による事実上の対日参戦がこの時点で既に行われていたことの傍証以外の何物でもありません。(太田)

 しかし、戦争が進展するにつれ、米国は、その支那での同盟者たる、蒋介石大元帥を、独裁的で無能で、一番悪いことには、日本と戦いたくない、と見るに至った。

⇒前から何度も指摘しているところの、米国指導層の恐るべき国際音痴ぶりの支那における現れ、第一弾です。(太田)

 その結果、多くの米国人達は、蒋の諸敵であるところの、中国共産党を、機械化された日本ゴリアテ(Goliath)と戦っている真のゲリラのダビデ(David)である、と見た。
 国務省の役人達は、この見方(perspective)が確かであると確信しており、戦後の共産党員達との最終的決着のための援助を提供するのを止めるべく米国の政策を転換させた。

⇒これが、その第二弾です。(太田)

 我々は、現在では、現実はもっと複雑であったことを知っている。
 蒋の諸軍は、極めて頑強な戦いを行ったのであって、日本軍と戦った死傷者数の90%を占めたのは、彼らであって、共産党員達ではなかった。

⇒金づるを手放したくないので、金づるの最大手である、ソ連、米国、それぞれから督戦されていた以上、蒋介石は、日本軍と全く戦わないわけにはいかなかった、というだけのことであることを我々は「知っている」、と言いたいですね。
 米国指導層の国際音痴ぶりが、現在でも全く変わっていない例証がここに一つ、というわけです。(太田)

 当時の米国人達は、米国が蒋介石を助けることができるあらゆることをやったという思い(notion)で自らを慰めた。
 しかし、彼の政府に対する、援助、諸兵器、そして金、の無数の<米国の>諸約束は、果たされずに終わったのだった。
 若干の歴史学者達は、戦後、米国は共産党が<権力を>確立した時に毛沢東主席(Chairman Mao Zedong)<(注4)>と良い関係を鍛造する機会を逸した、と<批判的>主張<を>してきた。

 (注4)毛沢東は、1945年から1976年に亡くなるまで中国共産党中央委員会主席を務めたが、英語圏では、この主席をChairmanと訳し、毛沢東のことを'Chairman Mao'と呼びならわしている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AF%9B%E6%B2%A2%E6%9D%B1
https://en.wikipedia.org/wiki/Mao_Zedong

 しかし、支那の保存記録群の中から近年公開された諸資料は、毛が米国との諸絆<を結ぶこと>を<、当時>まだ考えていなかった(not ready for)ことを示している。
 毛は米国に対する憎しみを彼の革命のイデオロギーの柱の一つとして用いた。
 今日においてさえ、米国に対する病的な疑り深さ(paranoia)の遺産(legacy)は中共の米国との関係を染め上げ(color)ている。・・・

⇒私は、かなり前から、毛は米国大嫌い人間のはずだ、としてきた(コラム#省略)ところですが、初めて、「権威」ある他人が(間違いなく、確かな典拠に基づき、)そう断定している記述に遭遇してうれしさもひとしおです。
 恐らくは、ポムフレットは、どうして毛が米国を大嫌いになったのかを、この本の中で説明していないはずです。
 そんなことをすれば、彼の、叙述の全体のトーンと齟齬を来してしまうからです。(太田)

 <しかし、>トウ小平の時からは、あらゆる中共指導者達が、少なくとも自分の子供のうちの一人を米国に勉強に送るようになってきており、現在の国家主席の習近平の娘もハーヴァード大に学んだところだ。

⇒今閃いたのですが、日本文明総体継受戦略をとっていることを、気付かれないようにするための、中共当局の欺騙工作として、反日姿勢と親米姿勢はコインの表裏の関係にある、と見るべきではないでしょうか。
 日本文明総体継受戦略もこの二つの欺騙工作も、その全てがトウ小平の指示・遺言に基づくものである、と見たらどうか、ということです。
 子弟の米留(親米姿勢)については、私がこれまでも指摘してきたように、万一の場合に自分や一族が英語圏に亡命するための保険の意味もある、とは依然思っていますが・・。(太田)

(続く)

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