太田述正コラム#8833(2017.1.4)
<ロシアに振り回される米国(その4)>(2017.4.20公開)

ケナンの同時代人であるポール・ニッツ(Paul Nitze)<(注2)(コラム#2534、3520)>は、米国の対ソ政策の形勢に主要な役割を演じた人物だが、戦略について、意思(will)と諸数(numbers)であると見て、軍事における優位とその世界中への諸配備によってソ連を圧倒すべきであると主張した。

 (注2)ポール・ニッツェ=Paul Henry Nitze(1907〜2004年)。「ハーバード大学卒業。・・・投資銀行<家を経て、>・・・1940年6月、フランクリン・<ロ>ーズベルト大統領の特別補佐官に就任したジェームズ・フォレスタル・・・に召喚され、<そ>の補佐官として行政府入りし、第二次世界大戦を経験する。戦後は太平洋方面米国戦略爆撃調査団(USSBS)副団長、国務省国際経済部次長などを歴任した。戦略爆撃調査団時代には原爆投下後間もない広島と長崎を訪問調査している。1950年1月、ジョージ・ケナンに代わって国務省政策企画本部長に就任する。ニッツェは前任者のケナンよりソ連の脅威を重大視しており、また、核兵器の出現により、戦争の性質が一変したとするケナンやバーナード・ブローディなどとは異なって、核時代においても戦争の性質は不変であり、ソ連の脅威に備えた戦力の充実と民間防衛体制の構築が不可欠であるとの発想を有していた。ニッツェの思想は後に彼が中心となって起草し、<米国>の冷戦政策の指針となった国家安全保障会議文書68号(NSC-68)に端的に示されることとなる。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%8B%E3%83%83%E3%83%84%E3%82%A7

⇒戦後における日本との関わりや、ケナンから事務引き継ぎを受けたことから、ニッツェの対ソ戦略が日本のそれの忠実な継受の趣を呈していることに不思議はない、と思われるのではないでしょうか。(太田)

 しかし、ケナンは、このような封じ込めの軍事化された諸解釈に戦慄した。
 抑止が機能するためには、欧米は、脅かしている、或いは、いじめているトーン・・彼は、それについて、ロシア人達が弱さと感じたり、国内的にソ連政府を追い詰めてエスカレートさせることを強いられたりすることを心配した・・抜きの、明確で否応なしの脅かしを伝える必要がある、と主張した。・・・
 <しかし、>ケナンの戦略の適切性が冷戦を終わらせたわけではない。
 米国の対ロシア政策に関する今日における主要な議論の中心は、ロシア政府のその諸行動の諸動機が、(NATOによる包囲、米国によるポスト・ソ連の近傍地域、恐らくはロシアそれ自体の体制変革、への容喙、といった)主として安全保障上の不安(insecurity)に由来するのか、それとも、単に、その地域的支配(dominance)と全球的影響力を回復するために欧米の弱さにつけこもうというものなのか、を巡ってだ。

⇒私がかねてから指摘しているところの、タタールの軛論に照らせば、後者が原因で前者はそれが必然的に引き起こす結果であって、両者はコインの両面に他ならないところ、「議論」する意味などありません。(太田)

 ケナンの戦略の大いなる便益は、それが<かかる>議論の決着を要求しないところにあるのであって、それは、ロシア政府への関与(engagement)、と、ロシアの侵略を抑止するために必要な軍事力(strength)の投射(projection)、との双方を奨励した。・・・

⇒ここまでは、日本の旧陸軍の皇道派が追求した熱戦論に対する、統制派が追求し日本の国策となった冷戦論(抑止論)そのものです。(太田)

 ケナンは、対兵力(counterforce)を抑止として求めつつも、彼は、欧米の力を用いて(applying)ロシア政府それ自体を変革しようと試みることに対しては警告を発した。
 このようなアプローチは、ロシア内部の諸出来事に影響を与える欧米の現実の能力の観点からは無理筋(overreach)であるだけでなく、自負心ある(proud)ロシア人達の間で欧米との引き続きの対峙を支持する声を掻き立てさせることは必至だろう、と。・・・

⇒しかし、軍事的に抑止政策をとることと、経済的、思想的等の非軍事的手段でソ連(ロシア)政府の弱体化や転覆を図ることとは矛盾しませんし、実際、戦間期の日本政府も、経済的、思想的等の面でそう努めたところです。
 (そもそも、経済力(能力)や思想力(意思)がなければ、軍事的に抑止政策を維持することすらできません。)
 この点から、私は、ケナンが提唱した対ソ(露)戦略は、日本のそれとは似て非なるものであった、と申し上げているのです。(太田)

 ケナン自身がそれについて考えたように、封じ込めは、ロシアの力に対する直接的な対応(response)に関することと同じくらい、欧米の力と繁栄の核心にあるヴィジョンについての再確認と宣伝(broadcasting)に関することなのだ。
 実際、冷戦は、かなりの程度まで、ロシア人達が、米国を、成功を収めた、繁栄している社会、と見るに至った・・米国のモデルを継受(emulate)することを希望し、全球的諸挑戦に対処(manage)するために米国との提携(partnership)を欲した・・から終わったのだ。
 それとは対照的に、今日の<米露>諸関係の悪化は、米国のイラクとアフガニスタンでの諸失敗、及び、ロシア人達の経済発展のための米国的モデルに対する信認(faith)を粉砕したところの、2008年の全球的金融危機の尾を引いている諸帰結、によって深められてきているのだ。・・・」

⇒戦間期の日本の対ソ戦略をそっくりそのまま(部分的にケナン、そして、全面的にニッツ、を介して)継受した戦後米国が、日本とは違って、極めて拙劣にこの戦略を遂行した・・米国が北朝鮮による南進を誘った形で朝鮮戦争を引き起こしてしまったのはこの戦略確立直前だったが、この戦争の過程で米軍等を北進させてしまったために、本来的反ソの中共を長期間ソ連側に追いやってしまい、また、無意味なベトナム戦争を戦って全世界で反米意識を煽ってしまい、更には、ソ連がアフガニスタンに軍事介入した際にイスラム過激派を支援したため、現在のイスラム世界全体の混迷を引き起こしてしまった・・にもかかわらず、冷戦に勝利を収めることができたのは、私に言わせれば、第一に、ソ連が掲げたマルクス・レーニン主義の根底にあった思想は米国の思想、ひいてはアングロサクソン的思想、よりも本来的に優位にあったというのに、その自覚が足らなかったから、であり、第二に、核時代の到来で、もはや、ソ連(ロシア)の核心的領域は聖域化したことから、タタールの軛症候群を乗り越えるまでもなく、米国との軍拡競争、ひいては経済成長競争、に狂奔する必要がなくなっていたにもかかわらず、惰性でそれを続けたことで、経済面での相対的疲弊が募ったから、です。(太田)

(続く)