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太田述正コラム#8823(2016.12.30)
<ロシアに振り回される米国(その2)>(2017.4.15公開)

 (3)Dmitri Trenin:Ideology should not guide foreign policy

 (筆者は、カーネギー・モスクワ・センターのセンター所長で、かつてソ連とロシアの軍で1972年から93年まで勤務。)

⇒全く紹介するに値する記述はありませんでした。(大田)

 (4)Nargis Kassenova:Russia can’t lead through imperialism.

 (筆者は、アルマトイ(Almaty)のカザフスタン経営・経済・戦略研究所の中央アジア研究センターの所長にして准教授。)
 「1990年代の、欧米志向的(westward-looking)であったロシアでは、中央アジアは、捨ててもかまわない、煩わしい僻地だった。
 単一の経済空間と通貨の共有を続けようとの骨の折れる諸努力の後、エリツィンの政府は、1993年に、他の独立国家共同体(CIS)<(注1)諸国家をルーブル圏から追い出した。

 (注1)Commonwealth of Independent States=独立国家共同体。「1991年12月8日、ロシアのボリス・エリツィン大統領、ウクライナのレオニード・クラフチュク大統領、ベラルーシのスタニスラフ・シュシケビッチ最高会議議長はベラルーシのベロヴェーシの森で、ソビエト社会主義共和国連邦の消滅と独立国家共同体 (CIS) の創立を宣言した(ベロヴェーシ合意)。続いて12月21日、カザフスタンでの首脳会議にジョージアを除く8か国も参加してアルマトイ宣言に調印した。1993年にはジョージアも含めて12か国すべてが加盟した。ソ連を構成した全15国のうち、バルト三国はCIS設立前に独立したため加盟せず、2004年5月1日に欧州連合に加盟した。・・・
 トルクメニスタンは・・・加盟国だが永世中立国を宣言し、加盟資格を永久停止して準加盟国として参加している。ウクライナは加盟国であったが、CIS憲章の批准を拒否し、客員参加国として参加していた。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8B%AC%E7%AB%8B%E5%9B%BD%E5%AE%B6%E5%85%B1%E5%90%8C%E4%BD%93
 
 この動きは、中央アジア諸国には、とりわけ辛いものだった。
 というのも、それぞれの痛手を被っていた諸経済を安定させる財政的諸移転に関し、ロシアの諸銀行に高度に依存していたからだ。
 1990年代に、ロシアがより非民主主義的になり、ソ連の栄光についてより懐旧的になると、ロシア政府は、中央アジアに再び関心を示し始めた。・・・
 <もっとも、>ロシアでは、社会的レベルにおいては、中央アジア人達に対する関心も愛もさほどは存在しない。・・・」

⇒単純化し過ぎだとの誹りは甘んじて受けますが、ゴルバチョフがやろうとしたのは、冷戦を終焉させることで、軍事費の負担を軽減するとともに欧米等から技術導入を図り(グラスノスチ)、それらの結果として経済を活性化させる(ペレストロイカ)ことであったところ、それでは不十分だ、経済を資本主義化させるとともに、ソ連の領域や勢力圏を維持するために、ロシアが負っている資金的・資源的負担を解消しなければ、急速に豊かにはなれない、とエリツィンはソ連を解体したけれど、豈はからんや、ロシアの窮乏化は一層募ってしまった、ということではないでしょうか。
 で、ロシア人達が得た(半ば正しく半ば間違っている)教訓は、経済を目的にしてはならないのであって、専制的指導者の下、ロシアの領域ないし勢力圏を拡大するという、ロシアの生来的な政治軍事的目的の追求に回帰し、経済はそのための手段として、国家統制下で発展させなければならない、そうすることで、初めて経済発展も見込みうる、というものだったのではないか、そして、そのための指導者としてプーチンに賭けたところ、(たまたま化石燃料価格の高騰もあり、)経済が急回復を遂げたように見えた、だからこそ、彼らは、中央アジア(やウクライナ等)に対する関心を再度抱き始めたのではないか、と私は思うのです。(太田)

 (5)Alexander Cooley:Globalization only enriched and empowered autocrats.

 (筆者は、ロシア系と思しき、ニューヨークの、コロンビア大ハリマン研究所所長兼バーナード単科大学政治学教授。)
 「ソ連の崩壊以降の中央アジアの自由世界システムとの関係は、共産主義指令経済からの移行を促進させたというより、現実には、資本逃避を奨励し、腐敗を安堵し、世界で最も暴虐的な独裁者達のうちの幾ばくかがその統治を盤石にすることを可能にした。
 このオフショア金融の遺物(legacy)は、中央アジア全域を消耗させ、この地域の諸経済を詐取し、その専制君主達に力を与えた。
 この地域の選良達は自由な政治的・経済的諸体制へと自分達の国々を移行させはしなかったかもしれないが、匿名のペーパー・カンパニー群やオフショア銀行口座群でもって彼らのいかがわしい諸取引を偽装するやり方で、国家の諸機関(institutions)を自分達自身を個人的に富ませるために利用することはした。・・・」

⇒これは、中央アジア諸国の選良達に限った話ではなく、旧ソ連諸国の全て、そして、第三世界のほぼ全て、更には、先進国中の一部選良達、にも当てはまる話であり、筆者は何も言っていないに等しい、と言いたくなります。(太田)

 (6)Andrei Soldatov:Moscow is still sacrificing innovation for state security.

 (筆者は、ロシアの調査ジャーナリストであり、ロシアの諜報諸機関に関する情報交換サイトを主宰。)

 「その前のソ連と同じく、ロシアの政府とその保安諸機関は、それがもたらしうる社会的・政治的大騒動への恐れから、革新(innovation)を制限することを狙っている。・・・」

⇒ロシア人達の大部分がそれを必要悪と考えているところの、専制的体制を維持するコストってやつであり、そんなことをあげつらっているから、ロシア内の「革新」勢力は、いつまで経ってもうだつが上がらないないのです。
 彼らは、タタールの軛が、現代においてはもはや精神障害級のアナクロニズムであること、そしてそれがいかに空しく危険なことであるか、についての啓蒙活動こそ、彼らの精力の大部分を割かなければならない喫緊の課題である、というのに・・。(太田)

(続く)

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