太田述正コラム#9020(2017.4.8)
<皆さんとディスカッション(続x3306)/対露百年戦争勝利を記念して(その4)--朝鮮戦争-->

<太田>(ツイッターより)

 露政府は、米国が発射した59発のトマホーク中、目標の基地に到達したのは23だけで、同基地の戦闘機6機が破壊されたにとどまる、と発表。
https://www.theguardian.com/world/2017/apr/07/us-airstrikes-syria-russian-american-relations-vladimir-putin
 1発0.7億円
http://kaito1412.wp-x.jp/%EF%BE%84%EF%BE%8F%EF%BE%8E%EF%BD%B0%EF%BD%B8%E5%B7%A1%E8%88%AA%EF%BE%90%EF%BD%BB%EF%BD%B2%EF%BE%99-%E4%BE%A1%E6%A0%BC-%E5%80%A4%E6%AE%B5-%E5%A8%81%E5%8A%9B-1470
としてそれだけで40億強。
 費用対効果比?

 「…今回の攻撃は十分な手続きがなされておらず、国際法上、違法な軍事行動といえます<が、>…米国の政権内のポストに空席が多いこともあって、本来ならば、国際法上の問題点を指摘するといった政権内からの歯止めが働かなかったのかも知れません。…
 今回、ミサイル攻撃したのは一つの航空基地のみです。塩素ガスなどの毒ガスを製造できる拠点が攻撃対象に含まれていなかったことには、首をかしげざるを得ません。…」
http://digital.asahi.com/articles/DA3S12882097.html?rm=509
 最初のコメントはオバマと違って議会の承認を求めずに決行した点が違うだけなのでペケ。
 後のコメントは、毒ガス製造・貯蔵施設を攻撃したら、周辺の一般住民にガス被害が生じてしまうからやるワケがないのであり、やっぱペケ。
 口からでまかせの思い付きを語る、余りにもお粗末な日本の国際問題「専門家」達がわたしゃ恥ずかしいだよー。
 朝日新聞、今後、コメントを求めるんなら、最低英米欧の専門家達を起用するんだね。

<太田>

 関連記事だ。↓

 <1発は(恐らく)飛ばなかったってことね。で、露米の言ってることのどっちが正しいかと言えば、ウソ付いてない限り、実際に確認できる露の方が正しいんだが・・。↓>
 「・・・「トマホーク」59発が着弾し・・・シリア航空機20機を破壊=ミサイル失敗1発だけ―米軍・・・」
http://www.msn.com/ja-jp/news/world/%e3%82%b7%e3%83%aa%e3%82%a2%e8%88%aa%e7%a9%ba%e6%a9%9f%ef%bc%92%ef%bc%90%e6%a9%9f%e3%82%92%e7%a0%b4%e5%a3%8a%ef%bc%9d%e3%83%9f%e3%82%b5%e3%82%a4%e3%83%ab%e5%a4%b1%e6%95%97%ef%bc%91%e7%99%ba%e3%81%a0%e3%81%91%e2%80%95%e7%b1%b3%e8%bb%8d/ar-BBzy0FM?ocid=iehp

<mzV9Pf.o>(「たった一人の反乱(避難所)」より)

≫これは手始めだろ。≪(コラム#9018。太田)

 マスコミは支持率上げる為の一過性のものという論調ですが、今後もドローンや戦闘機による対地攻撃は続く可能性があるのでしょうか?

⇒それ、59発撃ち終わってない時点でのコメントであって、そういう趣旨のもんじゃなかったんだけど、キミの質問については、トランプ自身、まだ決めてなさそうね。
 プーチン/アサドの出方次第でしょ。↓

 White House has no clear plan for next steps in Syria after missile strike・・・
https://www.theguardian.com/us-news/2017/apr/07/us-russia-relations-syria-military-strikes-putin-trump (太田)

<太田>

 関連記事だ。

 攻撃後の航空写真。↓
http://time.com/4731467/syria-airstrikes-photos/?xid=homepage
 攻撃を受けた空軍基地から、シリア空軍、航空機を飛び立たせ、叛徒拠点を爆撃。↓
http://foreignpolicy.com/2017/04/07/assad-shrugs-off-trumps-strike-uses-just-hit-airbase-to-bomb-rebels/

<太田>

 それでは、その他の記事の紹介です。

 もー呆れたわ。↓

 「昭恵夫人付き職員 ハワイ私的訪問にも同行・・・」
http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201704/CK2017040802000148.html

 スマホを使うんじゃない、こういうのもあったんだー。↓

 「LINE AI搭載スピーカーを発売へ・・・」
http://www.news24.jp/articles/2017/03/02/06355466.html

 覚悟の上だったんだろうが・・。↓

 「慰安婦:筒井康隆氏の小説、韓国で販売中止に・・・」
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2017/04/08/2017040800482.html

 自然科学分野でも、創造力を発揮する年齢がどんどん高くなってきてるみたいね。↓

 ・・・the peak of creativity for Nobel winners is getting higher every year. ・・・
 People granted international patents in information technology, materials science and the life sciences by age, according to a survey of inventors. Those aged 46 to 60 received a majority of those patents. ・・・
https://www.nytimes.com/2017/04/07/opinion/sunday/to-be-a-genius-think-like-a-94-year-old.html?ref=opinion&_r=0

 中共官民の日本礼賛(日本文明総体継受)記事群だ。↓

 <人民網から。
 定番の日中交流人士モノ。↓>
 「中国のハンセン病快復者村で支援活動を行う2人の日本人・・・」
http://j.people.com.cn/n3/2017/0407/c94473-9200131.html
 <ここからはサーチナより。
 定番の日本経済総体の称賛だが、目新しい話もあるので・・。↓>>
 「・・・今日頭条は・・・日本は果たして衰退中なのかと疑問を投げかけ、「日本の強さ」を示す多くの証拠を提示した。
 記事はまず、中国人の多くは日本に対して、「先進国でありながら没落しつつある国」、「経済成長が停止した国」という印象を抱いていると紹介する一方、こうした印象は必ずしも正確ではないとし、その証拠の1つとして、トムソン・ロイターが発表した「Top100グローバル・イノベーター2015」を紹介。
 「Top100グローバル・イノベーター2015」では、日本から世界最多となる40社が選出され、さらには英メディア・エコノミストが2015年に発表した「イノベーション・クオリティ」で日本は第3位だったことを紹介し、こうしたデータは「イノベーション領域」における日本の強さを示す証拠であると論じた。
 また、米インテルは主要なサプライヤーを対象に、継続的かつ卓越した改善を奨励するためにSCQI賞及びPQS賞を設けているが、それぞれの賞において8社中6社、18社中11社が日本から選出されたこともあると紹介。そのほか、日本の国内総生産(GDP)に占める研究開発費の割合が世界トップクラスであることも伝え、日本のGDP成長率は確かに低迷しているが、「技術力は今なお健在」であると論じた。
 また、「次世代コンピューター領域」では、量子コンピューターの多項目にわたる基礎技術は日本発でいると紹介し、現在量子コンピューター分野で日本と競争できるのは米国のみであると主張。したがって、「もし日本が没落したという幻覚に浸っているなら、日本と中国の差はさらに大きくなるだけだ」と結論づけた。」
http://news.searchina.net/id/1633192?page=1
 <無料観光スポットの東京版でもって日本へ行けキャンペーン。↓>
 「・・・今日頭条は・・・東京で無料で体験することのできるスポットの数々を紹介する記事を掲載した。
 記事は「東京にはお金を一銭も使わずに楽しめる場所がたくさんある」としたうえで、無料スポットの数々を紹介。まず挙げたのは、皇居周辺の散策だ。ジョギングはもちろんの事、日曜日には無料で自転車を借りてサイクリングをすることができるとした。続いて、築地市場の「せり見学」を挙げたほか、浅草寺や明治神宮といった寺社スポットも無料で入ることができると伝えた。
 さらに、無料の博物館として東京広告博物館を紹介。ここでは20世紀以降の日本における商業発展の足跡をたどることができるとした。また、国会議事堂も無料で見学でき、美しい内部の設計を楽しめることを伝えている。そして、無料で入れる庭園も複数存在し、ホテルニューオータニや、椿山荘、八芳園といったホテル・結婚式場などは利用者でなくても自由に立ち入ることができると紹介した。
 また、東京のどこかで毎週のように開催される祭りやイベント、デパートの地下食品売り場、ソニー・パナソニック・トヨタといった日本を代表する企業の展示スペースを無料スポットとして挙げ、最後には202メートルの展望台から東京を一望することができる東京都庁も無料で入ることができると伝えている。」
http://news.searchina.net/id/1633193?page=1
 <日本に留学しようキャンペーン。↓>
 「・・・今日頭条は・・・「日本人は留学生に差別の目を持っているか」とする記事を掲載した。
 記事は日本に留学する中国人学生の中には、日中関係の状況から日本国内で差別を受ける可能性を心配する人がいるとしたうえで、日本社会の中国人留学生に対する一般的な態度を紹介している。まず、大学の教授については「留学生に不公平な扱いするケースは非常に非常に少数である」とし、教授の態度が厳しい場合には留学生自身に問題があるかも知れないと説明。多くの教授は留学生に対して親切で関心を寄せてくれ、むしろ日本人よりも良く扱ってくれることもあるとしている。
 続いて、日本人学生の態度については「話のルールを守りさえすれば、非常に良くしてくれる。話すにも何かするにも、こちらのことを考えてくれる。一方で、彼らと深く交わるのは難しいのだが、これは外国人だけではなく、日本人どうしでも同じこと。国民性なのだ」と解説した。また、日本留学では多くの人がアルバイトをするが、店長やオーナーがどんな人物であるかを見極めることが大切と指摘。しかし、多くのボスは異国の地で辛かろうと気遣ってくれる」と伝えた。
 記事は「日本社会には留学生に対する差別は決して存在せず、多くの人が友好的に接してくれる。日本に行ったら、中国人どうしで固まることなく、日本人と多く交流し、コミュニケーションを取るべきだ」とアドバイスしている。」
http://news.searchina.net/id/1633190?page=1
 <日本の新幹線へのオマージュ。↓>
 「・・・今日頭条はこのほど、中国人旅行客が日本で撮影したという動画を掲載し、新幹線に実際に乗車してみて感じた「中国高速鉄道との違い」について紹介する記事を掲載した。
 記事がまず指摘したのは、新幹線の駅構内が「秩序正しく、誰一人として大声で騒いでいない」ことだ。人の流れはひっきりなしにあるにもかかわらず、聞こえてくるのは「足音」だけで、多くの利用客が駅構内にいるとは思えないほど静かだ。
 また、中国では地下鉄に乗るにも高速鉄道に乗るにも手荷物検査が必要だが、日本ではその必要がないことにも衝撃を受けたようだ。・・・
 では、乗車時に気が付いた違いとはどんな点だろうか。記事は、「まだ降りていないのに乗り込んでくる人」は見られず、降りる客を優先させる日本人の乗車マナーの高さを称賛した。さらに新幹線の車内では「中国のおばさん」のように大声でおしゃべりする人はおらず、車内でお菓子を食べる、物乞いをする、歌を歌ってお金を要求する人もいないと指摘。本や新聞を読んでいる乗客が多く、携帯電話やスマートフォンを触っている人が意外に少ないことも驚きだったと伝えた。
 そして最後に強調したのが、新幹線では先を争うように座席を取り合う人が「まったくいなかった」ということだ。中国ではバスでも地下鉄でも、空いている座席を確保するために、まだ乗客が降りきっていないのに車両に無理やり乗り込もうとする人がいるが、このようなマナー違反をする人は新幹線はもちろん、日本ではまったく見られなかったことに衝撃を受けたようだ。」
http://news.searchina.net/id/1633191?page=1
 <日本の自動販売機へのオマージュ。↓>
 「・・・捜狐は・・・日本の自動販売機は米国人に「未来にタイムスリップした」と感じさせるほどすごいと説明する記事を掲載した。
 記事は、米メディアCNNの10分間の番組「CNN10」がこのほど、日本の自販機事情について取り上げたことを紹介し、日本には約500万台の自動販売機があり、これは日本の人口25人につき1台の割合で自販機が存在することを意味し、日本の自販機「密度」は世界最高だと指摘した。
 また、日本では自販機で飲料だけでなく、バナナやおでんまでも販売されているとし、「自販機があれば、それだけで1日生活できる」と説明。さらに「たとえ夜であっても自動販売機には休みが必要がなく、24時間サービスを提供できるため、消費者は買いたいときにいつでも欲しい商品を購入できる」と指摘し、また、CNN10が日本のハイテク自販機はインターネットを通じて販売データを送信するため、売れ筋商品の補充も容易になっていると報じたことを紹介した。
http://news.searchina.net/id/1633189?page=1
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 一人題名のない音楽会です。

 余り知られていない作曲家によるロマン主義的なピアノ協奏曲を、今回もお送りしましょう。
 今回は、クット・アッテルベリ(Kurt Atterber)(注)によるものです。

(注)1887〜1974年。スウェーデンの作曲家。・・・チェロ奏者、音楽評論家としても活躍したが、職業的作曲家ではなく、ストックホルムの特許局の職員として大半を過ごした。」

Piano Concerto in B flat minor, Op. 37(1927〜36年) ピアノ: Love Derwinger 指揮:Ari Rasilainen オケ:Hannover Radio Philharmonic
https://www.youtube.com/watch?v=MCr3jU32KQQ
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      --対露百年戦争勝利を記念して(その4)--朝鮮戦争--

I 部 毛沢東の戦争としての朝鮮戦争--金王朝の生誕へ

1 始めに

 私自身の朝鮮戦争との「出会い」について、まずお話ししておきましょうか。
 ・・・(口述)・・・
 さて、今年の2月11/12日付のファイナンシャルタイムスに、脱北者である女性の長文のインタビュー記事が載っていました。
 彼女は、韓国に来てから一番ショッキングだったのは、朝鮮戦争は米国と韓国が始めたと教わっていたのに、実際には北朝鮮が始めたと知ったことであり、その後、彼女の手助けで彼女の母親と弟も脱北させたところ、この母親はいまだにそのことを信じず、証拠を見せろと言い続けている、と語っています。
 確かに、常識的には、彼女の現在の認識が正しく彼女のお母さんの認識は誤っている・・紆余曲折を経て、現在の欧米では「朝鮮戦争は<米国>との冷戦<に>おいて勝機を得ようとしたスターリンと毛沢東の支持・同意・協力を取り付けた金日成が、<支那>と共同で周到綿密に準備・企図した北朝鮮による先制攻撃<によって始まった>」、という説が圧倒的多数説になっている
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E6%88%A6%E4%BA%89 (以下、★と表示)
・・わけですが、それだけで朝鮮戦争を理解したつもりになっている彼女のような人が、話はそう簡単ではない、ということを早く分かってくれるといいのですが・・。
 本日のお話しは前半と後半に分かれており、前半(I 部)は、北朝鮮も韓国も、朝鮮戦争の当事者ではなかった、と言うと語弊があるけれど、少なくとも主要当事者ではなかった、ということであり、北朝鮮当局も、また、韓国民の過半も、そのことを自覚していると思われることを申し上げ、後半(II部)は、そういうこともあって、両者とも一種の、重篤な朝鮮戦争トラウマに苛まれており、それが、とりわけ、韓国民の異常な反日言動となって現れ続けていると解されることを申し上げたい、と思います。
 II部そのものが、想定外でI部から派生した話題なのですが、I部内において、金王朝生誕の「必然性」、及び、マッカーサー、ひいては、米国の外国における無能さ、が炙り出されたことも、想定外であった、と言えようかと思います。

2 ソ連・中共・米国の思惑

 (1)ソ連

 「1950年8月27日、スターリン<ソ連共産党>書記局長<(当時)>がチェコスロバキア<(当時)>のクレメント・ゴットワルト[(Klement Gottwald)]大統領に送った極秘文書<で、>・・・この年の7月初旬に開催された国連安保理で<、ソ連>が国連軍派兵に拒否権を行使しなかったことに対するゴットワルト大統領の問題提起に対し<、>「安保理で、米国が多数決決議を得られやすくしたもの」と説明した。また・・・「これによって、米国は韓国での軍事介入に巻き込まれ、軍事的威信と道徳的権威を失いつつある」と主張した。
 ・・・特に「米国が<朝鮮>戦争の介入を続け、<中共>まで<朝鮮>半島に引き込まれる事態になればどんな結果になるのか考えてみよう」とし<、>「<欧州>で社会主義を強化する時間を稼ぎ、国際勢力の均衡により、私たちに利益を抱かせるだろう」と強調した。・・・
 文書の最後に、スターリン・・・は撤収した国連安保理に<ソ連>が復帰すると言い<、>「これは米政府の好戦的な政策を暴露し、米国が安保理を利用するのを防ぐために効率的だったからだ」と書かれている。
 スターリン・・・は一級機密に分類された文書の保安維持のため、暗号名“Filipov”(フィリッポフ)を用い、プラハ駐在の<ソ連>大使に「口頭で、ゴットワルトに伝えろ」と指示した。・・・」
http://ratio.sakura.ne.jp/archives/2008/07/07234244/

 上掲文書については、「・・・北京大学歴史学部のキム・ドンギル[(Donggil Kim)]教授が2005年にロシアの3大国立文書保管所のひとつである社会政治史文書保管所(RGASPI)から入手した旧<ソ連>の資料・・・に含まれていた。・・・
 キム教授の研究結果は、キム教授が客員研究員であった米国のワシントンにあるウッドロー・ウィルソンセンターの「国際冷戦史プロジェクト」論文集に<6>月25日、発表され<た?>。・・・」[中央日報 Joins.com 2008.06.25 14:27:20]

 中共当局がこの文書を紹介した研究成果の発表を北京大学の中共人たる教授に許したこと、この文書に対するロシア側の疑義表明等がなかったようであること、から、この文書そのものの信憑性は間違いないでしょう。
 今度は、スターリンが果たして真意を語っているのかどうか、です。
 まず、1949年10月の中共の建国
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E8%8F%AF%E4%BA%BA%E6%B0%91%E5%85%B1%E5%92%8C%E5%9B%BD%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2
の後の1950年1月からの(★)「常任理事国のソ連<の>中<共>代表権問題で<の>他の4常任理事国と<の>対立<の下、>安保理をボイコットし欠席していた<ために、>ソ連抜きの安保理決議となった」
http://www.y-history.net/appendix/wh1602-001.html
https://www.wilsoncenter.org/publication/did-stalin-lure-the-united-states-the-korean-war-new-evidence-the-origins-the-korean-war ([]内)
という、当時のソ連による公式説明については、7月初めに、インドが、ソ連に、1950年6月25日の安保理決議を受け入れる見返りに中共の国連代表権を米国が認める、という調停案を提示するも、ソ連がこれを拒否し、7月13日には事実上前段を撤回する形の調停案を提示するも、これをもまた拒否したことから、ウソであることは明らかであり、「朝鮮戦争の勃発直後に招集された国連安保理事会は、6月25日から7月7日までの間に、朝鮮戦争への国連の介. 入を決定づける三つの決議を採択した」ところ、6月25日の北朝鮮に敵対行為の中止と38度線への撤退を求めた決議が行われたことを知った上で、ソ連代表は、「最も重要な、6月27日の「軍事措置に関する決議」が行われることも事前に知らされつつ、スターリンの命令で出席しなかったのです。
R:\TEMP\Temporary Internet Files\IE\37DGQT3V\AN00224504-19920228-0131.pdf
 そういうわけですから、スターリンが明かした、その、欧州云々という理由には相当な合理性がある(注1)以上、それが彼の真意ではないと考える根拠はないでしょう。

 (注1)キム教授は、スターリンによる後付けの弁明であるとの米国人教授の指摘に対し、この極秘文書が発出されたのは、既に制空権を米空軍に奪われていたとはいえ、北朝鮮軍が釜山橋頭保に米韓軍を追い詰めていた時期であり、弁明する必要などスターリンにはなかったはずだ、としている(上掲)ところ、ここで、私なりに補足しておこう。
 当時、ソ連が資金援助をしていたフランス共産党が、フランスでは第一党であって
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9%E5%85%B1%E7%94%A3%E5%85%9A
直近の1946年11月の総選挙で、空前絶後の28.26%の得票率に達していた
https://en.wikipedia.org/wiki/Italian_Communist_Party
し、同じくソ連が資金援助をしていたイタリア共産党も、直近の1948年の総選挙で、空前絶後の31.0%の得票率に達していた。
https://en.wikipedia.org/wiki/Italian_Communist_Party

 すなわち、スターリンが、ソ連が北朝鮮による韓国侵攻を認めたのは、西方で欧州全体のソ連の勢力圏への編入戦略を遂行するために東方での憂いを絶つためだった、と述べているのはホンネだろう、ということです。
 問題は、どのように、スターリンが東方での憂いを絶とうとしたか、です。
 今にして思えば、そもそも、ソ連、すなわち、スターリン、が、中共に、国連、就中安保理、の代表権を本当に与えたいと思っていたはずがありません。
 スターリンは、毛沢東について、「小物扱いしており、革命の熱気が高まればすぐ溶けるという意味合いで「マーガリン共産主義者」などと呼」びつつ、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%82%B7%E3%83%95%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%B3
日本のスパイではないか、つまりは面従腹背ではないか、と疑っていた(コラム#8628)<(注2)>のですからね。

 (注2)その典拠を、ウィキペディア上掲は、チアン & ハリデイ『マオ―誰も知らなかった毛沢東』下巻p. 83としているところ、原文(英語版)である、『MAO--The Uncnown Story』に当たってみたら、毛沢東が張学良とつるんでいるとの情報を得、ソ連共産党内の支那関係者達を尋問して毛について知っていることを吐き出させ始めたところへ、西安事件が起き、その直後に、毛沢東が日本及びトロツキスト達の手先であるとの心証を得た、とある。(PP185)
 但し、この箇所に典拠は付されていない。
 しかし、私は、かねてより、マルクス主義を手段として利用しただけの、ソ連のマルクスレーニン主義/スターリン主義に対して、毛は嫌悪感を抱いていたはずであるという趣旨の指摘をしてきたところ、マルクス主義のためのマルクス主義を追求していたトロッキズムに毛がシンパシーを覚えていた可能性は大いにあると思うので、このスターリンの毛沢東観はもっともらしい、と思う。

 (ちなみに、このスターリン極秘文書については、朝鮮戦争の英語ウィキペディア
https://en.wikipedia.org/wiki/Korean_War (以下、☆と表示)
には、全く言及がありません。
 こんな重要な話がスルーされていることについては、中共当局のウィキペディア工作のせいであるはずがなく、自国の国際情勢音痴ぶりを正視したくないと推察される(前出の米国人教授ら)米国人識者達の関与が疑われるところです。)

 以上から、ソ連が安保理をボイコットしていた最大の目的は、北朝鮮の韓国侵攻に関する安保理で北朝鮮に不利な決定を行わせるためだった、と考えられるのです。
 具体的には、私は、当時のスターリン(ソ連)の思惑を次のようなものであった、と見ています。
 すなわち、北朝鮮に韓国を攻撃させ、米国が、次いで中共が朝鮮半島に軍事介入するのを余儀なくさせることによって、ソ連にとって接壌諸国中の最大の潜在敵国たる中共に、中長期的に、ソ連(保護国のモンゴルを含む)に対して脅威を顕在化させないためであった、と。
 中共が米国と戦えば、米中関係は敵でも味方でもない状況から明確な敵対関係へと転換することになり、既に事実上始まっていたところの、米ソ冷戦における中共の米国との提携可能性が排除されるとともに、中共が国連代表権を取得して国際的政治力を増大させることも不可能にさせることができるのですからね。
 なお、付随的には、東北アジアと中東・欧州の海上交通の要衝である台湾の中共による併合、第一次インドシナ戦争をフランスとの間で戦っていたベトナム
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E4%B8%80%E6%AC%A1%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%89%E3%82%B7%E3%83%8A%E6%88%A6%E4%BA%89
の最大の支援勢力に中共がなることによるベトナムの中共の勢力圏への組み込み、等、を防止する目的もあったであろう、とも。

 米軍の反攻を受けた「金日成は人民軍が崩壊の危機に瀕するとまずソ連のスターリンへ戦争への本格介入を要請したが、9月21日にソ連が直接支援は出せないので、<中共>に援助を要請する様に提案があ<り、>諦められない金日成はソ連大使・・・に再度直接ソ連軍の部隊派遣を要請すると共に、スターリンにも書簡を送っ<たが、>返事は変わらず、10月1日にスターリン自身が金日成に「<中共>を説得して介入を求めるのが一番いいだろう」と答えてきた」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E6%88%A6%E4%BA%89#.E4.B8.AD.E5.9B.BD.E4.BA.BA.E6.B0.91.E5.BF.97.E9.A1.98.E8.BB.8D.E5.8F.82.E6.88.A6
というのは、ほくそ笑みながらのスターリンの予定通りの対応であり回答であったはずです。

 この時点で、金日成は、ソ連に梯子を外された、騙された、乗せられた、ということをはっきり自覚した、と私は想像しています。
 その結果、彼は、マルクスレーニン主義(スターリン主義)を、ロシア膨張主義の隠れ蓑に過ぎないとの毛沢東の見解(と私が想像しているもの)と同じ見解を抱くに至り、マルクスレーニン主義を捨て去る決意を固めたのではないか、とも。

 (2)中共

 前回のオフ会で、私は次のように指摘したところです。↓

 「<中共の>朝鮮戦争<参戦>・・・の理由について、対ソ抑止目的だったのでは、という私見を・・・コラム#8635・・・<で>述べた。
 もう一つの・・・理由として、養成・錬成してきた支那の武士たる兵士達を、旧日本軍や蒋介石軍と戦ったところの、ゲリラ戦でも政略・謀略戦でもない、近代戦争に初投入し、果たしてまともに養成・錬成されているかを見極めたい、そして、実戦を通じて更なる錬成度を達成させたい、ということがあったのではないか。・・・毛にとっては、政略・謀略戦の延長でしかない台湾侵攻よりも、近代戦たる朝鮮戦争参戦の方が重要だった、というわけだ。
 ・・・なお、・・・毛が米国(や英国)が大嫌いだったこと・・その米国が<自分が>大好きな日本軍民を大虐殺したことに怒っていたはずであること・・から、米国らに一泡吹かせたいと思った、ということもあったのではなかろうか。」(コラム#8852)
 
 すなわち、毛沢東は、上述した、スターリンの思惑を読み切った上で、その思惑に乗せらたふりをしつつ、ホンネベースでは、
第一に、北朝鮮をソ連の保護国から自国の保護国へと切り替えさせることで対ソ抑止をより強固なものにする、
第二に、ソ連から軍事援助を得るとともに米軍と戦わせることで、中共軍を近代軍へと作り変える、
第三に、中共にとってホンネでは敵であるけれど表見的には敵でも味方でもないけれど、ソ連にとっては、既に単なる敵となっていたところの米国に、朝鮮半島全体を保護国化させない形で朝鮮半島に(半永久的に米軍を駐留させることを含む)コミットをさせることで対ソ抑止を盤石なものとする、
ことを狙って朝鮮戦争に中共軍を参戦させた、と私は見てきたわけです。

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[狐と狸の化かしあい]

 スターリンはあらゆる屁理屈を並べ立てて毛沢東を参戦させようとした。↓

 「朝鮮戦争の際、毛沢東は「中共軍の装備は貧弱であり、数個師団では米軍に対抗できない」と考え<ていたが、>・・・スターリンは次のような手紙を毛沢東に送った。「私としては(<米国>との全面対決を)恐れるべきではないと考える。我々は<米国>、<英国>よりも強いからだ。もし戦争が不可避ならば、今戦争になった方がよいだろう。<米国>の同盟者として日本軍国主義が復活し、<米国>と日本にとって李承晩の朝鮮(韓国)が大陸における彼らの前線基地となる数年後よりも、今がいいのである」。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%82%B7%E3%83%95%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%B3

 毛沢東は、スターリンの思惑を読み切った上で、スターリンに協力的な姿勢・行動を採った。↓

 「スターリンは毛沢東の許可を得ることを条件に南半部への侵攻を容認し、同時にソ連軍の軍事顧問団が南侵計画である「先制打撃計画」を立案した。また12月にはモスクワで、T34戦車数百輛をはじめ大量のソ連製火器の供与、ソ連軍に所属する朝鮮系軍人の朝鮮人民軍移籍などの協定が結ばれた。
 これを受けて、同年5月に<中共>を訪問した金日成は、「北朝鮮による南半部への侵攻を<中共>が援助する」という約束を取り付けた。
 <こ>のソ連や中国との協定に基づき、1949年夏より独ソ戦でスターリングラードの戦いなどに参加した朝鮮人ソ連軍兵士五千名が帰国、また<中共>からは、朝鮮族で構成された国共内戦の経験を持つ東北人民解放軍の3個師団と2個連隊が朝鮮人民軍に移籍され、3万を超える実戦経験者が増強された。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E6%88%A6%E4%BA%89
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 ここでは、新たに、毛沢東の第四の狙い・・スターリンに貸しを作ることで、ソ連から中共に核製造技術を供与させること・・について説明しておきたいと思います。(下掲「中共の核保有の経緯」参照。)

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[中共の核保有の経緯]

 「米国の最初の<核爆発>装置が完成する12日前、イタリア生まれの物理学者のブルーノ・ポンテコルボ(Bruno Pontecorvo)<(注3)>は、その仕様書(design)をNKVDワシントン駐在員(rezidentura)に渡した。その4年後、スターリンは自分自身の核爆弾を得た。ポンテコルボは亡命し、1993年にモスクワのベッドで平和裏に死んだ。」
http://www.nytimes.com/2016/05/15/books/review/the-secret-war-by-max-hastings.html?hpw&rref=books&action=click&pgtype=Homepage&module=well-region®ion=bottom-well&WT.nav=bottom-well&_r=0

(注3)1913〜93年。父親がユダヤ教信奉者ではないユダヤ人。ローマ・ラ・サピエンツァ大卒。フランスで研究中に、フランス共産党に入党し、1940年に米国に亡命。1949年から滞在していた英国から、1950年にソ連に亡命。
https://en.wikipedia.org/wiki/Bruno_Pontecorvo

 「毛沢東は<米国>による日本への原子爆弾投下に魅了され、原子爆弾を持ちたいと強く願い続けたといわれる。財政部長<当時の>薄一波<(コラム#765、5139、7568、7570)>によれば毛沢東は1950年代前半を通じて、すべての会議において<中共>による原爆所有について言及していた。しかし毛沢東は外交的配慮から、対外的には原爆への渇望を隠蔽し、「原爆など不要、人民に頼るべき」と発言しており、1946年には「張り子の虎」発言を行っている。しかしスターリンは<中共>への脅威と不信感を持っていたため技術供与・・・<を>了承しなかった。
 1949年8月29日、ソ連最初の核実験・・・がセミパラチンスク核実験場で行われ・・・<米国>による「核兵器独占」状態は終了する。
 1950年から開始されていた朝鮮戦争<(〜1953年7月27日)★>中の1953年2月2日に・・・アイゼンハワー大統領が一般教書演説において、<中共>への原爆投下の可能性について言及し、<中共>に対して核使用による脅迫を行ったため、毛沢東はスターリンに対して原子爆弾の技術提供を要求する口実ができた。毛沢東は<中共>の核物理学者銭三強<(コラム#8628)>をモスクワへ派遣するが、ソ連側はこれを拒絶する。しかし銭三強は以降もソ連の核研究施設に入れてもらうよう交渉を三ヶ月も続けた。・・・
 スターリンは<中共>に核兵器を持たせたくなかったことも手伝って、朝鮮戦争の終結を決断したといわれる。スターリンは終結予定日は1953年2月28日とすることをソ連指導部に伝えた。しかし3月5日、スターリンは心臓発作で死去する。・・・
 スターリン死後、ソ連指導部は西側諸国との緊張緩和を目指し、<中共>へも停戦に協力するよう説得を始めた。しかし毛沢東は原爆を渇望するあまり朝鮮戦争の継続に固執した。結局、米軍が細菌兵器を使用したというプロパガンダを巡ってソ連政府は<中共>政府を威嚇して、毛沢東は5月にようやく停戦に応じた。毛沢東が朝鮮戦争の終結に同意したため、ソ連新クレムリンは<中共>に大型工業計画を売却する。これを受けて6月15日、毛沢東は軍事大国を目指した第一次五ヵ年計画を提起する。
 翌1954年7月に<中共>は台湾侵攻を開始する(台湾海峡危機)が、これは再び<米国>との対立を作ることで、ソ連に原爆製造技術を要請するためであった。9月3日には金門島に砲撃を開始する。10月1日にソ連代表・・・フルシチョフが訪中するが、これはスターリン時代には考えられないことだった。フルシチョフは15企業の売却と5億2000万リーブルの借款を約束した。原爆については毛沢東が強く交渉し、ソ連側は<中共>の原子炉建設援助を不承不承承諾した。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E3%81%AE%E6%A0%B8%E5%AE%9F%E9%A8%93

⇒興味深過ぎる記述であり、史実の検証をしたいところですが、いずれにせよ、毛沢東を敵視していたスターリンの尻の毛さえ抜くことができた毛沢東にしてみれば、フルシチョフを誑かすことなど、朝飯前であったことでしょう。
 朝鮮戦争からは離れますが、この際、それ以降のことにも触れておきましょう。(太田)

 「1955年4月にはソ連<は>サイクロトロンと原子炉を<中共>のために建設することに同意。・・・
 1957年6月にはモロトフらスターリン派がフルシチョフ政権の転覆を企てるなどし、ハンガリー動乱はソ連全体を揺さぶっていた。各国の共産党指導者はフルシチョフを支持したが毛沢東は簡単には承諾せず、原爆製造技術供与を交換条件に付け加えた。ソ連側はこれに応じ、10月15日モスクワは<中共>に原爆製造の模型提供を約束する協定に署名した。「ソ連原爆の父」といわれるイーゴリ・クルチャトフの反対を押し切り、フルシチョフは、エフゲニー・ヴォロビエフを中国に派遣し、さらにR-2短距離地対地ミサイル二基を提供した(R-2は元々はソ連がドイツのV2ロケットを改良した)。・・・ミコヤンは「ソ連は<中共>のために核兵器工場を建設した」とのちに証言している。・・・
 1959年2月にソ連は原子力潜水艦関連の技術供与に承諾するが、ソ連側<は中共>の態度に不信感を強めていた。前年1958年9月に<米国>製の空対空ミサイルサイドワインダーが不発のまま中国に着弾した際にソ連側が調査を依頼したが、<中共>側は「そのようなものは発見できなかった」と回答してきた。これを受けて、フルシチョフは1959年2月にR12ミサイルに関する情報移転を差し止めた。すると、<中共>側はすぐに「サイドワインダーミサイルが見つかった」と報告してきた。しかしミサイルはすでに<中共>側によって分解されており、誘導システムは取り去られていた。このような<中共>側の態度に<接>してフルシチョフは核開発技術移転をスピードダウンするように命じ、1959年6月20日には原爆関連の援助を中止した。

⇒すっかり誑かされて、中共にとっての金の卵を産む鶏化していたフルシチョフ/ソ連との関係を、核兵器開発の目途こそ立っていたとはいえ、この時点で絶つ必要などなかったにもかかわらず、毛沢東が、あえてそれに踏み切ったことは、彼がどれほどロシア/ソ連が嫌いであったかを物語っています。(太田)

 1959年9月に<米国>との緊張緩和を模索するフルシチョフは訪米する。これに際して毛沢東は世界的に毛沢東主義を宣伝する機会とした。同1959年9月にインドとの間で中印国境紛争が起きた。また印パ戦争においてはパキスタンを<中共>が軍事援助し、インドをソ連が支援していた。
 ソ連側の技術供与で<中共>初の観測ロケットT-7は1960年2月19日に南匯区の射場より打ち上げられ、成功した。
 1960年6月5日に北京で開かれた「世界労働組合連盟」会議において、<中共>は反ソ連の世論を作ろうとした。「フルシチョフの平和共存論は間違いで、資本主義が存在する限り戦争は不可避である」と主張、ソ連側は「<中共>はわれわれの顔につばを吐きかけた」として、中ソ関係は対立状態を深めた(中ソ対立)。6月21日のブカレストの会議では、ソ連は<中共>の主戦論を批判し、フルシチョフは帰国後、1000人以上のソ連人顧問を<中共>から帰国させ、援助停止を行った。
 ソ連の専門家が<中共>を離れた僅か17日後の1960年9月10日、<中共>製推進剤が使われたR-2ロケットが打ち上げに成功した。その二ヵ月後、<中共>の短距離弾道ミサイル東風1号の初の打ち上げが1960年11月5日に行われ成功した。1962年3月21日には準中距離弾道ミサイル東風2号が初めて試射されたが、失敗した。
 1962年11月には中印国境紛争において大規模な衝突・・・
 冷戦が激化していく中、毛沢東は1963年12月に<中共>のミサイル防衛システム能力を開発することを決定する。・・・
 1964年6月29日、東風2号の改良型東風2号Aの発射試験が成功(のち1966年には配備が始められた)。・・・
 そして1964年10月16日、・・・<中共は、>初の・・・核爆発に成功した。・・・同10月27日には、核弾頭を装備した東風2号Aミサイルが酒泉衛星発射センターより発射され、20キロトンの核弾頭がロプノールの標的上空569mで爆発した。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E3%81%AE%E6%A0%B8%E5%AE%9F%E9%A8%93
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 私は、金日成は、以上縷々述べてきた中共の思惑についても、その全部とは言わないまでも、相当部分は、朝鮮戦争休戦成立までには察知するに至っていた、とも想像しているのです。(注4)

 (注4)「中共当局の北朝鮮当局に対する影響力(leverage)は限られている。
 何となれば、この閉ざされた国(Hermit Kingdom)は、<中共当局に対する>警戒心を決して解いたことなどないからだ。」
http://foreignpolicy.com/2017/03/08/north-korea-doesnt-trust-china-an-inch/
(3月9日アクセス)
 このコラムの見出し↑を見て、まさにその通り、と膝を叩いた次第。
 コラムの中身はちょっとがっかりだったが・・。

 その結果、彼は、マルクスレーニン主義を捨て去る決意を固めていたところ、毛沢東主義(マルクス主義/人間主義)の採用もまたできない、という決断を下すに至っていたのではないか、と。 
 スターリン主義も毛沢東主義も捨て去った金日成が採用したのが、ソ連型社会主義・・一党独裁、生産手段の国有化、中央集権、計画経済、官僚制などを特徴とする・・
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E9%80%A3%E5%9E%8B%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E4%B8%BB%E7%BE%A9
の、一党独裁を、金日成家の君主制で置き換えたところの、広義のマルクス主義、の異端たる金日成教(主体教?)とでも形容すべき、狂気を孕んだ、北朝鮮全国民強制加入の新興宗教(カルト)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%BB%E4%BD%93%E6%80%9D%E6%83%B3
です。
 (カルトとしては、ほぼ同じ時期(1954年)に韓国で創設された文鮮明の統一教会・・教祖が救世主で教主としての地位が世襲される、キリスト教の異端で反共を旨とする・・
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%96%E7%95%8C%E5%B9%B3%E5%92%8C%E7%B5%B1%E4%B8%80%E5%AE%B6%E5%BA%AD%E9%80%A3%E5%90%88
が、ある意味、この金日成教と好一対ではないでしょうか。)
 なお、金日成が、朝鮮戦争後、直ちに核開発に取り組みだした
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E6%A0%B8%E5%95%8F%E9%A1%8C
のは、対米抑止のためだけではなく、ソ連と中共に対する抑止のためでもあった、と解すべきでしょう。
 北朝鮮が次第に延伸させてきた弾道ミサイルの射程と、この3国それぞれの首都との距離を考えれば、これまで、北朝鮮の核開発を最も脅威に感じてきたのは、米露中のうち中共のはずなのであり、それは、中共が、そのミサイル防衛システムにおいて、現時点においてもなお、米国が韓国に配備しつつあるTHAAD
https://ja.wikipedia.org/wiki/THAAD%E3%83%9F%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%83%AB
に相当する装備を開発するという話が聞こえてこないこと、米軍や自衛隊が保有している、イージス艦搭載のSM-3に相当する装備についても本格配備段階にないこと、SM-3のいわば陸上版である、米国保有のGBI
https://ja.wikipedia.org/wiki/GBI_(%E3%83%9F%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%83%AB)
を開発する話も聞こえてこないこと、同じく米軍や自衛隊が保有している、パトリオットPAC-3に相当する装備も開発中に過ぎないこと、
https://en.wikipedia.org/wiki/HQ-9
を想起すれば、なおさらです。
 にもかかわらず、中共が北朝鮮の核開発を中止させようとしてこなかった理由については、太田コラム読者の皆さん(だけ?)はご承知の通りです。

 (3)米国

 「<米>軍は朝鮮統治を開始する際に、統治のための周到な準備が・・・出来ておらず、朝鮮の言語的・政治的事情に関する知識の無いまま朝鮮に到着した。そのため、<米>軍政庁による政策の多くは、軍政庁の意図に反して南朝鮮に不安定要素をもたらす効果を持っ・・・た。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%A8%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E9%99%B8%E8%BB%8D%E5%8F%B8%E4%BB%A4%E9%83%A8%E8%BB%8D%E6%94%BF%E5%BA%81

⇒2003年の対イラク戦争の際、米国が占領後のイラク占領統治のまともな青写真を持っていなかったことを思い起こさせます。
 太平洋戦争当時は、日本に対しては占領統治の準備をしていたけれど、朝鮮半島までは手が及ばなかったといったところでしょうか。
 とまれ、米国は、対外政策に関し、当時に比べても、イラク戦争時には更に「退化」してしまっていたようです。
 況や、トランプを大統領に選んでしまった現在においてをや、です。(太田)

 「トルーマン政権はこの侵攻に対し準備を整えていなかった。
 朝鮮は、ディーン・アチソン(Dean Acheson)国務長官が示(outline)した戦略的なアジアの防衛範囲(Asian Defense Perimeter)内に含まれていなかった。
 <そもそも、米>軍事戦略者達は、ソ連に関して、東アジアよりも欧州の安全保障により関心があった。
 それと同時に、同政権は、中共かソ連が関わることを決めた場合、朝鮮での戦争が直ぐにもう一つの世界戦争へと拡大することについても心配していた。
 朝鮮に対して、米国の変化する態度、及び、米国が関わるかどうかは、日本だった。
 とりわけ、支那が中国共産党の手に落ちてからは、米国の東アジア専門家達は、日本を、この地域における、ソ連と中共に対する、枢要な平衡錘(counterweight)と見た。
 国益的に直接韓国を対象とした米国の政策はなかったけれど、その日本との近接が韓国の重要性を増大させた。
 ・・・日本の安全保障には非敵対的な韓国が必要であるとの認識が、トルーマンの軍事介入の決定を直接的にもたらしたのだ。…
 肝心なの…は、北朝鮮の攻撃への米国の対応は、米国の日本に対する政策の諸考慮に由来する、という点だ。・・・
 <こういう次第で、>当時、韓国には大規模の外国の諸駐屯部隊はなかったけれど、日本には大規模な米国の諸駐屯部隊、及び、空軍、がいたわけだ。」(☆)

⇒何ということはない。
 米国は、東アジアにおいて(も?)、幕末・維新期以降の日本と全く同じ、対露(ソ)安全保障観に、この時点でようやく立つに至っていた、というわけです。
 そして、日本と同じ理由で、朝鮮半島・・但し、今回は南半分・・の防衛に乗り出さざるをえなくなった、というオチまでつきます。
 韓国側が、このこと・・自分達の立場の手段性・・をどう受け止めたか、いや、韓国は、このことを受け止めることから逃げ回っているのではないか、ということが問題になってきます。(太田)

 「金日成は李承晩を倒し統一政府を樹立するために、・・・スターリンに南半部への武力侵攻の許可を求めたが、<その時点では>・・・スターリンは許可せず、12月にソ連軍は朝鮮半島から軍事顧問団を残し撤退した。1949年6月には、<米>軍も軍政を解き、司令部は軍事顧問団を残し撤収した。」(★)

⇒北朝鮮に装備をふんだんに与えたソ連と違って、後出のように、韓国軍に碌な装備を与えないまま撤退したことは、米国の犯した第一の大ミスでした。(太田)

 「韓国の陸軍は<米在韓>軍事顧問団(Korean Military Advisory Group=KMAG)によって訓練されていた。
 朝鮮戦争が始まった時点では、KMAG団長のウィリアム・リン・ロバーツ(William Lynn Roberts)将軍は、韓国陸軍に至上の信頼を表明しており、いかなる北朝鮮軍侵攻も、単に「標的訓練(target practice)」を行わせてくれるだけだろう、と自慢していた。」(☆)

⇒仮に韓国軍の練度がロバーツの言う通りだったとしても、碌な装備を与えていなければ北朝鮮軍に対抗できるわけがないのであり、ロバーツの軍人としての無能さには度し難いものがあります。(太田)

 「1950年1月12日、・・・アチソン<米>国務長官が、「<米国>が責任を持つ防衛ラインは、フィリピン - 沖縄 - 日本 - アリューシャン列島までである。それ以外の地域は責任を持たない」と発言(「アチソンライン」)し、台湾、インドシナなどとともに朝鮮半島には言及がなかった・・・。またアチソンは、広く知られる上記の発言のあとを「<米国>の安全保障に関するかぎり・・・これらの地域への軍事的攻撃について何らかの保障ができる者はいない。そのような攻撃が行われた際には(略)最初は攻撃された人々に頼るしかないのだ。」とつづけ、彼らが断固として戦うならば国連憲章に基づき国連の最低に訴えることができるだろうと、最後をあいまいに結んだ。・・・

⇒アチソンは、政治家失格の言わずもがなのことを言ったのであり、これが米国の犯した第二の大ミスでした。(太田)

 <しかし、韓国軍は、>米韓軍事協定<(注5)>によって重装備が全く施されておらず、戦車なし、砲91門、迫撃砲960門、航空機22機(それも練習機)を有するのみであった。・・・

 (注5)それがいかなるものか、調べがつかなかった。(太田)

 さらに、極東地域の<米>軍を統括していた連合国軍総司令官・・・マッカーサーは占領下に置いた日本の統治に専念し、1945年8月に着任して以降、朝鮮半島に足を運んだのは1回のみだった。金日成はこれらを「<米国>による西側陣営の南半部(韓国)放棄」と受け取った。」(★)

⇒朝鮮戦争勃発時まで、マッカーサーは、朝鮮半島の日本にとっての安全保障上の重要性に全く気付かなかったと解さざるをえませんが、これだけで、ロバーツとはやや違った意味ではあるけれど、いかに、彼が軍人として無能であったかを物語っています。(太田)

 毛沢東はかなり早い時期、それもまだ北朝鮮軍が有利に戦争を進めていた7月の段階で<中共>の戦争介入は不可避と考えており、<ソ連から空軍による支援を取り付けた上で(☆)、>中朝国境に<中共>の最精鋭部隊であった第4野戦軍から3個兵団を抽出し、東北辺国防軍を創設し準備を進めていた。」(★)

 「8月20日、<毛沢東の指示に基づき、>周恩来首相は、・・・中共の安全保障を確保するために、朝鮮国連軍に対して軍事介入するだろう、と国連に通告したが、トルーマン大統領は、この連絡を「国連を脅迫しようとする露骨な試みである」として取り合わなかった(dismissed)。」(☆)

⇒北朝鮮軍が、国連軍を海に追い落とすべく、釜山橋頭保の戦い(1950年8月〜9月)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%9C%E5%B1%B1%E6%A9%8B%E9%A0%AD%E5%A0%A1%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84
を行っていた真っ最中に、毛沢東がこのような警告を米国に対して発したのは、北朝鮮がこの戦いに勝てないことを見通していた上で、国連軍を38度線以北にまで進撃させないように予め釘を刺した、と想像されます。
 それに対する、このようなトルーマン、というか、米政府上層部、の対応は、天然という形容がぴったりきそうな残念なものだったわけです。(太田)

 「<毛沢東は、>仁川上陸作戦についても、<現地中共参謀の上申を受けたところの、事実上の朝鮮派遣中共軍総司令官の周恩来の報告に基づき(☆)、>その可能性を予測し金日成に警告を与えていたが、金日成は警告を無視したため、北朝鮮軍は<9月15日の>仁川への国連軍の上陸作戦を阻止できず、<容易に>38度線突破を許す事になったことに幻滅していた。 <毛沢東は、米国への最終的>警告<も>外交ルートを通じて<行っ>ている。<すなわち、>インドの<駐中>大使カヴァーラム・バニッカーは10月2日の深夜に周恩来の自宅に呼ばれ、周より「もし<米>軍が38度線を越えたら、<中共>は参戦せざるを得ない」と伝えられた。バニッカーは10月3日深夜1時30分にインド本国に報告し、朝には<ちょっと前まで宗主国であった英国の>首相にも伝えられ、ほどなく<米>国務省にも届いたが、・・・アチソンはバニッカーを信用しておらずこの情報が活かされる事はなかったが、実際は正確な情報であった。」(★)

⇒中共当局、とりわけ、毛沢東の、国際政治軍事情勢把握・対処能力の卓越さに、改めて感心させられます。(彼は、内政面でこそ、大きな失敗を繰り返しましたが・・。)
 仮に米国がこの最終警告に従ったら、それを手柄にすべく、北朝鮮には、警告を発した旨を伝えてあったと思われますが、毛沢東は、米国はこの警告を無視するだろう、と読んでいたのではないでしょうか。(太田)

 <9月27日、トルーマン大統領はマッカーサーに対して、ソ連ないし中共の参戦なき限り、38度線以北での作戦を禁じるとの指令を送っていたが、9月29日に就任してから日が浅いマーシャル国防長官(前国務長官、元陸軍参謀総長)は、38度線以北への進軍はご随意に、との親展連絡を<マッカーサーに>送っている。(☆)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AB >

⇒米国も、「文民統制」が貫徹していたとは到底思えませんねえ。(太田)

 <10月1日、韓国軍が後退する北朝鮮軍を追って38度線以北に進撃、7日には、国連の<正式>承認の下、国連軍も後を追った。(注6)(☆)>

 (注6)韓国軍も国連軍司令官の指揮下にあったが、韓国軍を含む各国軍は「国連軍司令<官>に対し不同意権を留保していた」ところの、「事実上の多国籍軍」だった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%9A%E5%9B%BD%E7%B1%8D%E8%BB%8D
 「憲章第46条により安全保障理事会は軍事参謀委員会の援助により、兵力使用の計画を作成し、憲章第47条3項により軍事参謀委員会が兵力の指揮に関して助言する<ことになっているが、>これまで、この兵力提供協定を結んでいる国がないため、国際連合憲章第7章に基づく、安保理が指揮する国連軍が組織されたことはこれまで一度もない。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%80%A3%E8%BB%8D

 ・・・10月15日、<ウエーク(Wake)(☆)
https://en.wikipedia.org/wiki/Wake_Island#Korean_War
・・★はトラックとしているが誤り(太田)>島において、トルーマンとマッカーサーによる会談が行われた。この会談は中間選挙が近づいて支持率低迷に悩むトルーマンがマッカーサー人気にあやかろうとする性質のもので、あまり重要な話はなされなかったが、トルーマンがバニッカーからの情報を聞いて以来気になっていた<中共>の参戦の可能性について質問すると、マッカーサーは「ほとんどありえません。」と答え、さらに「最初の1〜2ヶ月で参戦していたらそれは決定的だったでしょう。しかし我々はもはや彼らの参戦を恐れていません」と自信をもって回答している。・・・

⇒ここでもマッカーサーの軍人としての無能さがダメ押し的に露呈しています。(太田)
 <10月2〜5日、中共当局内で、中共軍を実際に参戦させるかどうか、議論になり、反対意見が多かったが、最終的に毛沢東が押し切って参戦を決めた。(☆)>
 <米>軍は、・・・多数の情報部員を北朝鮮内に送り込んでいた。10月25日・・・<1人の情報部員から>30万名の<中共>兵が鴨緑江を渡河したという情報を報告があり、数日内に同様な情報が他の複数の情報部員からも報告されたが、トルーマンは、CIAがこの情報も含めて総合的に検討した結果として、ソ連が全世界戦争を決意しない限り<中共>も大規模介入はしないとの分析を信じており安心しきっていた。

⇒これまで累次指摘してきたことですが、米国の指導層が、生来的な外国音痴であることが、ここからも見て取れます。
 マッカーサーら軍人達の軍事無能ぶりが嗤えないわけです。(太田)

 またマッカーサーの元にも同様な情報が届けられたが、この情報は連合国軍最高司令官総司令部参謀第2部 (G2) 部長・・・ウィロビーにより、マッカーサーに届けられる前に、マッカーサーの作戦に適う情報に変更されていた。第10軍団参謀ジョン・チャイルズ中佐は「マッカーサーは<中共>が朝鮮戦争に参戦するのを望まなかった。ウィロビーはマッカーサーの望むように情報を作り出した。」と指摘している通り、マッカーサーはウィロビーより下方修正された情報を報告され信じ切っており、鴨緑江を越えて北朝鮮に進撃した<中共>兵は30,000名以下と判断し、鴨緑江に向けて国連軍の進撃を継続させている。・・・

⇒こうなると、マッカーサーは、軍人として云々以前に、そんな情けない部下達を作ってしまったところの、管理者としても無能極まる人物であった、と言わざるを得ません。(太田)

 前線からはその後も次々と<中共>軍大部隊の集結に関する報告が寄せられたが、マッカーサーはこの増大する証拠を承認するのを躊躇った。前線部隊は不吉な前兆を察知しており、第1騎兵師団師団長は先行している第8連隊の撤退の許可を司令部に求めたが許可されなかった。そしてついに11月1日に<中共>軍が大規模な攻勢を開始、韓国軍第6師団の第2連隊が国境の南90マイルで<中共>軍に攻撃され、第6師団は壊滅状態となった。・・・
 毛沢東は、一時的に撤退した<中共>軍を国連軍が深追いしてくれることを望んだが、マッカーサーは毛沢東の目論み通り、<中共>の本格介入に対しては即時全面攻撃で速やかに戦争を終わらせる他ないと考え、鴨緑江に向けて進撃競争の再開を命じると共に、統合参謀本部に対し、<中共>軍の進入路となっている鴨緑江にかかる橋梁への爆撃の許可を要請した。その際マッカーサーはトルーマンに宛てて「北朝鮮領土を中共の侵略に委ねるのなら、それは近年における自由主義世界最大の敗北となるだろう。アジアにおける我が国の指導力と影響力は地に墜ち、その政治的・軍事的地位の維持は不可能となる」と脅迫じみた進言を行い、トルーマンと統合参謀本部は従来の方針に反するマッカーサーの申し出を呑んだ。

⇒ここの前後↑↓、謀略を旨とするスターリンとフルシチョフ、すなわちソ連、さえ、その尻の毛を抜き、或いは、誑かした、毛沢東にしてみれば、トルーマンとマッカーサー、というか、米国など、赤子の手を捩じるように、意のままに弄むことができた、といったところですね。(太田)

 マッカーサーは<中共>の罠にはまる形で鴨緑江に向けて軍を進め、<中共>軍はその動きや部隊配置を全て認識した上で待ち構えていた。<米>軍の前線部隊の指揮官らは迫りくる危険を充分に察知していたが、マッカーサーは自分の作戦の早期達成を妨げるような情報には耳を貸さなかった。その作戦はマッカーサーの言葉によれば、第10軍が鴨緑江に先行した後に、第8軍で一大包囲網を完成させ万力の様に締め上げるというものであったが、その作戦計画は机上の空論であり、中朝国境付近は山岳地帯で進軍が困難な上に、半島が北に広がり軍は広範囲に分散すると共に、<中共>軍の目論見通り、第8軍と第10軍の間隔が更に広がり、第8軍の右翼が危険となっていた。その右翼には先日<中共>軍の攻撃で大損害を被った韓国第2軍団が配置されていた・・・。
 11月24日に国連軍は鴨緑江付近で<中共>軍に対する攻撃を開始するが、11月25日には<中共>軍の方が第二次総攻撃を開始した。韓国軍第2軍団は<中共>軍との戦闘を極度に恐れており、・・・<中共>軍の最初の攻撃で殆どが分解して消えてしまった。・・・韓国軍を撃破した<中共>軍は国連軍に襲い掛かったが、山岳地帯から夥しい数の<中共>軍兵士が姿を現し、その数は国連軍の4倍にも達した。ある<米>軍の連隊は10倍もの数の<中共>軍と戦う事となった。第8軍の第24師団は清川江の南まで押し戻され、第2師団は右翼が包囲され大損害を被った。<中共>軍の大攻勢が開始されたのは明らかであったのにマッカーサーはその事実を認めようとせず、11月27日、第10軍のアーモンドに更なる前進を命じている。マッカーサーを尊敬するアーモンドはその命令に従い配下の部隊に突進を命じた。この当時のGHQの様子を中堅将校であったビル・マカフリーは「そのころ、司令部内は完全に狂っていた・・・我々は無数の部隊によって何回も攻撃されていた。唯一の実質的問題は兵士を脱出できるかどうかということだったのに、それでも命令は前進しろと言っていた。マッカーサーは仁川の後、完全にいかれていた」と回想している。しかし実際には前進どころか、第10軍の第1海兵師団は包囲され、第7師団は<中共>軍の人海戦術の前に危機的状況に陥っていた。
 ようやく、状況の深刻さを認識したマッカーサーはトルーマンと統合参謀本部に向けて「我々はまったく新しい事態に直面した。」「<中共>兵は我が軍の全滅を狙っている。」と報告し<、>またマッカーサーは自分の杜撰な作戦による敗北を誤魔化すために、今まで共産軍を撃滅する為に鴨緑江目がけて突進を命じていたのに、これを攻勢ではなく『敵軍の戦力と意図を確定させる為の威力偵察』であったとの明らかな虚偽の説明を行った。・・・
 <中共>軍の攻勢が始まって3日経過した11月28日の夜に東京でようやく主要な司令官を召集し作戦会議が開かれた。マッカーサーが一人で4時間以上もまくしたて中々結論が出なかったが、翌29日に前進命令を撤回し退却の許可がなされた。しかし前線より遥かに遠い東京の司令部で虚論が交わされている間にも、国連軍の状況は悪化する一方であり、既に包囲され前線が崩壊していた第8軍の第2師団は<中共>軍6個師団に追い詰められわずかな脱出路しか残っていない状況であった。
 <12月17日、中共軍は、金日成の北朝鮮軍指揮権を奪った。(☆)>
 マッカーサーは第8軍に遅滞行動を取らせている間に第10軍を敵中突破させ撤退させることとした。各部隊は<中共>軍の大軍と死に物狂いの戦いを繰り広げながら「<米>陸軍史上最大の敗走」を行った。退却した距離は10日で200劼砲發覆蝓1940年のフランス軍やシンガポールの戦いの<英>軍の崩壊に似たとも評された。撤退は成功し国連軍は壊滅を逃れたが、受けた損害は大きく、もっとも<中共>軍の猛攻に晒された<米>軍第2師団は全兵員の25%が死傷するなど、国連軍の死傷者数は12,975名にも上った。しかし中国軍の人的損害はその数倍に及んだ。・・・
 1951年3月24日にトルーマンは、「停戦を模索する用意がある」との声明を発表する準備をしていたものの、これを事前に察知したマッカーサーは、「<中共>を叩きのめす」との声明を政府の許可を得ずに発表した後に38度線以北進撃を命令し、国連軍は3月25日に東海岸地域から38度線を突破する。
 またマッカーサーは、満州国建国後に行われた日本の多額の投資により一大工業地帯を築き、第二次世界大戦と国共内戦終結後もその殆どがそのまま使われていた満州の工業設備やインフラストラクチャー施設を、ボーイングB-29とその最新型のB-50からなる戦略空軍によって爆撃する事や、<中共>軍の物資補給を絶つために放射性物質を散布する事をトルーマンに進言した。
 この当時のマッカーサーによる、<中共>国内への攻撃、同国と激しく対立していた中華民国の中国国民党軍の朝鮮半島への投入、原子爆弾の使用などの提言は、戦闘状態の解決を模索していた国連や<米>政府中枢の意向を無視し・・・た発言であった。
 マッカーサーが暴走を続けた末に、戦闘が<中共>の国内にまで拡大することによってソ連を刺激し、ひいては<欧州>まで緊張状態にし、その結果として第三次世界大戦に発展することを恐れたトルーマン大統領は、4月11日にマッカーサーをすべての軍の地位から解任した。・・・」(★)

⇒長々と引用したのは、マッカーサーが、いかに、軍人、管理者としてどころか、人間としてもカスであったか、を完璧に理解していただきたいからです。
 米国は、そんなマッカーサーに(ニミッツと共に)対日戦にあたらせ、日本の占領統治を行わせたわけです。
 対日戦の「勝利」は、単に米国の物量と科学技術力の勝利に過ぎず、占領統治の「成功」は日本人の民度の高さの賜物に過ぎなかった、ということです。(太田)
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II 韓国人達から見た朝鮮戦争--反日意識の原点

 (1)序

 韓国人達の反日意識・・どうやら、歴史認識や政治面だけの反日のよう(コラム#省略)だが、・・についての、つい最近までの私の見解は、韓国人達が反日意識を抱いておろうと親日だろうと、韓国など取るに足らない存在なのだから気にする必要などない、という認識であり(コラム#省略)、この認識が邪魔をして、これまでこの問題を余り真剣に考えたことがありませんでした。
 で、取りあえず、李朝がひどい統治を長期にわたって行ったために、朝鮮半島の人々は、欧米諸国の東アジア侵略への対処、とりわけ、アングロサクソン文明の全面的/部分的継受たる近代化、をまともに行うことができなかったところ、日本が僅か35年間直接統治をして自分達を教育し錬成してくれたおかげで、それが曲がりなりにも行えるようになった、という自分達の不甲斐なさに対する鬱憤を(あたかも反抗期の少年のように、育ての親である)日本にぶつけている、と見ていたのです。(コラム#省略)
 しかし、そろそろ、真剣に考えてあげることにした、めいた宣言した(コラム#省略)のを覚えておられる方もいると思いますが、それから、拍子抜けするほどすぐ、頭に閃いたのです。
 反日の原点はもっと最近であり、朝鮮戦争なのではないか、と。
 そう閃いてから、しばらく経った、今年の3月の初めに、下掲のようなくだりのある書評に遭遇し、私の閃きが、米識者とはいえ、第三者によって、ある意味裏付けられた思いがしました。↓

 「「最も恐れられ、最大の残虐さで戦われた諸戦争は、諸内戦だ。」・・・
 初期における革命(revolution)なる一般概念(category)は、ある部分、内戦の諸記憶を抑圧(repress)するとともに、それらを何か、より建設的で希望に満ちた、より前向きの何かでもって置き換えるために企図されたのだ。・・・
 実際、・・・諸内戦は、在来型の諸戦争よりも、はるかに人類史を形作ってきたのであって、実際、それらこそが在来型諸戦争なのである、という結論を回避することは不可能だ。」
http://www.csmonitor.com/Books/Book-Reviews/2017/0306/Civil-Wars-considers-internecine-conflict-throughout-its-long-history (コラム#8956。一部、当時の拙訳に手を入れた。)

 上掲の書評の中でも、米独立戦争/革命と米南北戦争への言及が・・前者は英第一次帝国内の、後者は米国内の・・内戦としてなされているところ、私見では、前者が、醜いエゴを美しい言葉で粉飾する習性を米国人達に植え付け、その結果が、同じパターンで繰り返された後者の残虐極まる内戦であった、わけです。
 (なお、日本の戦国時代が全球的標準の内戦時代とは言えないほど牧歌的な時代であったことをコラム#9017(未公開)で記したばかりです。)
 で、話を戻して、朝鮮戦争ですが、それは、内戦であると粉飾された国際戦争であった、というのが第I部で申し上げたことであるところ、この第II部では、それがしかし、米南北戦争が真っ青になるほど残虐に戦われた、二重の内戦的な国際戦争という側面があった、ということを申し上げた上で、そんな残虐極まりない朝鮮戦争の内戦的側面が、それを経験した南北朝鮮人達、とりわけ(以下の説明から推察できるように)韓国、に、深刻な後遺症を残さない方がおかしいのであって、その後遺症こそ、いまだに日韓間で軋轢を引き起こし続けているところの、韓国人達の(歴史認識及び政治意識における)反日意識である、ということを申し上げたいのです。

 (2)被害の巨大さ

 まず、認識すべきは、日本人達にとっての先の大戦よりも、南北朝鮮人達にとっての朝鮮戦争の方が、惨禍の度合いにおいて、はるかに深刻であった、という点です。↓

 「朝鮮戦争の犠牲者の数は、南北朝鮮合わせて400万人、総人口の20%にあたる。つまり、国民の5人に1人が戦死したのである。一方、第二次世界大戦の日本の犠牲者は300万人で、総人口の4%<に過ぎない>。」
https://matome.naver.jp/odai/2139963327309069801
 「<朝鮮戦争中、米>空軍は80万回以上、海軍航空隊は25万回以上の爆撃を行った。その85パーセントは民間施設を目標とした。56万4436トンの爆弾と3万2357トンのナパーム弾が投下され、爆弾の総重量は60万トン以上にのぼり、第二次世界大戦で日本に投下された16万トンの3.7倍である。・・・
 最終的な民間人の犠牲者の数は100万人とも200万人とも言われ、全体で400万人〜500万人の犠牲者が出たという説もある。内訳は北朝鮮側の死者250万人、韓国側は133万人で大多数が一般市民だった」(★)(注6)

 (注6)☆は、一般市民の死者を、南は373,599人(このほか、負傷229,625人、拉致・行方不明387,744人)と見積もっているが、北については、死傷者を155万人と見積もるに留まる。拉致が相当数(恐らくは韓国軍兵士の中からも)行われたことも朝鮮戦争の特異性だろう。

 しかも、それが、少なくとも形の上では内戦だったのですからね。

 (3)二重の内戦(主として韓国内)

 朝鮮戦争(その前後を含む)では、南北朝鮮の武装組織同士が戦っただけでなく、それぞれの「国」内で、武装組織・・一部の一般住民も協力・・による一般住民の殺害が広範に行われました。
 すなわち、朝鮮戦争は、いわば、二重の内乱であったわけです。
 以下は、もっぱら、韓国(南朝鮮)の武装組織による、韓国内での一般住民の殺害事件群ですが、そうなっているのは、それ以外のものは、史実が殆ど明らかになっていないからである、と思われます。
 ざっと、斜めに目を通してください。

〇戦争前の一般住民虐殺

・済州島四・三事件:1948年4月3日に在朝鮮<米>陸軍司令部軍政庁支配下にある南朝鮮(現在の大韓民国)の済州島で起こった島民の蜂起にともない、南朝鮮国防警備隊、韓国軍、韓国警察、朝鮮半島本土の右翼青年団などが1954年9月21日までの期間に引き起こした一連の島民虐殺事件・・・。
 韓国政府側は事件に南朝鮮労働党が関与しているとして、政府軍・警察による大粛清をおこない、島民の5人に1人にあたる6万人が虐殺された。また、済州島の村々の70%が焼き尽くされた。・・・
 歴史的に権力闘争に敗れた両班の流刑地・左遷地だったことなどから朝鮮本土から差別され、また貧しかった済州島民は当時の日本政府の防止策をかいくぐって日本へ出稼ぎに行き、定住する人々もいた。韓国併合後、日本統治時代の初期に同じく日本政府の禁止を破って朝鮮から日本に渡った20万人ほどの大半は済州島出身であったという。日本の敗戦後、その3分の2程は帰国したが、四・三事件発生後は再び日本などへ避難あるいは密入国し、そのまま在日韓国人となった人々も多い。日本へ逃れた島民は大阪などに済州島民コミュニティを形成したが、彼らは韓国人コミュニティからは距離を置いた
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%88%E5%B7%9E%E5%B3%B6%E5%9B%9B%E3%83%BB%E4%B8%89%E4%BA%8B%E4%BB%B6

・麗水・順天事件:1948年8月15日の大韓民国建国直後、共産主義政党の南朝鮮労働党(南労党)は各地の大韓民国国軍部隊に工作員を浸透させ、反乱や騒擾の機会を窺っていた。10月19日、済州島で起きた済州島四・三事件鎮圧のため出動命令が下った全羅南道麗水郡駐屯の国防警備隊第14連隊で、隊内の南労党員が反乱を扇動、これに隊員が呼応し部隊ぐるみの反乱となった<事件>。
 反乱は麗水郡から隣の順天郡(現在の順天市)にも及んだが、李承晩大統領は直ちに鎮圧部隊を投入し、1週間後の10月27日に反乱部隊は鎮圧された。残兵はその後北部の山中へ逃げ込み、長くゲリラ抵抗が続いた。事件処理で韓国政府の左翼勢力摘発は過酷を極め、反乱部隊に加えて、非武装の民間人8000名が殺害された。多くの者が日本へ密航・逃亡し在日韓国・朝鮮人となる背景となった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BA%97%E6%B0%B4%E3%83%BB%E9%A0%86%E5%A4%A9%E4%BA%8B%E4%BB%B6

・聞慶(ムンギョン)虐殺事件:1949年12月24日に大韓民国慶尚北道聞慶郡(現:聞慶市)で韓国軍が共匪に協力したなどとして非武装の住民88人を虐殺し、共匪の犯行としていた事件
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%81%9E%E6%85%B6%E8%99%90%E6%AE%BA%E4%BA%8B%E4%BB%B6

〇朝鮮戦争中の一般住民虐殺

・保導連盟事件:1950年6月25日の朝鮮戦争勃発を受けて、李承晩大統領の命令によって韓国国軍や韓国警察が共産主義からの転向者やその家族を再教育するための統制組織「国民保導連盟」の加盟者や収監中の政治犯や民間人などを大量虐殺した事件。被害者は少なくとも20万人から120万人とする主張もある。1960年の四月革命直後に、この事件の遺族会である全国血虐殺者遺族会が遺族の申告をもとに報告書を作成したが、その報告書は虐殺された人数を114万人としている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BF%9D%E5%B0%8E%E9%80%A3%E7%9B%9F%E4%BA%8B%E4%BB%B6

・漢江人道橋爆破事件:朝鮮戦争中の1950年6月28日に、現在のソウル特別市において韓国軍が避難民もろとも漢江人道橋(漢江大橋)を爆破した事件。・・・
 爆破時にも橋梁上には4000人の避難民と車両があった。この漢江人道橋爆破事件によって約500-800名と推定される避難民が犠牲となった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BC%A2%E6%B1%9F%E4%BA%BA%E9%81%93%E6%A9%8B%E7%88%86%E7%A0%B4%E4%BA%8B%E4%BB%B6

・高陽衿井窟民間人虐殺事件:9月28日に国連軍がソウルを奪還し、9月29日には李承晩ら大韓民国の首脳もソウルに帰還した<後、>・・・ソウル北西の高陽で・・・韓国警察によって親北朝鮮とみなされた市民が虐殺され<た事件>(★)

・江華良民虐殺事件:仁川上陸作戦によって韓国軍は江華島を北朝鮮から奪還したが、人民義勇軍の介入によって1951年1月4日には戦線を大きく後退させ(いわゆる「1.4後退」)、北朝鮮による江華島の再占領も現実味を帯びるようになった<後、>1951年1月6日から1月9日にかけて韓国軍、韓国警察、民兵は北朝鮮統治時代に北朝鮮に協力したなどとして島民212人から1,300人を虐殺した<事件>。犠牲者は全員非武装の民間人であった。この事件前の1950年には、保導連盟事件で、すでに140人の島民が虐殺されていた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9F%E8%8F%AF%E8%89%AF%E6%B0%91%E8%99%90%E6%AE%BA%E4%BA%8B%E4%BB%B6

・山清・咸陽虐殺事件と居昌事件:第11師団第9連隊第3大隊が、共匪パルチザンを殲滅するためとして、それぞれ、1951年2月7日に388名、2月9〜11日に、719名、の、高齢者、女性、子供を含む一般住民を殺害した。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%85%E6%98%8C%E4%BA%8B%E4%BB%B6

 (なお、北朝鮮軍と左翼勢力は、忠清北道や全羅北道金堤で大韓青年団員、区長、警察官、地主やその家族などの民間人数十万人を「右翼活動の経歴がある」などとして虐殺し<ている。>)(★)

〇戦争後の一般住民虐殺

 高陽衿井窟民間人虐殺<事件(前出)>・・・の時敗走した北朝鮮兵は中央山地で再編成され、南部軍と称した。南部軍は中央山地沿いに潜入した北朝鮮政治指導部と、北朝鮮軍敗残兵、麗水・順天事件の韓国軍脱走兵、南朝鮮での共産主義シンパの活動家などから構成されていた。指揮官の李鉉相は済州島「4・3蜂起」の指導者であった。南部軍のゲリラ活動に国連軍は悩まされ、数度の大規模な鎮圧作戦を余儀なくされた。リーダーの李鉉相が戦死してゲリラ活動がほぼ収束したのは朝鮮戦争停戦後の1953年12月であった。(★)

 (3)韓国人達の思い

 半島の南半分で北朝鮮が行った一般住民殺害は、米軍による北半分の都市爆撃が結果としてそれを超える一般住民殺害を行ったと考えられることから相殺しておつりがくる勘定ですが、南半分で「右」派が行った「左」派の一般住民殺害に関しては、それらを韓国政府が多かれ少なかれ隠蔽してきたこともあり、それぞれの関係者達ないし子孫において、前者は強い罪悪感、後者は強い恨みとなって、それぞれトラウマの形で、現在もなお韓国内で蟠っている、と思われるのです。
 しかし、韓国民達は、このトラウマの捌け口として、(形の上では参戦していないソ連(ロシア)はもとよりですが、)北朝鮮にも中共にも米国にも鬱憤をぶつけるわけにはいかないのではないでしょうか。
 というのも、「左」派は北朝鮮にもともとシンパシーを抱いているからであり、「右」派はその反射として、北朝鮮に対しても罪悪感を抱いている、と想像されるからです。
 中共に対しては、米国が、朝鮮戦争中に途中から南北統一を目指したことが原因になって軍事介入した、と解釈できるし、中共軍は半島の南半分の一般住民殺害に(北朝鮮と違って)関与していませんし、更に言えば、そもそも、朝鮮半島の人々は、支那への事大意識を引きずっている(典拠省略)、からです。
 米国に対しては、半島の分割状態をもたらしたことに直接的責任がある上、アチソン宣言や韓国軍に十分な装備を与えないまま米軍を撤退させたことが朝鮮戦争の誘因になり、また、その後、軍事情勢判断や作戦において既述したような、数多くの過ちをしでかして、韓国の人命や財産の損害を増幅させたこともあり、韓国民達は、大いに含むところがあるに違いないところ、その後、現在に至るまで、米国の安全保障上のコミットメント、就中在韓米軍の存在、なくして、韓国の対北防衛は成り立たないまま現在に至っているため、時々抑えきれなくなるものの、基本的には鬱憤をぶつけるのを我慢してきている、ということではないでしょうか。

 他方、李承晩は、1948年8月13日に大統領に就任してからすぐ、彼自身は日本や日本による朝鮮半島統治について碌な知識のない<(注7)>まま、反日キャンペーンに着手していました。↓

 (注7)1904年に渡米しており、日本統治下の朝鮮に1911〜12年の間帰国、米国に亡命しており、日本には、1948年10月19日と1950年2月16日の二度にわたって、非公式に占領下の日本を訪問したのみ。なお、その後、朝鮮戦争中の1953年1月にも吉田首相との会談等のため、2日間日本を非公式訪問している。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%8E%E6%89%BF%E6%99%A9

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[現在の韓国の反日感情が異常である理由]

 韓国人達の平均的IQが日本人達よりも高く、まともな領域国家群の国民中で世界一であること(コラム#省略)を思い出して欲しい。
 まず、20世紀前半における日本による朝鮮半島の植民地統治についてだが、それが、いかなる基準に照らしても、近現代の列強による植民地統治中、最も「文明的」なものであったことは明白(コラム#省略)であり、そんなことが、「聡明」な韓国人達に分からないはずがない。
 また、16世紀の日本の朝鮮出兵についても、その後の江戸時代に、12回も朝鮮通信使が日本に派遣され、(琉球王国を別とすれば、)李氏朝鮮は、日本と正式の国交のあった唯一の国だったのであり、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E9%80%9A%E4%BF%A1%E4%BD%BF
半島側の反日感情は克服されていた、と言ってよかろう。
 そもそも、日韓併合までの間、李完用
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%8E%E5%AE%8C%E7%94%A8
のような親日人士や、一進会
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E9%80%B2%E4%BC%9A
のような親日派が李氏朝鮮(大韓帝国)に存在していた。
 ところが、そのような存在が、現在の韓国では認められておらず、かつての親日人士や親日派の子孫すら市民権を事実上剥奪されるに至っている
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A6%AA%E6%97%A5%E6%B4%BE
という、現在の韓国の反日感情は、客観的に見ても異常である、と言うほかない。
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 「1948年8月18日、記者会見で「対馬は350年前に日本に奪取された韓国の領土」と主張。・・・1948年[9月22日]に反民族行為処罰法を制定し、この法律に基づいて1949年に反民族行為特別調査委員会が設置され、以後大韓民国では「親日反民族行為者」が法的に認定されている。」(★)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%8D%E6%B0%91%E6%97%8F%E8%A1%8C%E7%82%BA%E5%87%A6%E7%BD%B0%E6%B3%95
 これは、[朝鮮民主主義人民共和国(「北韓共産集団」)・共産主義を賛美する行為及びその兆候(軍政当時は南北統一の主張まで)が取締の対象となる]国家保安法が制定された1948年12月1日(★)よりも3か月半も早い。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E5%AE%B6%E4%BF%9D%E5%AE%89%E6%B3%95_(%E5%A4%A7%E9%9F%93%E6%B0%91%E5%9B%BD)
 その一方で、いざという時には李承晩は日本を頼りにしていたわけだが、この事実は韓国内では戦争の混乱で記録が失われたようで、2015年まで全く知られていなかった。 
http://specificasia.blog.jp/archives/1032273041.html
 (「<1950年7月、>釜山陥落に備えて日本の山口県に6万人規模の人員を収用できる亡命政府を建設しようとし、日本側に準備要請を行った。・・・
 代表的な対日政策の一つに1952年の一方的な海洋主権宣言、いわゆる「李承晩ラインの設定」がある。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%8E%E6%89%BF%E6%99%A9 前掲 )

 朝鮮戦争が終わった(休戦が成立した)時以降、「反日」に関しては、「右派」と「左派」のどちらも少なくともタテマエ上は反対しにくいこともあり、(掃海部隊の派遣等<(注8)>を除き、この戦争に直接関わらず、かつ、戦禍を一切免れただけでなく、朝鮮特需<(注9)>が戦後経済苦境を脱する契機となったところの)日本が、韓国人達によって、この戦争の鬱憤をぶちまけ続ける対象・・スケープゴート・・に選ばれる運びになったのは、まことにもって自然な成り行きであった、ということです。

 (注8)「連合国軍の要請(事実上の命令)を受けて、海上保安官や民間船員など8000名以上を国連軍の作戦に参加させ、開戦からの半年に限っても56名が命を落とした。また、<米>軍によって集められた日本人港湾労働者数千人が韓国の港で荷役作業を行った。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E7%89%B9%E5%88%A5%E6%8E%83%E6%B5%B7%E9%9A%8A
 (注9)「発注を受けた企業や関連企業は、敗戦によって中断されていた最新技術を入手できたほか、<米国>式の大量生産技術を学ぶ機会を得ることが出来、戦前の人海戦術的な生産方式から脱却し、再び産業立国になる上で重要な技術とノウハウを手に入れた。<また、>日本の工場生産において<初めて>品質管理的手法が取り入れ<られることになった。>・・・国内主要・・・産業は、朝鮮特需と1950年に発足した警察予備隊に供与された<戦車等の>車輌<の>・・・保守整備や修理を請け負い、米国の製造技術等を吸収し、戦後空白期の技術の遅れを取り戻しつつ、後に・・・戦車・・・などを製造した。そういう意味では日本の産業界の工場生産においては大転換期であり、戦後の高度経済成長の礎となったとも言える。しかしその一方で市民生活が戦争で潤ったわけではなかった。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E7%89%B9%E9%9C%80

 仮にそうだとしても、そんなものは倒錯以外の何物でもないではないか、と日本の嫌韓派は嘲笑、非難することでしょう。
 しかし、考えてもみてください。
 一つには、これは皮肉ですが、戦後日本自身の倒錯との比較です。
 朝鮮半島・・ここでは韓国・・の人々が朝鮮戦争で軍民や国土に関して受けた損害よりも、相対的にはるかに小さな損害しか先の大戦で受けず、しかも、その大戦中一貫して、内戦とも二重の内戦とも無縁で、その上、主体的に戦(い、米国から突出して大きな損害を被)ったというのに、戦後の日本は、旧敵国たる米国の属国になるという文字通りの倒錯的対応を行い、いまだにその状態から抜け出ることができていないことを・・。
 日本の米事大主義の倒錯と韓国の反日の倒錯の、どちらがより嘲笑されるべきなのかは、明らかではないでしょうか。
 二つには、こちらが本筋なのですが、第一次世界大戦後のドイツの倒錯との比較です。
 ワイマール共和国では、「背後からの一突き」論・・右派や保守層に広く受け入れられ<たところの、>・・・第一次世界大戦におけるドイツの敗因は、軍事的作戦による失敗ではなく、革命後に政権を主導した社会民主党や、革命を扇動していた共産主義者らに求められるべきであるとする・・・主張(注10)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%83%8C%E5%BE%8C%E3%81%AE%E4%B8%80%E7%AA%81%E3%81%8D
・・や、戦後の1919年の共産党によるバイエルン・レーテ共和国の成立と右派武装組織によるその打倒、1920年の右派によるところの軍の一部を巻き込んだ首都でのカップ一揆とその左派のゼネストによる打倒、1921年のコミンテルン/共産党によるドイツ中部での一揆とその軍による鎮圧、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%9E%E3%83%AB%E5%85%B1%E5%92%8C%E6%94%BF#.E5.B7.A6.E5.8F.B3.E3.81.8B.E3.82.89.E3.81.AE.E6.94.BB.E6.92.83
といった、準内乱状態の出来・・これは17世紀の惨憺たる30年戦争の記憶を蘇らせたに違いない・・、によって、ユダヤ人の活躍がコミンテルン/共産党/社会民主党、で目立った(注11)こともあり、ユダヤ人が目の敵にされるに至り、<「背後からの一突き」論>が、「ナチ党・・・においても公的な第一次世界大戦観として採用され」た上、巨額の戦争賠償金の支払いも課され、凄まじいインフレや高失業率にドイツ国民が苦しめられていた(上掲)という背景の下、「<ヒッ>トラーが政権を獲得するのにも一役買うことになる」のです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%83%8C%E5%BE%8C%E3%81%AE%E4%B8%80%E7%AA%81%E3%81%8D 前掲(「」内)

 (注10)第一次世界大戦末期の1918〜19年に労働者・兵士レーテ蜂起によるドイツ革命が起こり、帝政が打倒され、社会民主党の共和制政府が連合国と講和して大戦が終了した。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%82%A4%E3%83%84%E9%9D%A9%E5%91%BD
 (注11)ユダヤ人のパウル・ジンガー(Paul Singer。1844〜1911年)が、アウグスト・ベーベルと共に、社会民主党の初代共同党首を務めた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%82%A6%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%B8%E3%83%B3%E3%82%AC%E3%83%BC
 また、ユダヤ人のローザ・ルクセンブルクが、1916年初に社会民主党左派の一部が結成したスパルタクス団の唯一の政治理論家を務め、このスパルタクス団が[1919年1月1日に]ドイツ共産党となった。
 同党は、1920年10月に、コミンテルンの傘下に入った。
 [1930年の選挙ではドイツ社会民主党と国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス党)に次ぐ第三党の地位を確立した。以降も<1933年3月にナチス政権によって禁止されるまで>第三党で推移した。]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%91%E3%83%AB%E3%82%BF%E3%82%AF%E3%82%B9%E5%9B%A3
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%82%A4%E3%83%84%E5%85%B1%E7%94%A3%E5%85%9A ([]内)
 なお、コミンテルン(≒ソ連共産党)については、以前記したことがある(コラム#省略)のでここでは触れない。

 しかし、ユダヤ人達は、ドイツにおいて、科学、思想、文化、経済、においてと同様、政治でも活躍していたというだけのことであって、政治での活躍は、左派の共産党や社会民主党においてのみならず、ラーテナウ(Walther Rathenau。1867〜1922年)のように、中道派の民主党員として、[中央党、社会民主党、民主党連立政権において]再建担当大臣や外務大臣を務めた人物・・ソ連とラパッロ条約を締結・・もいます。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%AB%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%86%E3%83%8A%E3%82%A6
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%83%BC%E3%82%BC%E3%83%95%E3%83%BB%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%AB%E3%83%88 ([]内)
 ですから、ユダヤ人は、まさに、当時のドイツ人達の倒錯によって、スケープゴートにされたわけです。
 なお、当時のドイツ人の反ユダヤ主義については、ここまでは、戦後の韓国人の反日と同じ次元の倒錯として、それなりに理解できます。
 いや、同情すらできる、と言ってもいいかもしれません。
 (但し、第二次世界大戦中のユダヤ人の組織的な大量殺害、いわゆるホロコースト、に関しては、ドイツ人以外の理解の域を超えた蛮行であり、到底同情などできません。
 表見的には、カンボディアにおけるポルポト派による組織的な大量殺害が似ていますが、こちらは、同じ民族に対するものであって、革命/内戦の延長とも言え、同一には論じられないでしょう。) 

 日本の嫌韓派の諸君は、つい最近の、すぐ近くで起こった大事件である、朝鮮戦争について、最低限の知識を少なくとも身に着けた上で、韓国に関する言動を行って欲しい、と切に思います。
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太田述正コラム#9021(2017.4.8)
<2017.4.8東京オフ会次第(その1)>

→非公開