太田述正コラム#8809(2016.12.23)
<米リベラル知識人の内省(佐伯教授かく語りき)>(2017.4.8公開)

1 始めに

 「米リベラル知識人の内省三」シリーズは、予定を代えてまだ続けるつもりでいますし、本日、フォーリンポリシー誌電子版がロシア問題小特集を組んでいたので、そこで登場していた記事群を紹介する、「米リベラル知識人の内省(ロシア篇)」シリーズも新たに予定することにしたのですが、ここで、忘れないうちに、今月6日に産経電子版に掲載された、京都大学名誉教授・佐伯啓思による「米国の「価値」の神話は崩れた 日本は価値の機軸を自問すべきだ」というコラム
http://www.sankei.com/column/news/161206/clm1612060008-n1.html
(12月6日及び22日アクセス)を紹介し、私のコメントを付すことにしたいと思います。
 今回のコラムのタイトルを表記にしたのは、米知識人に代わって、日本の知識人が、トランプの米国の内省を促している、と捉えることもできるからです。

2 佐伯教授かく語りき

 「・・・アメリカがこの20〜30年掲げてきた価値の欺瞞があらわになった・・・

⇒エッ、(1776年の独立宣言以来の)240年の誤りでは?(太田)

 経済的グローバリズムは、過剰なまでに自由な資本移動や技術移転、利益をめぐる激しい競争によって、国家間においても、地域間においても、また、国内においても格差を生み出した。

⇒「過剰なまでに」は意味不明ですし、「<米>国内においても」は誤解を生じさせます。
 米国内における経済自由主義が、労働力の移動が自由で、かつ、移民の形でも新規労働力を増やしてきた、米国内における経済の長期的発展を実現したものの、労働力の移動が基本的に自由ではない、米国を含む各国間においては、各種の「格差を生み出した」わけですが、「経済的グローバリズム」を「自由貿易・経済協力体制」とやや限定的に言い換えれば、これは、国際経済のブロック化に悩まされた戦間期日本が追求したものでもあり、それを米国の価値視するのはおかしいのでは?(太田) 

 成長にのれない不満層は、民主政治を通して政府に不満をぶつける。その結果、既存の政治は批判され、政治は不安定化する。・・・
 経済的グローバリズムはまさにアメリカ主導で作り出されたものであった。皮肉なことに、グローバリズムのもつ問題が、アメリカに深く内在する大衆的民主主義によって一気に顕在化したのである。

⇒ここは、「大衆的」が意味不明です。民主主義とは、定義上、大衆(demos(希))による統治(Kratia(希))
http://www.geocities.jp/clinicalpolitics/html/democracy1.html
なのですから・・。(太田)
 
 もうひとつの背景は、いわゆるアメリカ民主主義のもつ欺瞞性が身も蓋もなく露呈してしまった、ということである。アメリカの民主主義は、徹底した平等主義と人権主義によって支えられてきた。

⇒「平等主義」が投票における一人一票の意味ならばあえて言及する必要はありませんでしたし、法の支配/法治主義の意味ならば、そう端的に記すべきでした。
 また、「人権主義」とは聞きなれない言葉です。「自由主義」と言い換えるか、人権主義/自由主義を外出しせず、それを取り込む形で、「アメリカ民主主義」を「自由民主主義」と表現して欲しかったところです。
 なお、そう表現した瞬間に、そんなものは「アメリカ」固有のもの、或いは由来のものではないことが明白になってしまいますが・・。(太田)

 にもかかわらず、実際には、エリート白人層と人種的マイノリティーの間の社会的な境遇は大きく異なっていた。事実上の差別といってもよい。そのことに目をつむりつつ、他方では、逆に「ポリティカル・コレクトネス」が強く唱えられ、表現の自由などといいつつも、差別的発言などは政治的悪としてタブーになってきた。アメリカの民主主義がはらむ、この二重の欺瞞がほとんど限界まできていた、ということである。・・・

⇒ここはその通りであり、要するに、米国の実態は、「自由」でも「民主」でもないまま現在に至っているけれど、その実態を言葉だけで、対内的・対外的に胡麻化し、隠蔽してきた、ということです。(太田)

 経済がうまくいっておればよいが、ひとたび経済的に不遇を感じる大衆が出現すると、彼らは「ポリティカル・コレクトネス」の背後に隠されてきた移民やイスラム教徒への不信を一気に露(あら)わにしたわけである。・・・

⇒大衆というものは、自らの不満の原因を(扇動家の口車に乗せられて)スケープゴートに求めがちである、というだけのことです。(太田)

 アメリカを支えてきたものは、自由な資本主義と人権主義にもとづく民主主義であった。こうしたものをアメリカは普遍的価値とみなして、その世界化をはかってきた。これらの普遍的価値の世界化が同時にアメリカの国益だとされたのである。

⇒ここもその通りです。
 なお、自由民主主義に関しては、対象こそ、世界ではなく欧州でしたが、それは、フランスがフランス革命後にやったことの二番煎じに他なりません。
 フランスによる試みが大失敗に終わったように、米国による試みも大失敗に終わりつつある、というわけです。
 自由民主主義の本家本元のイギリス・・但し民主主義は擬制であるとの自覚あり・・が、そんな試みとは無縁であったことはご承知の通りです。(太田)

 そして、しばしば、トランプ氏の登場は、このアメリカ的普遍主義に対して大きな打撃を与えかねないといわれる。
 しかしそうではなく、そもそもアメリカ的普遍主義がうまくいかないがゆえに、トランプ氏が登場したのである。

⇒「アメリカ的」を削除すれば、ここもその通りです。(太田)

 自由な資本主義は、科学技術上のイノベーションと結合してグローバル資本主義を生み出した。人権主義や民主主義の普遍化は、アメリカの国益と結び付きつつ、中東への無謀な介入を生み出した。そして、前者は、中国の経済成長を助けはしたが、アメリカ国内の中間層の没落を招き、後者は、結果として「イスラム国」(IS)を生み出し、中東の混乱はいっこうに収まらない。・・・

⇒ここは、事実関係の把握が甘く、論理も杜撰ですが、基本的なことを二点だけ指摘しておきます。
 第一点は、「アメリカ国内の中間層の没落を招」いた背景には、先進国経済共通の産業構造の変化、及び、米国における所得再分配システムの不備、があること、第二点は、中東の混乱は、アナクロニズムのイスラム教そのものが基本的にもたらしたものであること、です。(太田)
 
 確かなことは、アメリカが掲げてきた諸価値の普遍性という神話は崩れ去ったということだ。ということは、日米の価値観の共有などというより前に、日本はまずは、自らの価値の基軸をどこに置くのか、それを改めて自問すべきなのではなかろうか。」
http://www.sankei.com/column/news/161206/clm1612060008-n1.html

⇒この結論も同意です。
 もっとも、「日本・・・の価値の基軸をどこに置くのか」について、その片鱗くらいは、提示して欲しかったところです。(太田)