太田述正コラム#8787(2016.12.12)
<渡正元『巴里籠城日誌』を読む(その8)>(2017.3.28公開)

「ル・ブフ元帥<(注19)>・・・は以前、7月中旬のフランス立法院で諸大臣が集まり、開戦か否かを論議したとき、諸大臣はこの陸軍大臣に対し、今、フランスが開戦したとしたら、長期にわたり戦うのに軍備が十分耐えるかどうかについて尋ねた。

 (注19)Edmond Le Bœuf(1809〜88年)。エコールポリテクニック卒。1869年に陸軍大臣、1870年に元帥となる。
https://en.wikipedia.org/wiki/Edmond_Le_B%C5%93uf

⇒ナポレオン3世の英語ウィキペディアは、前述したように、この時のル・ブフを陸軍参謀総長(chief of staff of the French army)としていましたが、ブフの上掲英語ウィキペディアは陸軍大臣としています。
 陸軍大臣が参謀総長を兼ねていた、ということなのかもしれませんが・・。(太田)

 この時のル・ブフ氏の回答は次のとおり。
 「軍備の充実ぶりについていえば、たとえ2年間続いて戦ったとしても、ボタン一個を買い入れるほどの欠乏もない。」
 これを聞いて立法院は開戦を決議した。

⇒ナポレオン3世の英語ウィキペディアは、前述したように、ナポレオンが(ある城館(chateau of Saint-Cloud)において、閣僚達を集め、)ル・ブフに下問したのに対して答えたとしているのに対し、上掲のル・ブフの英語ウィキペディアは、議会(立法院(Corps Legislatif))(の議場で?)で言明したとしています。
 他方、上掲の正元の記述では、(日本でも議事堂内で閣議が開催されることがよくあるのと同様、)ナポレオンが大臣達を議院に集めた際にル・ブフに下問したようにも解されます。
 このように史料によって記述内容が異なることはよくあり、歴史的事実を確定するのは容易ではないわけですが、ここでは、正元の記述を踏まえた最後のラインが史実であった、ということにしておきましょう。(太田)

 しかし、戦争はまだ二か月も経ないのに、諸用具は大いに欠乏し、特に大小の銃が少なく、招集した市民・農民に付与すべき兵器がないという。
 ル・ブフの計算がいい加減であり、これがまさにフランス国の敗北を招いたというべきだろう。・・・
 今、両国の軍勢の勝敗と強弱を比較してみると、プロイセン軍は三分に相当し、フランス軍は一分である。
 連戦連勝により敵はパリの城門に迫り、攻撃が切迫している。
 当然、このような時に政治体制を変えるべきではなかった。
 基礎を固め、心を合わせ協力し国を守るべき時だ。
 しかし、帝が捕虜となるやいなや、すぐに内政を変え共和制を立てた。・・・
 今、もし内部に争乱が生じれば、いくら優れた将軍や勇敢な兵士がいるといっても、どのようにして防戦の力を一つにして、強敵の侵略を防ぐというのか。」(80〜82)

⇒全く正元の言う通りです。(太田)

 「9月13日・・・このたびのパリ籠城中、以前からパリに在住するスイス人が同胞中から選んで一部隊を組み、フランスに願い出て言うには、数年来パリに住むわれらは今日の形勢について傍観するに忍びない。
 わが国はもとより交戦国のいずれとも関係なく中立であって、双方いずれに対しても応援できないのが道理である。
 それゆえ、われらは今、要塞の上に立って敵対して戦う理由はない。
 よって、この防戦中、パリの火災を防ぎ、兵士の負傷を助け、これを病院に運ぶ必要があればその役に任じてほしいと願い出た。
 かくて、パリに在住する各国の人民は親近救援隊と称し、病院を設け、市内を救助する部隊を編成した。

⇒1870年時点で既に国際赤十字が成立しており(注20)、フランスもプロイセンもその国内組織を持っていた
https://en.wikipedia.org/wiki/International_Committee_of_the_Red_Cross
ものの、フランスの赤十字は、まだ、戦争中に組織的な活動を行うところまでは行っていなかったということなのかもしれません。

 (注20)「1863年、<スイス人アンリ・デュナンが中心となって、>ジュネーヴで「国際負傷軍人救護常置委員会」(通称5人委員会)が結成され、・・・<翌年、>16ヶ国が参加した最初の国際会議がスイスのジュネーブで開催され、赤十字規約10カ条を採決することに成功、各国に戦時救護団体が組織され、国際組織赤十字社の誕生に発展した。・・・その後、赤十字の活動範囲は戦争捕虜に対する人道的救援、一般的な災害被災者に対する救援へと拡大していった」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%AA%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%A5%E3%83%8A%E3%83%B3

 いずれにせよ、上出のような赤十字的活動に、その種の活動の中心国であったスイスの人々が、ボランティアで活躍したらしいことは興味深いものがあります。(太田)

 アメリカ人は単独で病院を建て、これに本国の旗を立てて野戦病院と称した。」(92〜93)

⇒これは、米独立戦争の時にフランスの支援を受けたことへの返礼の気持ちからでしょうか。(太田)

 「9月24日・・・昨朝、パリにおいて政府は書簡を送達するため第一号の気球<(注21)>を上げた。

 (注21)1783年11月に、フランス人兄弟が気球(熱気球)による有人飛行に史上初めて成功し、同年12月には、別のフランス人がガス気球(水素気球)による有人飛行に成功したところ、「1794年<には>フランス革命戦争中、フランス陸軍が・・・戦闘で敵情視察と着弾地点観測のためにガス気球を使用(航空機が戦争に利用された世界初の例)」し、「1870年〜1871年<の>普仏戦争において<は>、・・・連絡用として用いられ<た>。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%97%E7%90%83

 現在のパリは籠城中であり、四方の鉄道線路はすべて断絶し、外部との書簡のやりとりができない。
 そのため、気球を郵便送達手段として使うという。」(106)

⇒戦争が技術的・運用的ブレークスルーをもたらす一事例でしょうね。(太田)

(続く)