太田述正コラム#8775(2016.12.6)
<米リベラル知識人の内省一(その7)>(2017.3.22公開)

3 終わりに代えて

 その後、ワシントンポストに、同紙論説委員(Opinion writer)のチャールズ・クラウトハマー(Charles Krauthammer)<(注10)>による、ブルマのと基本的に同趣旨の論説
https://www.washingtonpost.com/opinions/global-opinions/after-a-mere-25-years-the-triumph-of-the-west-is-over/2016/12/01/deebe24c-b7f7-11e6-959c-172c82123976_story.html?utm_term=.b2c8ea78d12a
(12月3日アクセス)が掲載されたので、そのさわりを紹介し私のコメントを付す形で、終わりに代えさせていただきます。

 (注10)1950年〜。「<米国>のコラムニスト、評論家。・・・フランス国籍を持つユダヤ人として、ニューヨークで生まれた。モントリオールで育ち、マギル大学に進学。1970年、政治学と経済学の学位を取得する。1970年から1971年にかけて、オックスフォード大学・・・に留学する。その後<米国>に移り、ハーバード・メディカルスクール<で>・・・学び、1975年に医学博士号を取得。・・・
 1987年にはワシントンポストで毎週コラムを執筆するようになる。そこでの著作に対して同年ピューリッツァー賞を受賞した。
 一般には保守主義者あるいは新保守主義者とされる。しかし・・・リベラルな側面もある。・・・
 ソ連の崩壊<後、>・・・彼は<米国>と二番手の国の国力の差があまりにも大きく、したがって<米国>を中心とした一極構造が現れると予想した。そして<米国>の覇権は30年から40年間の間必然的に存在するとした。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%82%BA%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%A6%E3%83%88%E3%83%8F%E3%83%9E%E3%83%BC

 「25年前の1991年12月、共産主義は死に、冷戦は終わり、ソ連は消滅した。

⇒ロシア(ソ連)の人口の10倍弱の、しかも今では世界第二位の経済力を誇る支那(中共)において、依然として共産党を名乗る政党が権力を握り続けていること一つとっても、「共産主義は死に」は噴飯ものです。
 米リベラル知識人の欧米中心主義の病理は全く治っていませんね。
 なお、「ソ連は消滅」ならぬ「解体」こそしたけれど、「ソ連」なる衣を纏っていたロシアは、領土をやや縮小しつつも、現在もなお存続しているわけです。(太田)

 それは、現代史における、一つの帝国の最大の解体であり、銃弾一個も発射されなかった。

⇒ブルマについても同様のことを記したけれど、ここはクラウトハマーの精神状態を疑ってしまいます。
 同じ20世紀における、一つの帝国の最大の解体ときたら、(面積的にはともかく、人口的には、)ロシアのではなく、大英帝国のそれに決まっているからです。(太田)

 それは、有史以来の巨大な出来事であって、私の世代は生きているうちには目にすることは決してないと思っていた。・・・

⇒ここも全くのピンボケなのであって、上述したことに即せば、大英帝国の解体、換言すれば、イギリスのアジア・アフリカからの撤退、が、欧州諸国のアジア・アフリカからの撤退及びロシアの中央アジアからの撤退、を含めたところの、欧米の欧米故地及びアメリカ大陸への縮小的後退、こそが、有史ならぬ、16世紀から400年近く続いたところの、欧米の世界進出・支配の時代の終わりを告げた巨大な出来事だったのです。(太田)

 この夜明けは、自由民主主義的観念の究極的勝利を画した。
 それは、傑出した米国・・世界で最後に残った超大国・・によって指導されたところの、欧米の支配(dominance)の時代を約束した。・・・

⇒タタールの軛のせいで専制的体制の維持と領土・緩衝地帯の常続的拡大を宿命とするに至ったロシアの大きな挫折が、即、自由民主主義的観念の勝利を意味する筈がないのに、そう規定してしまったために、自由民主主義を旨とする米国が主導する欧米の支配の時代の到来(への期待)などという、世迷言をクラウトハマーは口走ってしまったのです。
 マクロ的に見れば、イギリスを中心とする欧米の力の相対的衰退、とりわけ、中心国たるイギリスのそれ、が欧米による世界の直接的支配を不可能ならしめ、欧米の縮小的後退と並行して進行したところの、米国を中心とする欧米による世界の間接的支配が招来された、ということ以上でも以下でもないのが、「米国・・・によって指導されたところの、欧米の支配」の実態である、と私は考えています。
 そして、爾後、この米国を中心とする欧米による世界の間接的支配の空洞化がどんどん進行しながら現在に至っている、とも考えています。
 そして、言うまでもなく、私見によれば、日露戦争における日本の勝利による欧米の無敵神話の崩壊から、先の大戦における日本の文字通りの対英勝利によるイギリス、ひいては欧州諸国のアジア・アフリカ直接支配体制の崩壊を経て、同じく、先の大戦における日本の事実上の対米勝利及び中国共産党の支那権力奪取支援による、米国及び支那の対露冷戦への参戦確保の賜物であるところの、20世紀末におけるロシアへの冷戦勝利へと至る、日本の営為こそが、これをもたらした究極的かつ最大の原因であったわけです。(太田)
 
 欧米は、興隆しつつある専制的国家群たるロシア、支那、及び、イランに野原を委ねつつ、内向きになり、家に戻りつつある。・・・

⇒ロシアとイランは興隆しつつあるわけではありませんし、支那(中共)を単なる専制的国家と見るのも皮相的です。
 そしてもちろん、「欧米<が>・・・内向きになり、家に戻り」始めたのは、日本の営為の産物なのであり、そのプロセスは、日露戦争時から始まっているのです。(太田)

 ドナルド・トランプは、撤退を続けようとしているが、それは、<オバマとは>全く異なった諸理由による。
 オバマが撤退を命じたのは、彼が、米国は世界のために良い存在たりえておらず、世界覇権国になる道徳的権利を得るには欠陥が大き過ぎる、と常に感じていたからだ。
 トランプは、諸同盟国を侮蔑していると共に紛争を回避するために、それに倣うだろう。
 というのは、<彼に言わせれば、>それに値せず、感謝の気持ちがなく、寄生的な外国人達が我々の保護の下で、かつ、我々の諸犠牲のお蔭で安全に生活しているところの、世界は、我々にとって良い存在たりえていないからだ。・・・

⇒オバマについては、私の指摘(コラム#省略)の口移しかと思えるほどですし、トランプについても、ややえげつないだけで、私の指摘(同上)と基本的に同じですね。(太田)

 トランプのは新しい主張ではない。
 冷戦が終わりつつあった1990年に、典型的なネオコンである、ジーン・カークパトリック(Jeane Kirkpatrick)は、我々は、今や、「普通の時代における普通の国」にならなければならない、と主張した。

 (注11)1926〜2006年。「<米国>の政治学者、外交官、反共産主義者。・・・1948年にバーナード・カレッジを卒業。その後コロンビア大学で・・・政治学の博士号を取得した。
 ・・・[民主党支持者から共和党支持者に転じ、]新保守主義者(ネオコン)<となった>・・・。・・・ジョージタウン大学教授(1967年〜1980年)。・・・[伝統的な専制的諸政府は革命的専制諸国よりも抑圧的でなく、範を示すことで民主主義へと導けると信じ、米国の諸目的に協力的な専制的諸体制を支持すべきであるとするカークパトリック・ドクトリンで知られる。]レーガン政権時代に<米国>初の女性国連大使に就任」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%83%91%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%AF
https://en.wikipedia.org/wiki/Jeane_Kirkpatrick ([]内)

 20世紀における、世界の秩序を維持し、普遍的諸価値のために超人的尽力を行う、という重荷を放棄する時だ、と。
 2世代にわたる、ファシズムと共産主義との戦いだけで十分過ぎだった。

⇒ファシズムは米国の第一次世界大戦参戦・戦後処理によって興り、それに対して米国が後に戦ったものであり、「共産主義」に関しては、ソ連(ロシア)との戦後冷戦は日本によって引きずり込まれたものであるのに対し、朝鮮戦争とベトナム戦争は米国がその戦略的判断ミスから引き起こしたものであるところ、要するに、これらは、ことごとく、米国の適切な判断に基づいて行われたものではありません。
 しかも、このうち、トータルとしてプラスの成果をあげたのは、戦後冷戦だけであり、後は、米国が、いたずらに米国人以外を大量殺害したものの、事実上敗北するか、引き分けに終わったかというケースばかりです。
 かかる自覚がオバマには概ねあり、また、トランプにだって相当程度ある、と私は見ています。
 問題は、米国の知識層全般を見渡すと、クラウトハマーを含め、かかる自覚がいまだに殆ど見られないことです。(太田)

 我々には、安らかな引退生活を確保できたのではないか、と。
 当時、私は、まさに我々はそれを確保できたけれど、残酷な歴史は我々にそれを享受することを許さないだろう、と主張した。
 休息は、米国抜きで安定が自己維持される幻想の世界を前提としている。
 しかし、世界はそんな所ではないのだ。
 我々は、一休みできるどころか、混沌を招くことだろう、と。
 それから四半世紀の後、我々は、同じ誘惑に直面しているが、今度はより厳しい諸事情の下においてだ。
 世界大のジハード主義が戦闘に追加され、我々は、歴史によって与えられた1990年代の休暇期間中に在来的な諸敵に対して有していた優位(dominance)のようなものは、全く享受していない。
 我々は一休みを選ぼうとしているのかもしれないけれど、それを得ることはありえないだろう。」

⇒目前に迫っている、パックス・シナ=ニッポンの時代が全く見えていないクラウトハマアーは、哀れなるかな、といったところですね。(太田)

(完)