太田述正コラム#8747(2016.11.22)
<西側文明?(その1)>(2017.3.8公開)

1 始めに

 クワメ・アンソニー・アッピア(Kwame Anthony Appiah)((注1)(コラム#6447)>によるコラム、「西側文明などというものは存在しない(There is no such thing as western civilisation)」
https://www.theguardian.com/world/2016/nov/09/western-civilisation-appiah-reith-lecture
(11月10日アクセス)のさわりをご紹介し、私のコメントを付します。

 (注1)Kwame Akroma-Ampim Kusi Anthony Appiah。1954年〜。英国でガーナ人の父と英国人の母の間に生まれた米国人たる哲学者、文化理論家、小説家であり、ケンブリッジ大卒、同大博士(哲学)で、プリンストン大教授を経て現在ニューヨーク大教授。
https://en.wikipedia.org/wiki/Kwame_Anthony_Appiah

 なお、私は、「western・・・」を、原則として、「欧米・・・」と訳すのですが、このシリーズにおいては、すぐ後でお分かりになる理由から、例外的に、「西側・・・」と訳しました。

2 西側文明?

 「自由、寛容、そして合理的探究(rational inquiry)は唯一つの文化の生得権(birthright)ではない。 
 実際、「西側文化」と呼ばれている何物かの観念そのものが近代の発明なのだ。・・・
 欧州人達(Europeans)が一種の人々(person)を指す言葉として用いられた最初の記録は、私が知る限り、紛争の歴史の中から出現した。
 754年にスペインで書かれたラテン語の年代記の中で、その著者は、<732年の(太田)>ツール(Tours)の戦い<(コラム#1882、2382、3623、4930、8039)>の勝利者達を「Europenses」すなわち、「欧州人達(Europeans)」と言及している。
 だから、単純化して言えば、「欧州人」の観念そのものは、最初、キリスト教徒達とイスラム教徒達とを対照させるために用いられたわけだ。
 (しかしながら、これさえ、いささかなりとも<まだ>単純化なのだ。
 というのも、8世紀央においては、欧州の多くはまだキリスト教化していなかったからだ。)
 さて、中世の欧州世界では、誰も、かかる目的のために、「西側」という言葉を使おうとはしなかったことだろう。
 <その理由は、>一つには、ムーア人達(Moors)<(注2)>の故郷であるところの、モロッコ沿岸は、アイルランドより西に位置していることだ。

 (注2)「ローマ時代に北西アフリカの住民(ベルベル人)をマウハリムと呼んだことに由来する。マウハリムはフェニキア人の言葉で「西国の人」を意味する。
 7世紀以降には北アフリカのイスラム化が進み、イベリア半島に定着したアラブ人やベルベル人は原住民からモロと呼ばれるようになる。次第にモロはアラブ、ベルベル、トルコを問わずイスラム教徒一般を指す呼称となり、レコンキスタ以降は再び北西アフリカの異教徒住民を指すようなる。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A0%E3%83%BC%E3%82%A2%E4%BA%BA
 「ベルベル人は、北アフリカ(マグレブ)の広い地域に古くから住み、アフロ・アジア語族のベルベル諸語を母語とする人々の総称。北アフリカ諸国でアラブ人が多数を占めるようになった現在も一定の人口をもち、文化的な独自性を維持する先住民族である。形質的にはコーカソイド・・・
 ベルベルの呼称は、ギリシャ語で「わけのわからない言葉を話す者」を意味するバルバロイに由来し、<欧州>の諸言語で Berber と表記されることによる。・・・
 東はエジプト西部の砂漠地帯から西はモロッコ全域、南はニジェール川方面までサハラ砂漠以北の広い地域にわたって分布しており、その総人口は1000万人から1500万人ほどである。モロッコでは国の人口の半数、アルジェリアで同5分の1、その他、リビア、チュニジア、モーリタニア、ニジェール、マリなどでそれぞれ人口の数%を占める。北アフリカのアラブ部族の中にはベルベル部族がアラブ化したと考えられているものも多い。<欧州>のベルベル人移民人口は300万人と言われ、主にフランス、オランダ、ベルギー、ドイツなどに居住している他、北米ではカナダのケベック州にも居住している。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%99%E3%83%AB%E4%BA%BA

 もう一つには、16世紀近くまで、(ヘロドトス(Herodotus)が欧州と呼んだ大陸の一部である)イベリア半島にイスラム教徒たる支配者達がいたことだ。・・・
 仮に、キリスト教圏<たる欧州>なる観念がイスラム教諸勢力に対する長期にわたった軍事闘争の人工的産物であるとするならば、我々の、西側文化という近代的な観念がその現在の形を概ね採ったのは、冷戦<・・東西冷戦!(太田)・・>間だった。
 戦闘の悪寒の中で、我々は、アテネの民主主義、マグナカルタ、コペルニクス革命、その他、についての大いなる物語を鍛造したのだ。
 プラトンからNATOへ<、というわけだ。>
 欧州文化は、その中核において、個人主義的にして民主主義的にして自由志向的(liberty-minded)にして寛容にして進歩主義的にして合理的にして科学的だ<とされた、>・・・

⇒改めて、(相当単純化しつつですが)申し上げるまでもなく、西側(欧米)の独占物ではありえない古典ギリシャ文明(民主主義・科学的)を独占していること、水と油であるところの、アングロサクソン文明(個人主義・自由志向的・寛容)と欧州文明(進歩主義的・合理的)とを一緒くたにしていること、が、(アングロサクソン文明と欧州文明のキメラであるところの)米国化した(アングロサクソン文明の独自性/至上性に係る韜晦を無意識的に旨としているところの)イギリス人であることから、しかもイギリスの旧植民地人のハーフであればイギリスや米国に過剰適応ベクトルが働くことからなおさら、そう不思議ではないばかりか、彼の場合、いささか同情すらしてしまうけれども、筆者のどうしようもない限界ってやつですね。(太田)

(続く)