太田述正コラム#8733(2016.11.15)
<レーニン見参(その10)>(2017.3.1公開)

 (6)結果

 「ドイツによる賭けは、彼らの最も途方もない諸夢を超えた成功を収め、むしろ、彼らと残りの資本主義諸大国にとっての悪夢へと転じた。
 レーニンからすれば、ロシアの流動的な政体にかくも不器用に挿入された、チャーチル言うところのこの「ペスト菌」、は説得力の恐るべき力と彼自身の容赦なき意志でもって彼のより慎重な同志達に彼らの規律ある組織されたボルシェヴィキ党が彼ら自身によって権力を奪取することができる、という確信を持たせることに成功した。
 <そして、>あの10月に、彼らは、それ(権力)を、手探り状態であった革命後の革命家達による臨時政府の諸手からもぎ取り、世界で最初の共産主義国家を創造したのだ。」(A)

 「スミーリーの<ロシア>内戦期の描写、「これは、疑いもなく、モンゴル人達が1237〜40年に、カスピ海の門(Caspian Gate)<(注20)>と通って攻撃してキエフ・ルスを蹂躙して以来、ロシアを飲み込んだ最大の天変地異だった」、はしっくりとくるものだ。

 (注20)カスピ海の諸門(Caspian Gates)と複数にするのが正しいようだ。アレクサンドロス大王の諸門(Gates of Alexander)とも言う。カスピ海西岸であるところの、現在のロシア内のダゲスタン共和国内のダーベント(Derbent)峠、ないし、現在のジョージア(グルジア)内ののダリアル(Darial)峠を指しており、アレクサンドロス大王が、北の蛮族の侵入を防止するためにそこに障壁を設けたとの伝説がある。史実では、同大王は、西岸ではなく、東南岸の峠を軍勢を率いて通ったことがあるだけであり、いずれにせよ、彼自身はそこに障壁は設けていない。また、モンゴル人達のキエフ・ルス攻撃がカスピ海西岸を通って行われたことへの言及は、この諸門に係る下掲ウィキペディア群には出てこない。
https://en.wikipedia.org/wiki/Gates_of_Alexander
https://en.wikipedia.org/wiki/Derbent
https://en.wikipedia.org/wiki/Darial_Gorge
 英語ウィキペディアにはモンゴルのロシア侵攻だけを取り上げたものがあるが、その本文中にも、モンゴルの、この諸門、というか、カスピ海西岸を通っての侵攻への言及がないところ、付図からは、モンゴルの侵攻が、カスピ海西岸を通ってのみ行われたように読める。但し、その侵攻は、1237〜40年ではなく、1222〜23年に行われたように読める。
https://en.wikipedia.org/wiki/Mongol_invasion_of_Rus%27
https://en.wikipedia.org/wiki/Mongol_invasion_of_Rus%27#/media/File:Genghis_Khan_empire-en.svg

 1916年から1926年の間、ロシアの心臓部だけでなく、ポーランド、ウクライナ、から、中央アジアにまで広がったところの、野蛮な諸紛争の中で何百万人もの人々が命を失った。
 ボルシェヴィキ達が、1921年のクロンシュタットでの労働者達の蜂起を鎮圧した時点で、<ロシアの>自由主義への転換の希望は完全に消え去った。
 <1917年>10月のクーデタとボルシェヴィキの爾後の権力を維持するための闘争は、この共産党の独裁・・スターリンの、1930年代における、小作人達に対する毒に満ちた攻撃、及び、大量政治的粛清・・の諸種を蒔いた。
 1917年の影は、現在もなお、ロシアの上に暗く重く垂れこめているのだ。」(F)

 「20世紀は、要は、レーニンが列車に乗る機会を与えられず、スイスアルプスで吠えるだけに留め置かれていたならば、ずっと良いものになっていたことだろう。」(B)

⇒既に述べた理由から、レーニンが1917年に帰国できなかったならば、ボルシェヴィキの権力奪取が遅れたかもしれず、また、ボルシェヴィキが権力奪取の機会を逸し、現在のプーチン政権に似たファシスト的政権が成立したかもしれませんが、どう転ぼうと、専制的なロシアが1920年代か30年代までには成立したに違いない、と私は考えています。
 その結果、20世紀がどのように展開したかは分かりませんが、それが、実際の展開に比して「ずっと良いものになっていた」保証はありますまい。(太田)

 「<この本の>最も示唆に富む諸頁は、近代ロシアの十分整理がついていない(undigested)歴史についての箇所だ。
 <現在のロシアの>政治的日程においては、共産主義恐怖政治(terror)の犠牲者達と下手人達とが共に祝われている。
 その全てが神聖視されているが、メリハリが全く利いていない(Everything is sacred but signifies nothing)。
 例えば、レーニンのミイラ化された死体が、いまだに気味悪くも赤の広場の大霊廟に鎮座している。
 著者(メリデール)のこの素晴らしい本は、この独裁者のペトログラードのアパート・・依然、博物館として恭しく維持されている・・の考察で終わっている。
 それは、除去されるには貴重過ぎ、修繕するには経費が掛かり過ぎるのだ。」(C)

⇒レーニンは、スターリンほど、国内で大量殺人を犯す時間が与えられないままこの世を去ったわけであり、(スターリンが一手にソ連時代の大量殺人の罪を負わされた以上はなおさらですが、)ニコライ2世からプーチンに至る系譜の中に位置づけられるべき、ロシアを専制的に治めつつ、その領土・緩衝地帯の拡大に全身全霊を傾けて取り組んだところの、ロシア史における英雄的指導者群の一人なのですから、彼が、現在でもなお、崇敬されているのは当たり前なのであって、プーチン政権の歴史観は、むしろ、メリハリが見事に利いたものである、と言うべきでしょう。
 この書評子(及び著者?)は何寝言を言ってるんだ、といったところです。(太田)

3 終わりに

 著者は、「私のメッセージは、我々は、個々の世代のロシアの指導者達は、<それぞれ、個別に、>理解されなければならないのであって、ロシアは特別な経路を辿る定めを与えられていて、常に同じであり続ける、すなわち、ロシアには運命(destiny)がある、などと見なすべきではない、というものだ。」
https://en.wikipedia.org/wiki/Catherine_Merridale 前掲
と語っていますが、私の見解は、それとは正反対である、ということです。
 但し、「ロシア<が>特別な経路を辿る定め」がモンゴルの軛に由来している、という指摘は、恐らく、私の絶対的少数意見でしょうが・・。

(完)