太田述正コラム#8727(2016.11.12)
<レーニン見参(その8)>(2017.2.26公開)

 「レーニンの敵達は、彼の敵との協力(collaboration)を、彼を裏切り者として信用を貶めるために用いたところ、著者は、清教徒的なレーニンが、噂されているようにドイツの金塊を彼自身が実際に<仲介者達から>受け取ってはいないことを、数頁を費やして証明しているが、その後で、彼自身が、彼の革命的諸目的(aims)を成就するために悪魔<(ドイツ)>から諸ルーブルをもらった可能性はあることを認めることで、彼女の主張をややもすれば台無しにしてしまっている」(A)。

 「ドイツに対する破滅的戦争を終結させ、飢餓を回避させ、地主達を追い出すために、大衆の「平和、パン、そして土地」への欲求を口にした点で、レーニンは、1917年時点での他の政治的アクター達よりも優れていた。
 小作農達は、ロシアの最大の社会集団であり、彼らのうち、ペトログラードの駐屯地群で任務に就いていた者達は、ボルシェヴィキのこの土地に係る約束を歓迎した。・・・
 スミーリー(Smele)<(注14)(前出)>は、中央ロシアのペンザ(Penza)市にいた同志達に1918年8月にレーニンが書いた手紙から引用する。

 (注14)Jonathan Smele。ロンドン大クィーン・メアリー校歴史大学校上級講師(博士。近代欧州史担当。専攻はロシア諸革命と諸内戦)。リード大、グラスゴー大、ウェールズ大卒。
http://www.history.qmul.ac.uk/staff/profile/5487-dr-jonathan-smele

 「少なくとも1000人の、知られた、富農達(kulaks)、金持達、吸血鬼達、を吊るせ(人々に見えるように、間違いなく吊るせ)…奴らから全ての穀物を取り上げろ…人質を指名せよ…数百キロ四方の人々が見て、震え、知るようなやり方でそれをやれ…<穀物の(?(太田))>領収書と<これらの>実施状況を電報で知らせろ。」」(F)

⇒まさに、レーニン=スターリン、マルクス・レーニン主義=スターリン主義、と言っていいでしょうね。(太田)
 
 「ニコライ2世(Nicholas II)の治世の最後の諸年には、諜報員恐怖症(mania)が燎原の火のようにロシアを覆い尽くした。
 無実のロシア人将校が、まともな証拠なしで逮捕され処刑されたミアソエドフ事件(Myasoedov affair)<(注15)>を起こしたのは、この妄想症だった。・・・

 (注15)1915年3月20日、ロシア陸軍本部は、憲兵将校のセルゲイ(Sergei)・A・ミアソエドフに関し、<通敵>諜報の咎での逮捕と軍事法廷での慌ただしい有罪判決からわずか数日後における処刑を発表した。
 この出来事は新聞に載った大きな醜聞であり、いくつかの理由で記憶されるべきもの(significant)だった。
 <というのも、>それが、対独前線におけるロシア軍の諸敗戦の連鎖の直中で起こった<からだ>。
 その諸敗戦は、ロシアを、ポーランドの諸州の全てと今日のリトアニア、ラトヴィア、ベラルス、そしてウクライナ、のそれぞれの一部からロシア軍が駆逐されるに至ったところの、大退却(Great Retreat)として知られることとなるところのものの始まりを画した。
 陸軍司令部、保安諸機関、その他、で山のように諸敵を有していたミアソエドフは、恐らくは、前線におけるロシア軍の広範な諸敗戦の都合の良い贖罪のヤギとして<罪を>でっち上げられたのだ。
 彼の処刑の後、何波にもわたるところの、彼と関係があるとされた全ての者達を標的とする諸逮捕が行われた。
 仮にこの<ミアソエドフの>処刑が世論を宥めるつもりで行われたのだとすれば、それは、多分、正反対の効果をもたらすこととなった。」
http://www.encyclopedia.com/history/encyclopedias-almanacs-transcripts-and-maps/myasoedov-affair

 この混乱、不確実性、そして恐怖、の雰囲気を、ヘレン・ラパポート(Helen Rappaport)<(注15)(前出)>が、・・・捉えている。・・・

 (注15)1947年〜。著述家にして元俳優。ヴィクトリア時代と革命期ロシアが十八番。リード大でロシア語を学ぶとともにその演劇部で俳優としてのキャリアを開始した。
https://en.wikipedia.org/wiki/Helen_Rappaport

 <ペトログラードの英米の居留民達は、ロシア革命が始まると、>当初の喜びと楽観主義の爆発の後、すぐに身の毛のよだつ混沌へと下降して行った。
 無政府状態がどんなだったかの証言が、米国大使の従僕にして運転手であった<男>の<漏らした>不平だ。
 「まともに生活することができる場所は二か所しかない。一つは天国であり、もう一つは米国だ」という・・。
 これは、<実に、>人種暴力でもって震撼していた国から来た黒人の言葉だった!」(E)

(続く)