太田述正コラム#8713(2016.11.5)
<レーニン見参(その1)>(2017.2.19公開)

1 始めに

 引き続き、ロシアを取り上げることとし、キャサリン・メリデール(Catherine Merridale)の『列車に乗ったレーニン(Lenin on the Train)』のさわりを諸書評をもとに紹介し、私のコメントを付します。

A:https://www.theguardian.com/books/2016/oct/23/lenin-on-the-train-catherine-merridale-biography-review
(10月24日アクセス)
B:http://www.spectator.co.uk/2016/10/lenins-long-train-ride-into-history/
(10月25日アクセス)
C:http://www.economist.com/news/books-and-arts/21708206-vladimir-lenins-railway-journey-switzerland-russia-changed-history-missed
D:http://socialistreview.org.uk/417/lenin-train
E:https://literaryreview.co.uk/setting-the-wheels-in-motion Caught in the Revolution: Petrograd 1917 By Helen Rappaport
F:https://www.ft.com/content/d8bf9bca-83e5-11e6-8897-2359a58ac7a5
(Historically Inevitable? Turning Points of the Russian Revolution, edited by Tony Brenton、The ‘Russian’ Civil Wars, 1916-1926: Ten Years that Shook the World, by Jonathan Smele、Caught in the Revolution: Petrograd 1917, by Helen Rappaport の書評を兼ねる)

 なお、メリデール(1959年〜)は、イギリスの、ロシア史の著述家にして歴史学者であり、ケンブリッジ大卒、バーミンガム大博士、という人物です。
https://en.wikipedia.org/wiki/Catherine_Merridale

2 レーニン見参

 (1)序

 「今年は、来年ロシア革命100周年なので、いわば、<我々は、>その控えの間<にいる、>といったところだ。」(E)

 「レーニンが<後出の>列車に乗ってから、そして、1917年の10月・・1918年にロシアが採用した欧米暦では1917年11月・・をもたらしたところの、ボルシェヴィキによる権力奪取から、20世紀の最も重要な軍事的・政治的諸出来事が流れ出た(flowed)。

⇒異議あり!
 まず、ロシア革命の原因から行きましょう。
 第一に、ロシア革命の実質的な開始は、日露戦争中であったとされていることです。→「日露戦争での苦戦が続く1905年1月には首都サンクトペテルブルクで生活の困窮をツァーリに訴える労働者の請願デモに対し軍隊が発砲し多数の死者を出した(血の日曜日事件)。この事件を機に労働者や兵士の間で革命運動が活発化し、全国各地の都市でソヴィエト(労兵協議会)が結成された。また、黒海艦隊では「血の日曜日事件」の影響を受け戦艦ポチョムキン・タヴリーチェスキー公のウクライナ人水兵らが反乱を起こしたが、他艦により鎮圧された。同艦に呼応した戦艦ゲオルギー・ポベドノーセツは、指揮官により座礁させられた。また、その約半年後同様にしてウクライナ人水兵らが反乱を起こした防護巡洋艦オチャーコフでも、戦闘ののち反乱勢力は鎮圧された。この時期、ロシア中央から離れたセヴァストーポリやオデッサなど黒海沿岸諸都市やキエフなどで革命運動が盛り上がりを見せた。なおこの年の9月にはロシアは日露戦争に敗北している。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%82%B7%E3%82%A2%E9%9D%A9%E5%91%BD
 第二に、その日露戦争の原因は、日本がロシアに対して前方展開抑止戦略を明治維新を契機に取り始めたところにあったことです。
 日清戦争に日本が勝利して遼東半島を清から割譲されることになった時に、衝撃を受けたロシアが主導して三国干渉を行い、それを清に還付させたことを思い出しましょう。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%9B%BD%E5%B9%B2%E6%B8%89
 この日本による対露前方展開抑止戦略が日露戦争における日本の勝利によって成功を収めることとなり、ロシア側から見れば、西方への勢力圏拡大の道はドイツにより、南方への勢力圏拡大の道は英国により、既に閉ざされるに至っていたところ、ついに、東方への勢力圏拡大の道まで日本によって閉ざされてしまったことになるわけです。
 この、完全な閉塞状況を打破するためには、日本の明治維新以来の政治経済発展に、対抗し、凌駕できるようにするための国内体制変革を何がなんでも成し遂げる必要がある、と、タタールの軛症候群に憑りつかれているロシア人達が、エリート、大衆を問わず、意識的無意識的に決意した結果が、国内体制の抜本的改革を標榜するボリシェヴィキへの権力付託であったところのロシア革命である、と考えるのが自然でしょう。
 つまり、ロシア革命は、19世紀後半における明治維新が、いささか遅れて、ロシアで20世紀の初期において誘発した出来事以上のものではない、と、私は考えているのです。
 次に、ロシア革命が及ぼした影響についてです、
 私見では、19世紀の最も重要な軍事的・政治的諸出来事を流出させた事件は、欧米の世界席捲に対して非欧米が反転攻勢をかける決定的契機となった明治維新であるところ、20世紀の最も重要な軍事的・政治的諸出来事を流出させた事件は、ロシア革命なんぞではなく、20世紀央における、中共の支那権力掌握なのです。
 なんとなれば、それは、旧日本帝国諸国以外の非欧米国家が、少なくとも経済面において初めて離陸するに至る契機となった出来事であって、かつ、中共が、日露いずれに対しても10倍内外の規模の人口を擁する大国であるからであり、しかも、今にして思えば、その中共が、権力掌握以前から、日本に倣った人間主義社会の支那における実現を目指していたからです。
 ですから、中共の権力掌握は、一般に考えられているようにロシア革命の影響下でなされたものではなく、ロシア革命同様、明治維新の影響下でなされたものなのです。
 どうして、20世紀の最も重要な軍事的・政治的諸出来事を流出させた事件が、ロシア革命ではなく、中共の権力掌握であるかと言えば、ロシア革命とは違って、それが、日本が始めた非欧米世界の欧米世界への反転攻勢を成功させる契機になるであろうことがもはや明白であるだけでなく、それが、人間主義文明(日本文明)という、真に普遍性のある、最高度の文明をひっさげたものであって、その全世界への普及による世界の救済に繋がりうるからです。(太田)

(続く)