太田述正コラム#8685(2016.10.22)
<プーチンのロシア(その2)>(2017.2.5公開)

 (2)ユーラシア主義

 「この本の多くは、ユーラシア主義の知的歴史からなる。」(B)

 「ユーラシア主義<は、>そのどちらも遥か昔から存続してきた神秘的な単一体(unity)の束の間の諸置換であったところの、ロシア帝国とソ連、の覆い(mantle)を承継した、他と区別される反リベラルな文明としてロシアを見る、ナショナリズムの帝国的形態だ。」(C)

 「ロシアは独特(unique)で、ロシアは異なっていて、ロシアはより上位にあり、そのロシアが攻撃されていて、ロシアは自らを守らなければならない」、というのだ。
 <プーチンのロシアでは、>人々の公的な敵として、リベラリズムが<ソ連時代の>資本主義にとってかわった。」(C)

 「かつてロシア帝国であった地域に住んでいた人々は、他とは別の・・欧米のそれと区別されるだけではなく、欧米のそれより上位にある・・文明を構成していた、との観念が<、現在、ロシアで、>再び流行している。
 著者は、この「ユーラシア主義」と呼ばれる信条を、バラバラであった1920年代の白露の知識人エミグレ達の間におけるそのルーツまで遡り、そこから、ロシア大統領の・・・プーチンの同盟者達によって最近振り回されているところの、ナショナリズム的諸主題の中にそのワープした木霊が反響している現在まで、を追跡する。
 著者は、その分析を、それぞれが瞠目すべき細心の学問的研究に立脚しているところの、三つの互いに関連のある諸伝記を軸にして構築している。
 その第一は、原初的ユーラシア主義運動の最古参者たる、ニコライ・トルベツコイ(Nikolay Trubetskoy)<(注1)>公爵(Prince)のユーラシア主義であり、次いで、スラヴ民族性(ethnicity)の性格(nature)に関する諸理論を発展させた、瞠目すべき歴史学者のレフ・グミリョフ(Lev Gumilev)<(注2)>のユーラシア主義であり、そして、最後に、今日におけるユーラシア主義の最も有名な(prominent)擁護者である、風変わりな社会学者のアレクサンドル・ドゥーギン(Alexander Dugin)<(注3)>のユーラシア主義、だ。」(F)

 (注1)ニコライ・セルゲーエヴィチ・トルベツコイ。1890〜1938年。「モスクワにて、中世リトアニアを支配していたゲディミナス朝の流れをくむ、リトアニア=ルーシ系ボヤーレ(大貴族)トルベツコイ公爵家に生まれた。・・・[歴史学者にして]言語学者<で、>・・・死後刊行された<著作>・・・では、意味を区別する最小の単位「音素」という概念が提起され、音そのものを扱う音声学から言語に関わる音を扱う音韻論が分離するきっかけになった。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%82%B3%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%83%88%E3%83%AB%E3%83%99%E3%83%84%E3%82%B3%E3%82%A4
 モスクワ大卒、ライプチッヒ大でも学ぶ。ロシア革命後、各地を転々とした後、ウィーン大教授を務める。ナチスに批判的で、弾圧を受けたこともあり、急死。
https://en.wikipedia.org/wiki/Nikolai_Trubetzkoy ([]内も)
 (注2)レフ・ニコラエビッチ・グミリョフ。1912〜92年。「<ソ連>の歴史家、民俗学者、人類学者。・・・父ニコライ・グミリョフ、母アンナ・アフマートヴァは、共に<ロシア>の詩人。[1938年から労働収容所入りさせられ、そこから]1944年にソ連赤軍に自主的に入隊、ベルリンの戦いにも参加した。復員後は1949年にNKVDに[再び]逮捕。1956年のスターリン批判で釈放されてからはエルミタージュ博物館やレニングラード国立大学で働くなど学者の道を歩む。・・・
 カザフスタン共和国の首都アスタナに、同国大統領ヌルスルタン・ナザルバエフの後押しでL.N.グミリョフ名称ユーラシア国立大学(ユーラシア大学、ユーラシア民族大学)がある。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%83%95%E3%83%BB%E3%82%B0%E3%83%9F%E3%83%AA%E3%83%A7%E3%83%95
 母親のアンナ・アンドレエヴナ・アフマートヴァ(1889〜1966年)は、「オシップ・マンデリシュタームとともに20世紀前半から中葉のロシアを代表する詩人である。19世紀末からロシア詩壇の主流となっていた象徴主義に依らず、厳密な言語の使用を提唱したアクメイズムと呼ばれる文学運動の主導者としてサンクトペテルブルクを中心に活動した。アフマートヴァの作品は初期の叙情的な短詩から後期のスターリン政権下で圧制に喘ぐすべての人を代弁した普遍的な作品まで幅広く、特に後者にはスターリンによる大粛清の犠牲者に奉げたため長らく封印された連作長詩『レクイエム』などがある。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%8A%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%95%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%B4%E3%82%A1
 (注3)1962年〜。ロシアの政治学者。ソ連軍事諜報機関の将官の息子。1979年にモスクワ航空工科大学(Moscow Aviation Institute)に入学するも、その思想傾向を咎められ退学処分を受ける。
https://en.wikipedia.org/wiki/Aleksandr_Dugin

(続く)