太田述正コラム#8679(2016.10.19)
<植民地史を改竄した英国(その2)>(2017.2.2公開)

(独立より前にということはなかったとして、)独立の瞬間がやってくると、それらはその場で破壊されるか英国に搬出(remove)・・公式用語では「移住(migrate)」・・させられた。
 当該植民地の新政府が承継するであろうところの、いわゆる「遺贈(Legacy)」諸ファイルについては、抜かれた文書群を置き換えるための偽造諸文書をでっちあげるか残された諸ファイル中にそれらへの言及がなされていないことを確認するかすることで、全て揃っているとの印象をそれらが与えることが重要だった。・・・
 ・・・それは、数千とまではいかなくても、数百の植民地官吏達、及び、MI5と特別部門(Special Branch)の官吏達、更には、陸軍・海軍・空軍の男女達が関与したところの、公文書記録諸法(Public Record Acts)の大量生産規模(industrial scale)での破却(subversion)だった。
 [<もっとも、その一方で、>1889年まで遡るところの、公秘法(Official Secrets Act)が、情報漏洩(disclosure)を犯罪としていた<が・・。>(B)]
 それを自覚していたかどうかに関わらず、彼らの全員が、歴史的記録のために重要な公文書群を保存するという法的義務を破っていたわけだが、彼らは、これら文書群が最終的には秘密解除になるだろうと考えていた。・・・
 公的指示によれば、焚火の後に残った廃棄物は「灰になるまでもやした上でバラバラにされなければならない」ものとされた。
 焼却が困難ないし不適と考えられた場合は、海が代替手段を提供した。
 ケニヤにいた官吏達は、文書群を「重しを付けた木枠箱に詰め込んで、沿岸から実行可能な(practicable)最大距離における、極めて深くて海流のない諸海域に投げ込む」ことができる、と言われた。・・・
 生き残ったファイル群・・秘匿された「移住古文書(archive)」・・の大部分は、英外務省が「特別諸コレクション」という表題の下で莫大な文書群の隠し貯蔵所を維持していたところの、ミルトン・キーンズ(Milton Keynes)近くの<自動車専用幹線道路の>M1のすぐ傍の田舎の地所(country estate)である、ハンスロープ・パーク(Hanslope Park)行きとなった。・・・
 <この>遺贈作戦(Operation Legacy)は、「英国的な諸物事の行い方」が、「好意と敬意(fondness and respect)」をもって記憶されるであろうこと、すなわち、その帝国的撤退(rereat)が模範的であると見られるであろうこと、を確保することを意図していた。・・・

⇒先の大戦後に日本の植民地で行われた「文書廃棄」と良く似ていると思われませんでしたか?↓
 朝鮮総督府の臨時雇いであった長田かな子の証言:「1945年8月15日、「玉音放送」を聞いた後、総督府の「中央ドーム真下」の部屋に戻って呆然としていた。そこへ「本課から職員が来て、「燃やして燃やして」とせっかちにいう。気がつくと、庁舎の各階の窓からポンポンと書類を投げ下ろし、油をかけて焼却している。抜けるような青空に、無数の灰が粉雪のように舞った。黒い煙が太く立ちのぼった。誰も無言で、ただ機械的に書類を中庭に投げおろした」と記している。こうして敗戦の詔勅の放送と同時に、重要書類の焼却が始まった。」
 これは、日本政府の指示で行われたものでした。↓
 当時の内務省財政課事務官(課長)だった 奥野誠亮(元国土庁長官)の証言:「公文書は焼却するとかといった事柄が決定となり、これらの趣旨を陸軍は陸軍の系統を通して下部に通達する、海軍は海軍の系統を通して下部に通達する、内政関係は地方総監、府県知事、市町村長の系統で通知するということになりました。」
http://blogs.yahoo.co.jp/kounodanwawomamoru/64728195.html
 本国でも行われたこと、植民地の公文書群の一部を本国に移送すること、が行われなかったのは、実質的には敗戦国だったけれど形式的には敗戦国ではなかった英国とは違って、日本は(実質的には戦勝国だったけれど)形式的には敗戦国であったからですが、英国が先の大戦の実質的敗戦国であったことを、英国による、この「文書廃棄・隠匿」は如実に物語っています。
 すなわち、日英ともに、自分に好意を持っていないところの、信用できない敵による報復から自らを守るために、自分にとって「不利」な「証拠」隠滅を図る必要があった、ということです。
 (この場合の英国にとっての「敵」は、同国の植民地からの撤退が実質的敗戦からそれぞれ若干の時間を置いて五月雨式に行われたことから、日英戦争の勝者であった日本ではなく、日本のおかげで独立を勝ち取れたところの、旧植民地(だけ)であった点も、連合国全てが「敵」であった日本とは異なります。)(太田) 

(続く)