太田述正コラム#8669(2016.10.14)
<またまた啓蒙主義について(その16)>(2017.1.28公開)

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[ヒュームと仏教]

 ヒュームの思想を、私が関心ある部分に焦点を当てて振り返ってみよう。

 「ヒュームによれば、我々の同情(sympathy)に立脚した諸感情が他者達にとっての効用といった、非利己的諸目的の追求へと我々を動機付けることができる。
 ヒューム、及び、彼らの同輩たる同情の理論家のアダム・スミス、にとっては、「同情」は、他者達の苦しみへの関心をはるかに超えるものを捉えることを意味した。
 ヒュームにとって、同情とは、肯定的なもの(positive)と否定的なもの(negative)の両方の諸感情を伝達し分かち合うための原理なのだ。
 この意味において、それは、現代の心理学者達や哲学者達が共感(empathy)と呼ぶところのものに近い。
 この、同情に立脚した感情主義(sentimentalism)を発展させるにあたって、ヒュームは、彼の先行者であるフランシス・ハッチソン(Francis Hutcheson)<(注18)(コラム#517)>の、神によって付与されたとする道徳感覚の理論(divinely-implanted moral sense theory)、を、同情の運用(operation)の見地から、自然主義的な(naturalistic)道徳感覚の道徳心理学的基盤(basis)を精緻化(elaborate)することによって、乗り超えるのだ。

 (注18)1694〜1746年。「アイルランド出身のスコットランド(<英国>)の哲学者。スコットランド啓蒙思想の祖・・・。後にベンサムが功利主義と共に広めた倫理学上の概念・原理である「最大多数の最大幸福」は、元々はハッチソン等が使っていたものである。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%83%83%E3%83%81%E3%82%BD%E3%83%B3
 グラスゴー大卒。
https://en.wikipedia.org/wiki/Francis_Hutcheson_(philosopher)

 様々な諸事例を提示した後、ヒュームは、我々が認める、(全てではないが、)大部分の諸言動(behaviors)は、公的効用(public utility)を増加させる、という結論に達する。
 これは、我々が、利己心(self-interest)だけで道徳的諸判断を行っていることを意味するのだろうか。
 彼の同僚たる経験主義者のトマス・ホッブスとは違って、全ての意図的諸活動は究極的には利己的であるとの見解であるところの、心理的利己主義(egoism)を拒絶し、実際にはそうではない、とヒュームは主張する。
 利己心からの諸考慮に加えて、我々は、他者達への同情によって動かされうる、とヒュームは主張(maintain)するのだ。
 それは、現代の理論家達が、利他的(altruistic)関心と呼ぶところの、完全に非利己的諸関心や諸動機を一人の人間に提供することができる、と。」
https://en.wikipedia.org/wiki/An_Enquiry_Concerning_the_Principles_of_Morals 前掲

⇒これまで、何度か部分的に記したことを、この際、やや敷衍して記すこととしよう。
 共にスコットランド人で、イギリス人以上にイギリス人的で、かつ、イギリスを客観的に眺めることができたところの、ヒュームとスミスは、イギリスが、個人主義(政治は選挙、経済は市場)を主、人間主義(政府による選挙・市場の管理、政府・民間によるところの、弱者や政治経済における敗者、の救済)を従とする体制であると認識し、ヒュームはイギリスの人間主義の側面について描写し、スミスはイギリスの個人主義の側面について描写した、と私は受け止めている次第だ。(太田)

 「ヒュームやバークリーのような経験主義哲学者達は、人間のアイデンティティに関し、束の理論(bundle theory)を好んだ。

⇒「経験主義・・・とは、人間の全ての知識は我々の経験に由来する、とする哲学上または心理学上の立場であ<って>・・・哲学的唯物論や実証主義と緊密に結びついており、知識の源泉を理性に求めて依拠する理性主義(合理主義)や、認識は直観的に得られるとする直観主義、神秘主義、あるいは超経験的なものについて語ろうとする形而上学と対立する。経験論における「経験」という語は、私的ないし個人的な経験や体験というよりもむしろ、客観的で公的な実験、観察といった風なニュアンスである。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B5%8C%E9%A8%93%E8%AB%96
 他方、「大陸合理主義の思想的内容は、通常、当時の<英国>においてロック、ヒュームらによって担われていたいわゆるイギリス経験論との対比で、<欧州>大陸側の傾向として理解される。イギリス経験論において人間は経験を通じて様々な観念・概念を獲得すると考えるのに対し、大陸合理主義においては、人間は生得的に理性を与えられ、基本的な観念・概念の一部をもつ、もしくはそれを獲得する能力をもつと考える。また、理性の能力を用いた内省・反省を通じて原理を捉え、そこからあらゆる法則を演繹しようとする演繹法が真理の探求の方法とされた。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%88%E7%90%86%E4%B8%BB%E7%BE%A9%E5%93%B2%E5%AD%A6
 以上の経験論、合理論の基本的な定義に照らし、どうして、バークリーが経験主義者に分類されるのか、仮に経験主義者だとしても、経験主義者のバークリーがどうして、(カントの位置付けは微妙ですが、)スピノザ、ライプニッツ、すなわち、合理論、の系譜に位置づけられるところの、ドイツ観念論
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%82%A4%E3%83%84%E8%A6%B3%E5%BF%B5%E8%AB%96
に大きな影響を及ぼしたのか、が、いまだによく分からない。(太田)

 この理論においては、「頭自身は、独立した力であるどころか、統合的(unity)ないし凝集的(cohesive)な力ではないところの、単なる諸知覚(perceptions)の束」なのだ。
 自己(the self)は、因果(causation)と類似(resemblance)の諸関係によって結び付けられた(linked)諸経験の束以外の何物でもない、或いは、より正確には、自己について経験的に保証された(warranted)観念は、かかる束の観念でしかないのだ。・・・
 ヒュームの自己についての見解の一つの解釈について、議論してきたのが哲学者にして心理学者のジェイムズ・ガイルズ(James Giles)<(注19)>だ。

 (注19)カナダのブリティッシュ・コロンビア大と英エディンバラ大で学び、現在、デンマークのRoshkilde大で心理学を講ずる。性的欲求は社会的ないし生物学的にではなく、自己の不完全性を克服しようとするものとの、プラトンの『饗宴』的な説明がなされるべきだとする。
https://en.wikipedia.org/wiki/James_Giles_(philosopher)

⇒本筋から離れるが、『饗宴』の「愛」の考え方に大きな影響を受けた私としては、ガイルズに大いなる親近感を覚える。(太田)

 彼の見解によれば、ヒュームは、還元主義(reductionism)<(注20)>の一形態であるところの、束の理論を主張したのではなく、自己についての削除的(eliminative)見解を主張した、というのだ。

 (注20)「概念や法則の多様性を減らす」考え方。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%82%84%E5%85%83%E4%B8%BB%E7%BE%A9

 すなわち、自己を諸知覚の束へと削減(reduce)するというよりは、ヒュームは、自己なる観念を丸ごと拒絶した、というのだ。
 この解釈では、ヒュームは、「無我(no-self)の理論」を提案しているのであって、仏教思想と多くの共通性がある、ということになる。
 この点について、心理学者のアリソン・ゴプニック(Alison Gopnik)<(注20)>は、ヒュームが、フランスに滞在していた1730年代の間に・・・アンジュー(Anjou)のラ・フレッシュ(La Fleche)で・・・イエズス会士達と何度も議論をしており、・・・仏教思想を学ぶ立場(position)にあった、と主張したことがある。」
https://en.wikipedia.org/wiki/David_Hume

 (注20)1955年〜。カナダのマクギル大卒、オックスフォード大博士、トロント大を経て、現在、米カリフォルニア大バークレー校の心理学教授にして哲学客員教授。女性。
https://en.wikipedia.org/wiki/Alison_Gopnik
 著書、『哲学する赤ちゃん(The Philosophical Baby: What Children's Minds Tell Us About Truth, Love, and the Meaning of Life)』(2009年。邦訳あり)の中で、赤ちゃんは、「ある意味、大人より賢く、想像力に富み、思いやりがあり、意識も鮮明である」、と主張した。
https://books.google.co.jp/books/about/%E5%93%B2%E5%AD%A6%E3%81%99%E3%82%8B%E8%B5%A4%E3%81%A1%E3%82%83%E3%82%93.html?id=cG8vkgAACAAJ&redir_esc=y

⇒ヒュームの英語ウィキペディアのこの部分は素晴らしい。
 多分、間違いなく、ヒュームが、イギリスにおける人間主義的要素の存在とその重要性に気付いたのは、仏教が、悟ることで人は人間主義化する、という趣旨の主張していることを知ったからだと思う。
 なお、人間主義は、人や人、人や自然、とを関係性の中で捉えるのであって、自己(我)を諸知覚の束と見るか、無我と見るか、は、修辞的な違いに過ぎないように私には思える。
 ちなみに、「アインシュタインは自身の回顧録で「(特殊相対性理論の)核心部分の推論は、ヒュームの理論(『人性論』)によって促進された」と述べている」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%82%A4%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%92%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%A0
ところ、彼が、「「現代科学に欠けているものを埋め合わせてくれる宗教があるとすれば、それは『仏教』です」とも語っている
http://inochi.jpn.org/hitoiki/S01.htm
のは、ヒュームが仏教の強い影響を受けていることを、あたかも予感していたかのようだ。(太田)
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(続く)