太田述正コラム#8647(2016.10.3)
<またまた啓蒙主義について(その5)>(2017.1.17公開)

 (3)欧米哲学

 「<哲学についての現在の通説の>大きなポイントの一つは、近代の哲学者達をきれいに、ルネ・デカルト、ライプニッツ、そしてバールーフ・スピノザのような、純粋で抽象的な思考(reasoning)を証拠よりも好む(favor)ところの合理論者達、と、ロック、デイヴィッド・ヒューム、そしてジョージ・バークリー(George Berkeley)<(注7)(コラム#1699、7082)>のような、諸感覚の証拠を頭の中における超然とした(detached)諸計算よりも選好する(prefer)ところの経験論者達、とに分けられる、ということだ。

 (注7)ジョージ・バークリー(George Berkeley。1685〜1753年)。イギリス系アイルランド人。キルケニー単科大学で学び、ダブリン大学卒、修士、(ずっと後に)博士(神学)。アイルランド国教会(要は英国教会(太田))の聖職者。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%BC
https://en.wikipedia.org/wiki/Idealism
 私は、バークリーについては、これまで名前くらいしか知らなかったのだが、彼が、一般に、英国の経験論の旗手であってロックとヒュームを繋ぐ存在、とされている一方で、ドイツの哲学者のショーペンハウエルが、彼を、(唯物論(materialism)に対比されるところの)唯心論(idealism。観念論と訳されることもある)の父、としている(上掲)ことに混乱を覚えた。
 というのも、経験論は、外からの情報に立脚して思考を展開させる、というイメージであるところ、唯心論は、自身の内から外を規定していく、というイメージであって、合理論と同じ、ないし、合理論に近い、と私には感じられたからだ。
 そこで、少し調べてみたところ、唯心論を世界で初めて体系的に展開したのは、インド亜大陸で大乗仏教の中から4世紀に興った瑜伽行唯識学派(Yogachara)であることを知った。
 バークリーがこの学派を知っていたとは思えないのだが、バークリーの唯心論はこの学派の再興、と見ることができそうなのだ。
https://en.wikipedia.org/wiki/Idealism
 以上の興味深い話をもう少し掘り下げたものを、本シリーズが終わるまでにまとめたいと考えているが、或いは、もっと先になるかもしれない。

 <しかし、>実際のところは、経験論チーム(Team Empiricist)を代表する、このイギリス人、このスコットランド人、そして、このアイルランド人、は雑多な(diverse)三人組なのであって、バークリーは、「自身を、何よりも、ロックのチーム仲間としてでなく、敵対者(opponent)と見ていた」。
 <また、>デカルトは、「解剖のために諸死骸を持ち帰るために」諸肉屋を訪問するような熱心な実験家だったし、スピノザは、単にレンズ磨きであっただけでなく、「流体力学と冶金学の諸実験を行った」。」(A)

⇒デカルトとスピノザの実験ですが、いずれにとっても趣味の域に留まっていたことは、デカルトに解剖学ないし動物学に関する著作がないこと、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%83%8D%E3%83%BB%E3%83%87%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%83%88 前掲
また、スピノザに流体力学や冶金学に関する著作がないこと、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%95%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%83%94%E3%83%8E%E3%82%B6
から明らかです。
 しかし、「注7」で述べたように、バークリーが難問であることは確かです。
 ちなみに、バークリーは、1709年に、当然、経験(観察)の成果であるところの、『新視覚論(An Essay towards a New Theory of Vision)』を上梓しており、これは、現代光学の基礎の一つとなっているところです。
https://en.wikipedia.org/wiki/George_Berkeley 前掲

 「<現在の通説は、>17世紀と18世紀の<欧米>哲学を扱うにあたって、それを「合理論者達」と「経験論者達」との間の闘争として描くことがもっぱらだ。
 この説明ぶりの中では、デカルトからヒュームに至る誰もが、真実(truth)が、数学のモデルに立脚した厳密に論理的な思考を通じて「この中で(in here)」発見されるのか、それとも、世界の観察を通じて「この外で(out there)」発見されるのか、どちらなのかを巡っての長い戦闘に従事した、とされる。
 <そして、>この議論が、今度は、18世紀末にイマヌエル・カントによって、彼が、全ての認識(perception)は我々の諸頭によって押し付けられる(imposed)諸範疇を通じて必然的に濾過される以上、どちらの側も正しいということを示す方法を考え出した時に、最終的に解決された、とされるのだ。

(続く)