太田述正コラム#8639(2016.9.29)
<またまた啓蒙主義について(その1)>(2017.1.13公開)

1 始めに

 アンソニー・ゴットリーブ(Anthony Gottlieb)の新刊、『啓蒙主義の夢--近代哲学の興隆(The Dream of Enlightenment: The Rise of Modern Philosophy)』のさわりを書評群をもとにご紹介し、私のコメントを付します。

A:http://www.ft.com/cms/s/0/7c35f68e-6927-11e6-a0b1-d87a9fea034f.html
(8月27日アクセス)
B:http://www.newyorker.com/magazine/2016/09/05/the-dream-of-enlightenment-by-anthony-gottlieb
(9月2日アクセス)
C:https://www.kirkusreviews.com/book-reviews/anthony-gottlieb/the-dream-of-enlightenment/
D:http://www.publishersweekly.com/978-0-87140-443-5
E:http://www.prospectmagazine.co.uk/arts-and-books/the-dream-of-enlightenment-the-rise-of-modern-philosophy-books-in-brief
F:http://www.economist.com/news/books-and-arts/21706235-well-documented-account-second-golden-age-western-philosophy-seeing-light

 啓蒙主義については、これまで何度も取り上げてきており、屋上屋を架す感がなきもあらずですが、今回の本は、自然科学者を除外し、哲学者に対象を絞っている上、何よりも著者の経歴が面白いこともあり、一味違った話が出てくるのではないか、と期待した次第です。 
 その著者、ゴットリーブは、ケンブリッジ大卒、1984年から2006年まで英エコノミスト誌の編集スタッフを務め、うち、1997年から2006年までは同誌編集長であった、というのですからね。
https://en.wikipedia.org/wiki/Anthony_Gottlieb

2 またまた啓蒙主義について

 (1)序

 「この、計画されている三部作の第二巻の中で、・・・著者は、デカルト、ホッブス、スピノザ、ロック、ライプニッツ、ヒューム、そして、パリのパンテオンの地下室に向かい合って埋められている、二人の「思いがけない同衾者」たる、ヴォルテールとルソーを含む、1630年代から18世紀末に至る、影響力ある思想家達を俎上に載せる。」(C)

 「歴史の中で、二つの時点において、哲学は大跳躍を行った。
 紀元前の5世紀央から4世紀末にかけてのソクラテス、プラトン、そして、アリストテレスの時、及び、1640年からフランス革命にかけての時だ。
 それは、その著名な『理性の夢(The Dream of Reason)』の中で、前者の150年間を書いたところの、著者の言だが、彼は、今度は、後者をこの著書の中で分析する。」(E)

⇒ゴットリーブが、古典ギリシャ哲学を欧米哲学の一環と見ていることから、それを啓蒙主義哲学と列記した(←その可能性は高い)のだとすれば、そのような見方は、私見では、古典ギリシャ哲学、より一般的には古典ギリシャ文明が、爾後、欧米だけでなく、旧世界全域の思想に大きな影響を及ぼしたことから問題がありますし、両者が、それぞれ、旧世界全域、及び、世界全域の思想に大きな影響を及ぼしたことから列記した(←その可能性は低い)のだとすれば、私見では、啓蒙主義哲学ではなく、アングロサクソン文明、より絞って言えば、同文明由来の経験論科学と政治・経済制度が世界全域の思想に大きな影響を及ぼしたのだから問題があります。
 なお、古典ギリシャ文明がユーラシア大陸全域の思想に大きな影響が及ぼしたことについて、次回、やや詳しい説明を行う予定です。(太田)

 「・・・彼は、1630年代からフランス革命までの、欧州における、知的、政治的、そして、科学的諸発展を描く。
 そして、デカルトから始め、ホッブス、スピノザ、ロック、(Bayle)<(注1)(コラム#6887)>、ライプニッツ、そして、ヒューム、と進み、最後を、ヴォルテール、ルソー、そしてフィロゾーフ(Philosophe)<(注2)>達で締め括る。」(D)

 (注1)ピエール・ベール(Pierre Bayle。1647〜1706年)。「南フランス、ピレネー山麓の寒村、ル・カルラで、プロテスタント(カルヴァン派)の牧師の息子として生まれる。ピュイローランとトゥールーズの学院で学ぶ。1669年に一度カトリックに改宗するが、翌年カルヴァン派に復帰。そのため迫害に遭い、スイスのジュネーヴに逃れる。同地のジュネーブ大学で学び、デカルト哲学に触れる。以後フランスに戻り、1675年からスダンの新教大学の哲学教授となる。しかしプロテスタントへの宗教迫害により1681年に大学が強制閉鎖され、オランダのロッテルダムに移住する。以後、同地の高等教育機関で哲学と宗教を教える。・・・
 。『歴史批評辞典』などを著して神学的な歴史観を懐疑的に分析し、啓蒙思想の先駆けとなった。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%82%A8%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%99%E3%83%BC%E3%83%AB
 (注2)「18世紀のフランスに現れた知識人、特に啓蒙思想家を意味する語。・・・代表的なフィロゾーフとしては、ルソーやモンテスキュー、「百科全書派」のディドロやダランベールなどを挙げることができる。」
http://www.weblio.jp/content/%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%AD%E3%82%BE%E3%83%BC%E3%83%95

 「1784年に書かれた『啓蒙とは何か(What is Enlightenment?)』と呼ばれた論文の中で、イマヌエル・カント(Immanuel Kant)は、「知ろうとせざるべからず(Dare to know=Sapere aude)」というモットーでもって、この運動の本質を結晶化した。
 人類は、その未成熟の状態から、理性を用いて出現した、と彼は主張したのだ。
 多くの者達にとって、カントは、啓蒙主義哲学者の至上の例だ。
 他の人々よりも、その道徳的かつ宗教的諸結論において挑発的ではないが、彼は、理性をできる限り遠くまで押し出した。
 著者は、驚くべきことに、この本をヴォルテールとルソーでもって終えていて、カントを、その次の巻で扱うことにしているが、この決定は若干の者達から疑念を寄せられるかもしれない。」(F)

(続く)