太田述正コラム#8609(2016.9.14)
<英国のインド亜大陸統治の醜悪さ(その3)>(2016.12.29公開)

 「18世紀央から1947年の独立と分割までの200年間にわたって、英当局は、混沌として暴力的で、制御されない諸情熱によって駆動され、不安感に深く苛まれたところの、体制を主宰した。
 英当局は、一度たりともインドを統治しようとしたことなどない。
 英当局による征服は、自分達自身の諸利益のため、或いは、それが統治した人々の諸利益のため、にその権力を行きわたらせる(spread)、という戦略によって駆動されてはいなかったのだ。・・・
 実践においては、<この>英国の帝国の最初から最後まで、英当局は、一連の要塞化された前哨居留地群(outposts)を作り続けたが、それは、その権力を守るために必要と思われたことだけをもっぱら行うためのものだった。
 英国人が居住した帝国諸都市と地区諸首都では、秩序、及び、若干の水準の公的諸サービス、が提供されたものの、インド亜大陸社会の多くには効果的な政府機関(government machinery)は存在しなかった。
 <すなわち、>現代の諸標準からすれば、国家の規模は小さく、その政治的活動の能力は極めて制限されていたのだ。」(E)

 「著者が示すように、インド亜大陸は屈した(subdued)かもしれないけれど、決して真の意味で征服されたわけではない。
 交渉とオープンな議論の時代に生きた人であれば、東インド会社の諸ニーズ・・そのニーズが自分達に合致していたならば、だが、・・に徐々に適応したことだろう。
 インド亜大陸は、様々な諸社会<が織りなす>文化だった。
 ムガール帝国(Mughals)は、均一性(homogeneity)ではなく、調和、を醸成し、中央集権化した国家の意思(will)を押しつけないよう注意し、諸敵も常に諸友になりうると感じていた。<(注2)>

 (注2)「ムガール帝国は、その存続期間の大部分、地方の諸社会に介入しようとはせず、新しい行政の諸やり方(practices)と多様で(diverse)包含的(inclusive)な統治エリート達を通じて、この諸社会を、均衡をとりつつ、平定(pacify)し、その結果、より体系的で中央集権化され、均一な(uniform)統治がもたらされた。・・・
 マラータ(Marathas)<(コラム#301、302、303、729、1677、3258、7642、7820、7824)>、ラージプート(Rajputs)<(コラム#754、5728、7642、7844、8031)>、パシュトゥーン(Pashtuns)、ヒンドゥー・ジャット(Hindu Jats)、そして、シーク(Sikhs)、といった、インド亜大陸の北部及び西部における、首尾一貫性ある(coherent)新たな社会諸集団、が、ムガール統治の間に軍事的かつ政治的(governing)な志をそれぞれ獲得した。
 ムガール帝国は、協同(collaboration)或いは敵対を通じて、これら社会諸集団に、認知と軍事的経験の双方を与えた。」
https://en.wikipedia.org/wiki/Mughal_Empire
 なお、ヒンドゥー・ジャットとは、現在のインド北西部に住むインド・アーリア系民族集団であり、ヒンドゥー教徒が大部分を占めるがヒンドゥー教の全儀典は行わない。
http://ejje.weblio.jp/content/Hindu+Jats

⇒どうやら、英当局は、東インド会社時代も、本国直接統治時代も、ムガール帝国のインド亜大陸統治のやり方を基本的に踏襲した、ということのようですね。
 ムガール帝国の統治者達は、インド亜大陸における少数派たるイスラム教徒中の新規外来者達であり、彼らによる統治の基本的なやり方を、ムガール帝国を簒奪したところの、新たな外来の少数者達であった英当局が踏襲したのは、しごく自然なことであった、と言うべきでしょう。
 問題は、それが近代的統治ではなかったことです。(太田)

 英当局は、実際には、警察官達であり鉄道建設者達でしかなかった。
 <英当局は、>この亜大陸において、植民しようとしたというよりは、単に金儲けがしたかっただけなのだ。
 もっとも、東インド会社は、政治権力にではなく、交易だけに関心があったとはいえ、それでもなお統治も行い、それを、市民達と関わらない形で(without engaging)行ったのだった。
 同社は、書類(paper)を権威の代替物とし、生身の人間達を<その書類上の>記述の数行へと矮小化(reduce)した。
 インド亜大陸が現実にイギリスと統合されるのは、ヴィクトリア女王が1876年に<インド>皇帝と名付けられた時まで待たねばならなかった。・・・
 インド亜大陸のイギリス時代より前の歴史は面白い(intriguing)。
 諸町や諸地域が、<南北戦争後、南部諸州において白人と黒人の関係を規律したところの、>分離すれども平等の原則(separate but equal)<に類似した原則>、に則っていたからだ。」(B)

(続く)