太田述正コラム#8515(2016.7.29)
<一財務官僚の先の大戦観(その53)>(2016.11.12公開)

 (一か月半以上の中断があったシリーズを再開することにしましたが、頓珍漢なことをしでかすことなく、円滑に書き進めることができればいいのですが・・。(太田))

 「昭和の金融恐慌だけでなく金解禁デフレによる不況も高橋是清という大蔵大臣が登場するとまるで魔法でも使ったかのように速やかに収まった。
 それは高橋是清のカリスマ性によるところもあったが、その背景には戦前の我が国の金本位制が実は今日の管理通貨制度に近いものだったことがあった。
 そのことは、明治30年に金本位制が導入されても金貨がほとんど流通しなかったことによってうかがい知ることができる。・・・
 <これに対し、>明治維新期に我が国を訪れた欧米諸国の商人の金貨に対する執着には強力なものがあった。・・・
 そのような欧米商人の金貨への執着の背景には、全国的な銀行券が紙くずになってしまった18世紀のフランスにおけるジョン・ロー事件<(注106)>や米国におけるコンチネンタル紙幣の事件<(注107)>などがあった。・・・

 (注106)ジョン・ロー(John Law de Lauriston。1671〜1729年)は、「スコットランド出身の経済思想家、実業家、財政家である。・・・
 1718年・・・フランス初の中央銀行<の>・・・総裁に就任する。1717年・・・には同行の銀行券での納税を可能とし、紙幣の使用<を>フランス中に広<めた>。さらに、・・・フランスの海外貿易特権を一手に握る・・・いわゆる「ミシシッピ会社」<を作り、>同社総裁に就任する<が、>・・・ミシシッピ開発<計画>は上手くい<かず、>・・・<やがて、同>計画は破綻し・・・<、>ローは<、1720>年・・・財務総監を辞任<し、更に>・・・フランス国外へ逃亡し<た。>」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%83%BC
 (注107)「<米>独立戦争中の独立政府において、・・・戦費をまかなう為に大陸紙幣 (Continental) と呼ばれる一種の政府紙幣を発行した。これは<米>国建国後<も>使用されつづけたが、不換紙幣であり濫発されたことから価値が暴落し信用のない通貨の代名詞になった。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%94%BF%E5%BA%9C%E7%B4%99%E5%B9%A3

⇒松元は具体的典拠を挙げていないところ、18世紀の前半と後半における、それぞれ、仏と米の政府紙幣の暴落が、それから少なくとも1世紀も経過したところの、19世紀末の「明治維新期に我が国を訪れた欧米諸国の商人」の間で、引き続き貨幣への執着をもたらしていた、とは考えにくいのではないでしょうか。(太田)

 <それに加え、>「富とは金(や銀、貨幣)であり、国力の増大とはそれらの蓄積である」という当時の重商主義<(注108)>の考え方もあった。・・・」(184〜、206

 (注108)「16世紀半ばから18世紀にかけて西<欧>で絶対君主制を標榜する諸国家がとった政策である。資本主義が産業革命によって確立する以前、王権が絶対主義体制(常備軍・官僚制度)を維持するため、国富増大を目指して行われた。<イギリスの>チャイルド[(Josiah Child。1630〜99年)]、オリバー・クロムウェルや<フランスの>ジャン=バティスト・コルベールらが代表者。・・・
 重商主義は、18世紀にはアダム・スミスの『国富論』で繰り返し批判されている。」
https://en.wikipedia.org/wiki/Josiah_Child ([]内)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8D%E5%95%86%E4%B8%BB%E7%BE%A9

⇒まず、余談からです。
 上掲の「重商主義」の日本語ウィキペディアが、絶対君主制時代がイギリスにもあり、しかもイギリスがその代表例であったかのような記述内容になっているのは、日本の西欧史学会の「絶対王政」についてのおかしな通念↓
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B5%B6%E5%AF%BE%E7%8E%8B%E6%94%BF (←この「絶対王政」の日本語ウィキペディアは、イギリスの場合、16世紀のテューダー朝がそうだったとしているので、その論客として、前掲の日本語ウィキペディアが17世紀の2人を挙げていることにも矛盾がある。)
に引きずられた誤りです。
 そもそも、イギリスは、一貫して議会主権国であり、しかも、コモンロー国であることからして、絶対王政たりうるはずがないのです。
 現に、Absolute monarchyの英語ウィキペディアには、イギリスは全く登場しません。
 前掲の「重商主義」の日本語ウィキペディアに関しては、これに加え、(この点は完全な誤りと決めつけるつもりはありませんが、)「資本主義が産業革命によって確立する」についても、イギリスが最初から個人主義、すなわち、資本主義であった、かつまた、イギリスには産業革命はなかった、という、私がかねてから買っている有力説がそれぞれあることから、疑問符が付きます。
 で、本論ですが、重商主義(mercantilism)は「16世紀半ばから18世紀にかけて」のものだった(「重商主義」の日本語ウィキペディア前掲、及び、
https://en.wikipedia.org/wiki/Mercantilism )
のですから、重商主義的な発想は19世紀末にもなれば、完全に廃れていたと思われるのであって、松元が記したように、「明治維新期に我が国を訪れた欧米諸国の商人」が重商主義的な発想をしたとも、やはり考えにくいところです。
 私見では、個人間(イギリス)、或いは、階級間(欧州)、の不信に立脚したアングロサクソン文明や欧州文明が貨幣フェチシズムをもたらしていたのに対し、人間相互の信頼感に立脚した(人間主義の)日本文明は紙幣に対する親和性があった、というか、貨幣も紙幣も不要であるところの信用取引志向性があった(コラム#省略)、ということなのです。(太田)

(続く)