太田述正コラム#8485(2016.7.14)
<階級社会米国(その3)>(2016.10.28公開)

 「著者は、英国の植民者達が、彼らの北米帝国を人間の屑(human waste)・・怠け者にして貧乏にして犯罪者的・・を廃棄する場所と見た、と主張する。
 <例えば、>このくだりに登場する大勢の多彩な人物達のうちの一人であるところの、年の若い方のリチャード・ハクルート<(注4)>は、この大陸を、著者の言葉によれば、無思慮な貧者達を勤勉な単純勤労者達(drudges)へと作り替えることができる、「巨大な感化院(workhouse)」と見た、と。」(C)

 (注4)従兄弟で法廷弁護士で下院議員等も務めたRichard Hakluyt(1531〜91年)という、同名の従兄弟で、両親が亡くなってから彼の保護者となった者がいる
https://en.wikipedia.org/wiki/Richard_Hakluyt_(barrister)
https://en.wikipedia.org/wiki/Richard_Hakluyt
ことから、この書評子ないし著者は、Richard Hakluyt the younger、と表記したと思われる。

 「植民地アメリカは、・・・「余り物たる貧者達、すなわち、イギリスの廃棄物(waste)たる人々、が経済的諸資産へと作り替えられる可能性のある場所」だった。
 イギリスの最も貧窮な(destitute)都市住民達はここに送られ・・子供達を含め、「ヤキ入れ(spiriting)」として知られた慣行の形で諸植民地へと船で送り込まれた・・、「使い捨て可能な(disposable)財産」として奉仕する、白人たる労働者達の階級が生み出された。
 著者は、「これら非英雄的な移植物群の中には、無頼の(roguish)追剥達(highwaymen)、賤しい(mean)浮浪者達(vagrants)、アイルランドの叛乱者達、世に知られた売春婦達、そして、諸重窃盗罪(grand larcenies)その他の諸財産犯罪を犯した故に諸植民地に船で送り込まれたところの、各種取り揃えられた受刑者達(an assortment of convicts)がいた」、と物語る。
 <マサチューセッツにやってきた>清教徒達やプリマス・ロック(Plymouth Rock)<(注5)>だの、<或いは、ヴァージニアにやってきた>ジョン・スミス(John Smith)<(コラム#1756、1995)>やジェームズタウン(Jamestown)のポカホンタスだの、の麗しい(kindly)諸譚は著者のお気に召さない(not to one's taste)というわけだ。」(B)

 (注5)「いわゆる「巡礼始祖(ピルグリム)」が、1620年にメイフラワー号からプリマス(現在のマサチューセッツ州東岸)に上陸した際、最初に踏んだとされる岩。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%AA%E3%83%9E%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%AF

 (3)米建国の父達(全般)

 「この国の建国者達は、彼らの奴隷制に対する偽善性を既に断罪されているところだが、階級に関しても、彼らの出来の悪さは大同小異だ。
 独立革命の最中に、ジョージ・ワシントン(George Washington)は、「人々の中の下級階級」だけが兵卒(foot soldier)を務めるべきだ、と述べたし、トマス・ジェファーソン(Thomas Jefferson)は、農民達と労働者達の、勤労倫理、そして、種畜(breeding stock)、が改善されることを期待して、この諸植民地にドイツ人移民達を輸入することを考えた。
 「我々の馬達、犬達、そして他の動物達を増殖させるにあたって、より上位の美しさの諸事情に関心を持つことは有意義であると思われる」、と、このヴァージニアのプランテーション主は記し、「人間に関してもそうであってよかろう」、と付け加えたものだ。」(B)

 「ベンジャミン・フランクリン(Benjamin Franklin)は、ペンシルヴェニアの僻地の住民達を「カス(refuse)」と描写した。
 また、ヘンリー・デーヴィッド・ソロー(Henry David Thoreau)は、西部諸州や諸準州に流入しつつあった米国人達を肥やしにたとえた。
 彼らの唯一の取り柄は、肥料の一種としてのものだけだ、と。
 異なったもう一つの説明の仕方は、貧者たる白人達のいわゆる怠惰性は奴隷制のせいだ、というものだった。
 ジョージア<植民地>の1733年における創設者であるジェームズ・オグレソープ(James Oglethorpe)<(注6)>は、自由人たる白人達が、より強固な勤労倫理を身に付けるためだとして、当初、この植民地において奴隷制を禁じた。

 (注6)1696〜1785年。英国の将軍にして下院議員にして博愛主義者。
 イートン校卒、オックスフォード大中退、パリ陸軍士官学校で学び、欧州で傭兵として軍役に従事して活躍、という経歴がある。
 下院議員になってから、債務者監獄に入っている人々の多くを解放すると共に、彼らに生活の資を与えるべく、新世界に入植させようと、1732年にジョージア植民地を創設し、入植者達とともに、翌年、ジョージア植民地総督としてジョージアの地入りし、1743年まで総督を務めた。
https://en.wikipedia.org/wiki/James_Oglethorpe

 フランクリンとジェファーソンは、後に、同じ極めて重要な諸主張を、より精緻化した。
 彼らは、奴隷達が、さもなくば貧者たる白人達が行ったかもしれない仕事を行うことで、奴隷制は、貧者たる白人達の間で、怠惰(slothfulness)その他の雑多な諸悪徳を募らせた、と主張した。
 奴隷制は、要するに、白人たるゴミを生み出した、というのだ。」(A)

(続く)