太田述正コラム#8483(2016.7.13)
<階級社会米国(その2)>(2016.10.27公開)

「我々の数多くの諸欠点の中で、階級間諸差異については、誰もが完全にそれに気付いているというのに、そして、トウェイン(Twain)、ドレイサー(Dreiser)、ウォートン(Wharton)、カーター(Cather)、ルイス(Lewis)、フォークナー(Faulkner)、フィッツジェラルド(Fitzgerald)、といった具合に、それに注意を払う重要な米作家達のリストは留まるところを知らないというのに、米国人達は、社会階級<の問題>から意図的に目を背けているというので、常に譴責されてきたものだ。
 にもかかわらず、この数十年というもの、階級間諸不平等が中心舞台から押しのけられて来たことは否定できない。
 第二次世界大戦中以来、進歩的社会変化に向けての長い闘争が経済諸問題から黒人達、女性達、及び、伝統的に隅に追いやられてきたその他の人々、に完全な市民権を確保させることに焦点が当てられて来た。
 そして、多人種的移住によって部分的に駆動されたところの、アイデンティティ政治(identity politics)<(注1)>の興隆が、階級の役割とその犠牲者達の諸苦情を更に覆い隠してきたのだ。」(E)

 (注1)「主に社会的不公正の犠牲になっているジェンダー、人種、民族、性的指向、障害などの特定のアイデンティティに基づく集団の利益を代弁して行う政治活動。」
http://ejje.weblio.jp/content/identity+politics

 ・・・著者は、米国における神話形成のこの側面に対する、勇気ある、かつ、多方面にわたる、攻撃を書き記した。
 我々の社会は頗るつきに階級に立脚しているのであって、それは、ウォール街占拠運動やバーニー・サンダース(Bernie Sanders)<が出現する>よりもずっと前から、いや、まだ<この国が>国に全くなっていない時よりもずっと前からそうだった、と彼女は主張する。
 この本の中で、著者は米国における階級に対して、極めて独特なる一瞥をくれる。
 アンドリュー・ジャクソンからドナルド・トランプ(Donald Trump)に至る政治家達が糾合しようとするも、それ以外の時は悪漢視され、拒絶され、標的にされ、物理的に、優生学や差別的な公共政策を通じ、諸救貧院や諸トレーラーパークに、そして、この国の文化的想像の中で、嘲笑をされ、駄作扱い(kitsch)をされ、かつ、止むことなきしかめっ面をされる形で、隔離され続けてきたところの、白人たる田舎の人非人達について検証しているのだ。」(B)

 「大部分の人々は、<英領北米>諸植民地が山の上にある町(City on the Hill)<(注2)>などとはみなされていなかったことを知らない。

 (注2)=City upon a Hill
https://en.wikipedia.org/wiki/City_on_a_Hill
https://en.wikipedia.org/wiki/City_upon_a_Hill
 出典は、イエスによるいわゆる山上の垂訓
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E4%B8%8A%E3%81%AE%E5%9E%82%E8%A8%93
の一節の「あなたがたは世の光である。山の上にある町は、隠れることができない。」(『マタイ伝』5:13-5:16)
http://james.3zoku.com/jesus/jesus10.html
 「時代がどれほど暗い闇に覆われていたとしても、その闇の中で神の言葉に聴き従おうとする一人ひとりの存在が「山の上の小さな灯り」なのです。」
http://oibaptist-ch.net/%E5%B1%B1%E3%81%AE%E4%B8%8A%E3%81%AE%E5%B0%8F%E3%81%95%E3%81%AA%E7%81%AF%E3%82%8A%E3%80%80%E3%80%80%E3%80%80%E5%8A%A0%E8%97%A4%E3%80%80%E8%AA%A0/?future=all

 <それどころか、実のところ、>これら諸植民地は、英国に存在していた貧困の水準を減少させるためのゴミ捨て場とみなされていたのだ。
 人々を、使い捨て可能と仮定してゴミ(waste)として扱うということは、彼らの地位を変えるために助けることなど何も行う必要がないことを意味している。」(F)

 (2)英領北米植民地

 「著者による物語は、新世界の旅行記群の編纂者でその植民地化を擁護した、16世紀のイギリスの聖職者のリチャード・ハクルート(Richard Hakluyt)<(コラム#4569)>から始まる。
 彼は、北米を、「廃棄物的(waste)人々」を入植させることが必要な、野性的(wild)で未開拓の不毛の地(wasteland)と心に描いた。
 国政(body politic)の隠喩の枠内において、植民者達は、安全なくらい離れている場所へ追放されることが最も望ましい、不要の廃棄物であるところの、比喩的な糞便(excrement)なのだった。
 この追放は、イギリスに残った人々にとって、都合の良い経済的な諸便益をもたらした。
 彼らは乞食達や盗賊達やその他の順応不能者達(misfits)を厄介払いできただけでなく、これらの人非人達(outcasts)が、将来の交易や入植のために、荒れ果てた風景を征服してくれることを期待できた。
 1625年より前の植民者達の死亡率は、実に80%にも上った。
 この数字は、植民者達の過半は消耗品であるとの信条によって、より口当たりの良いものにされたことだろう。
 大西洋沿岸に若干の諸植民地が創建された後、「廃棄物的人々」を西方に送り込むという同じパターンが自ずから繰り返された。
 富裕な北米エリート達は切り開かれ開墾された沿岸に近い諸土地に会衆する一方で、その多くがかつて年季奉公人達であったところの、貧乏人達は、掴みどころのない社会的移動性を求めて諸辺境における襲撃や困難な農業諸条件に耐えた。
 1676年に、ジェームズタウン(Jamestown)の総督がナサニエル・ベイコン(Nathaniel Bacon)の乱<(注3)>の背後にいた貧乏人たる植民者達の一団を、人間の排泄物を意味する言葉である「糞野郎ども(offscourings)」と呼んだ時、それは共通の認識を言挙げしたものだった。」(A)

 (注3)Bacon's Rebellion。「この反乱は・・・バージニア植民地<の>・・・ジェームズタウンの総督に対して向けられたものであり、ベイコンは急進的なインディアン対策を要求した。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%82%A4%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%81%AE%E5%8F%8D%E4%B9%B1

(続く)