太田述正コラム#8580(2016.8.31)
<皆さんとディスカッション(続x3086)>

<太田>(ツイッターより)

「高畑裕太の父親は『相棒』俳優…大谷亮介…」
http://news.livedoor.com/article/detail/11953251/
 また文春がスクープ。
 裕太とこと美は異父弟姉だったわけだ。
 淳子は2番目の夫と別居中だったというが、裕太は不倫のしかもできちゃった子だったってこと。
 だんだん裕太が可愛そうになってきちゃったぜ。

<太田>

 新潮の関連記事だ。↓
http://news.livedoor.com/article/detail/11953438/

<YcxdBHsc>(「たった一人の反乱(避難所)」より)

 女優の田中裕子だったと思うが、ある劇団に入って劇団員の性的関係があまりに乱れているのでショックを受けたという話を聞いたことがある。
 根無し草みたいな職業で、疑似的人間関係を演じているのだから、男女関係が濃厚になってもおかしくない。
 もちろん、すべての劇団がやばいわけではないだろうが。
 高畑淳子の場合、青年座で女優としての成功は掴んだが、男女関係も息子の教育も失敗したのでしょう。
http://netallica.yahoo.co.jp/news/20160826-34029816-tocana

<Hid7h6Xw>(同上)

≫隣国のまことにもって「ご立派」な、政府・マスコミ・知識人達。≪(コラム#7578。太田)

 朝鮮日報が朴槿恵と対立したって言ってたの思い出した↓
http://ameblo.jp/sincerelee/entry-12194732212.html

<EKY/gtFo>(同上)

≫・・・西安事件解釈、後知恵ながら完全に誤りであり、今度のオフ会「講演」で180度異なった「正しい」解釈を開陳するね。≪(コラム#8562。太田)

 西安事件について色々考えてみました。まずはそれぞれの勢力の西安事件に至るまでの背景

・毛沢東

 毛沢東(共産党)は西安事件<(1936.12.12)>直前に『同年12月7日、朱徳に代わって中華ソビエト共和国中央革命軍事委員会(紅軍の指導機関)主席に就任して正式に軍権を掌握。5日後の12月12日に西安で起きた・・』紅軍を掌握しましたが、そこに至るまでは国民党とどう戦うかでソ連留学組との派閥抗争をしています。
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/moutyousei.pdf(毛沢東の長征)
http://www.zinbun.kyoto-u.ac.jp/~rcmcc/245-266.pdf(新河県の中国共産党とその歴史)
・ソ連の動き又は国民党、蒋介石の対応

 『・・・また十二月二十八日にストモニアコフ<(注a)は、ボゴモロフ<(注b)>に宛てた書簡において、・・・日中戦争が実際に生じた際にはソ連は応分の援助を与える用意があることを指摘しつつも、蒋介石の対日態度は未だに徹底抗戦の段階に達していないとして、中ソ相互援助協定は時期尚早であり、それよりも蒋の実際の意図を明らかにすることを第一の課題として指示したのである。

(注a(太田による。「注」に関して以下同じ。))ストモニャコフ外務人民委員代理(外相代理)
https://hermes-ir.lib.hit-u.ac.jp/rs/bitstream/10086/12598/1/ronso1010101110.pdf
(注b)ドミトリー・ボゴモロフ駐華ソ連全権代表(駐華大使)
https://www.google.co.jp/search?sourceid=navclient&hl=ja&ie=UTF-8&rlz=1T4GGHP_jaJP668JP668&q=%E3%83%9C%E3%82%B4%E3%83%A2%E3%83%AD%E3%83%95&gws_rd=ssl#hl=ja&q=%E3%83%9C%E3%82%B4%E3%83%A2%E3%83%AD%E3%83%95%EF%BC%9B%E4%B8%AD%E5%9B%BD

 このようなモスクワの属踏の原因の一つは、広田三原則に対する蒋介石の態度の暖昧さにあった。特に、<1936年>一月二十一日、第六十八議会において、広田外相が・・・中国の広田三原則承認を示唆するかのような演説を行なうと、ソ連側は驚樗した。ボゴモロフは翌二十二日、蒋介石を訪ねて、広田三原則に対する中国側の態度を正したが、蒋は明確な解答を与えることを避けた。この会見の翌日になって、ようやく国民政府は広田三原則承認を否定する声明を発表し、ボゴモロフは安堵で胸をなでおろしたが、このことはソ連側に、状況次第では蒋介石が日本の共同防共要求を承認する可能性を、改めて思い知らせたのである。』

→蒋介石の胡散臭さがよくわかります。赤露からも疑惑をもたれていたようです。

 『・・ユレネフ<(注c)>は、<1936年?>七月二十三日外防共概念の導入と日ソ関係の変容務人民委員部宛書簡で、「・・・私の考えでは、現在の条件で日本が、日ソ関係で何らかの真剣な冒険に走るとは思えない)。と述べているが、こうした考えはモスクワにおいてもほぽ共有されていたように思われる。

(注c)駐日ソ連大使
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=00103162&TYPE=IMAGE_FILE&POS=1

 事実、ソ蒙相互援助協定は一定の牽制効果を発揮し、これ以後国境紛争は日を追って減少した。モスクワはこの時期、日本の対ソ政策が根本的な変更をみることはあり得ないが、華北分離工作の泥沼化と日本の国際的孤立化が、いわば息つぎ的に日本の対ソ政策を緩和する可能性はあるとの見通しをくだしていた。こうした緩和的政策には、ソ満国境の再画定問題についての譲歩のみならず、日ソ不可侵条約の締結すら含まれる可能性があるものとソ連は予想していたのである。従って、この時期ソ連が最も心を砕いたのは、日中関係の帰趨であった。ソ連にとって望ましい形で日中関係が展開されるためには、少くとも次の二つの条件が中国側に揃うことが必要であった。』

→国際社会がよってたかって日本を批判し日本が静観せざる得ないことは赤露が充分に承知しつつ謀略、(国共合作)を目論んでいたわけです。

 『第一に、蒋介石が従来の・安内接外・政策を撤回し、国共聞に抗日戦争に堪えうる軍事的統一戦線が形成される必要があった。第二に、前者と密接に関係するが、蒋介石政権が寸共同防共要求に代表されるような日本側の対ソ戦略への包摂を明白な形で拒絶することが必要であった。既に述べたように、広田三原則の提示を機に中ソ間では頻繁に接触が持たれていたが、国共合作はその際の重要な論題の一つであった。一九三五年十二月十九日、蒋介石はボゴモロフに対して、ソ連が中国統一に同情を寄せていることに謝意を表した後で、ソ連政府の中国統一に対する助力を依頼した。これを受けて、ストモニアコフは二十八日、ボゴモロフに対して次のような訓令を与えたのである。「蒋介石と中国紅軍との相互関係の問題については、特に詳説する必要がある。この問題が我々の関心をひく理由、そして彼の主要な軍事力が中国紅軍に対して使われるのかどうかが不明であることを注意する必要がある。・・・蒋介石が日本との軍事抗争をどういう形態のものと考えているか、との統一戦線が実現しなければ、日本の侵略に対して徹底的に戦うことは不可能である。もし蒋介石がこの点に関して、抗日統一戦線を樹立する目的で、我々に彼等と紅軍との聞の仲介を希望する旨を貴下に伝えた場合は、我々はこうした役割を引き受けることはできないが、蒋が中共と直接に交渉することは完全に可能である、と指摘せよ。」』

→まだこの時点では蒋介石はのらりくらりと赤露からの無言の圧力にはなんとか耐えられたのでしょう、蒋の真意が掴めない中で赤露の使徒たちがその国共合作という意を汲むわけです。

 『こうした統一戦線の形成に関するソ連の強い関心を背景に、国民政府とコミンテルン・中共との接触が、モスクワと中国とでほぽ同時期に開始された。・・・他方、中国国内では、国民党中央組織部長陳立夫<(注d)>の指揮下で、国共間で一九三六年前半までに三回の秘密会談がもたれた。これらの国共交渉において、国民党側が提示した条件は比較的柔軟であった。

(注d)1900〜2001年。「ピッツバーグ大学で鉱学修士を取得・・・立夫は中央党部組織部部長となった<兄の>果夫<・・当時立夫は立夫は>党務調査科主任<・・>とともに党務を総括する立場となり、「蒋家天下陳家党」と称されるようになる。・・・1935年から、蒋介石の密命により、陳立夫は共産党との接触を開始し、さらにソ連も訪問している。」なお、「中央組織部長陳立夫」は「中央組織部党務調査科主任」のケアレスミスか。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%B3%E7%AB%8B%E5%A4%AB

 蒋介石は一月二十二日、ボゴモロフに対して寸紅軍が中央政府と統帥部の権威を認め、現在の編成を維持しつつ対日戦に参加することを基礎として、中共と交渉することが可能であると考えている<、と伝えた(?)>。・・・。』

 『モスクワは歓迎した。三月十一日、孔祥照<(注e)>と会見したボゴモロフは、孔から秘密裡に、蒋介石が既に統一戦線に関する国共交渉を開始していること、孔自身はこの交渉の成功を希望していることを伝えられているが、ソ連は様々な情報源から統一戦線運動の進展についての感触を得ていた。

(注e)孔祥照は孔祥熙のミスプリだと思われる。
 孔祥熙<は>・・・妻<が宋慶齢、宋美齢の姉の>宋靄齢。宋靄齢を通じて宋子文や蒋介石とは姻戚関係にあり、陳果夫を含めた4人は四大家族と呼ばれた。長期にわたって国民政府の財政部門を担当したが、宋家と結託していわゆる孔宋集団を形成し、腐敗政権や民衆の財産を集め私腹を肥やす者たちの象徴と言われた。国共内戦の末期には、中国国民党や孔宋家の一族に対して「刮民党」(刮は、略奪する、巻き上げるの意味)と呼ぶことが流行した。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%8B%E9%9D%84%E9%BD%A2

 ボゴモロブは、五月三日付のストモニアコフ宛書簡において、張学良が単に原則論として紅軍と抗日のための協定を締結するのに賛成しているだけでなく、実際に張学良と紅軍とは停戦を行なっていること、張学良の配下にある将軍達も皆この点では同意していること、・・・これに対して、中共中央は張・楊との交渉を進め、一九三六年春までには西北軍・東北箪と紅軍との聞に局部的な停戦協定が秘密裡に成立していたのである。この停戦協定を受けて、四月九日、周恩来と張学良は延安で会談を行なったが、この会談で張学良は、蒋介石の全国統一の成果を評価し、』
http://googleweblight.com/?lite_url=http://dspace.lib.niigata-u.ac.jp/dspace/bitstream/10191/1074/1/18_0118.pdf&ei=dqhcjUEs&lc=ja-JP&s=1&m=491&host=www.google.co.jp&f=1&client=ms-docomo_link-jp&gl=jp&q=%E7%B6%8F%E9%81%A0%E4%BA%8B%E4%BB%B6%E3%81%A8%E8%8F%AF%E5%8C%97%E5%88%86%E9%9B%A2%E5%B7%A5%E4%BD%9C&ts=1472554831&sig=AKOVD65mNj_vy74le_Y0VDE8X_Cp6WSpZA(綏遠事件と華北分離工作)

≫爾後、ドイツからの軍事的支援が先細りになることを予見し、・・・そもそも自らの中国国民党内外での権力の維持が困難になることを予感し、容共と中国共産党との合作を条件として独に代わっての軍事的支援の提供の申し出が恐らくは密かに既にあったところの、赤露との提携を模索し始めていた、と見たらどうか≪
≫「危険」を予見しつつも、いや、予見した・・からこそ、西安に蒋介石は乗り込んで、赤露提示の条件をクリアしようとした、と、私は大胆に考えてみたいのです。蒋介石は、脅迫によってであれ何であれ、事件中に行った、中国共産党との「合意」を反故にするつもりなど全くかったのだ、と。≪(コラム#8358。太田)

→1936年春頃には張の蒋に対する印象は良かったようです。
 華北分離工作や内蒙工作、綏遠事件によって蒋も危機感を持ったため部下に積極的に交渉を進めたためで。
 (あくまでこれは自分の権力基盤がかかっていたからでしょう)とは言え半年後に蒋を拘禁するのはやはり蒋の本性を知ったからではないでしょうか。
 実際、国共合作交渉を積極的に進めたのは蒋ではなく部下たちであり、蒋は西安事件で事此所に到って元々オプションとしてあった案に上手く乗っただけでは?
 ドイツからの軍事支援が先細りになるのを予見したというよりは彼のエゴが究極的には合作をもたらす結果となったと思います。

 『国民政府は 1936 年の夏から関東軍の内蒙古工作の一環である綏遠作戦に高度の注意を払っていた。蒋介石は 10 月 16 日から 3 日間にわたり・・対日態度を協議すると共に、綏遠問題対策をも討議した。さらに、中央擁護を実現するために、22 日西安へ飛び、張学良、閻・山等と会合を開いた。・・これに対して国民政府は関東軍の西北進出の動きを停止させる作戦に乗り出した。11 月 7 日、蒋介石の腹心陳誠は寧夏に飛来して、馬鴻達、達王と懇談をした。この懇談では、陳誠は西蒙古にいる日本人を一掃する目的で中央軍をこの方面に派遣することを提案した。』

≫次回の東京オフ会での「講演」で、この修士論文に改めて触れることにします。≪(コラム#8352。太田)

 参考になれば↓

 ・防共概念の導入と日ソ関係の変容
http://googleweblight.com/?lite_url=http://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/bitstream/2115/16734/1/40(5-6)2_p1143-1190.pdf&ei=STty96ID&lc=ja-JP&s=1&m=491&host=www.google.co.jp&f=1&client=ms-docomo_link-jp&gl=jp&q=%E8%92%8B%E4%BB%8B%E7%9F%B3+%E8%A5%BF%E5%AE%89%E4%BA%8B%E4%BB%B6+%E8%AB%96%E6%96%87&ts=1472485915&sig=AKOVD66p7TKYEZ_kdraLGKaV7BQjZtAhwA

 『共産党本部は大歓声に包まれた。毛沢東は大喜びだった。彼と紅軍司令官・朱徳は、蒋介石を直ちに処刑すべきだと考えた。しかし、彼らの一存では決められないので、スターリンに電報を打ち、蒋介石を人民裁判にかける提案をした。同時に、毛沢東は張学良にメセッージを送り、彼を「抗日の国民的リーダー」と持ち上げて、蒋介石には「断固とした」対応をすべきだ、と示唆した。』
 『西安クーデターを知ったスターリンは、毛沢東のように朗報だとは考えなかった。この異変は彼の戦略の大きな障害になると思ったからだ。蒋介石監禁を知った大元帥側近の陳立夫(張群と周恩来の秘密交渉にも参加)はコミンテルン代表・潘に頼んでモスクワの本部へ「万一、大総統の身に異変があれば、中国はリーダーなしで日本と戦うことになる。これはソ連の利益にはならないだろう」と警告の暗号電報を送った。』
 『スターリンには、蒋介石の息子・蒋経国という切り札があった。ロシア人の妻と幼い子供のいる蒋経国は、ウラルの工業団地で働いていたが、スターリンの命令でモスクワに呼び戻されていた。スターリンは周恩来に電報で「西安の蒋介石との交渉で、国共合作が成立すれば(12年ぶりの)蒋経国の帰国が実現されるだろう」と伝えるよう指示している。』
 『死後公開された張学良のオーラル・ヒストリーで、彼は蒋介石は「究極のエゴイスト」であったと語っている。』

The Generalissimo: Chiang Kai-Shek and the for Modern China”(大元帥、蒋介石と近代化のための苦闘)Jay Taylor著2009年刊、”Generalissimo:Chiang Kai-Shek and the China He Lost “ (大元帥、蒋介石とその失われた中国)Jonathan Fenby著 2003年刊、
http://toruhijino.hatenablog.jp/entry/2016/05/13/083237

→幾つか間違いがありますが張の言葉(日本語wikiには載っていない)は意味深です。

<太田>

 オフ会で話す内容を読まれちゃったかも、と心配したけど、杞憂だったようで一安心。
 史料をいくつか教えてもらってサンキュー。
 これら史料は、私の「新説」を補強してくれそうだ。
 一点だけ感想だが、当時の赤露の蒋介石政権とのやりとりを、赤露の駐華大使と本国との公信だけに拠るのは不十分ではないか、と思う。
 (そもそも、駐華大使は、蒋介石政権に対する非合法叛乱団体であるところの、中国共産党と堂々と関わるわけにはいかなかったであろう点一つとってもね。)
 つまり、太平洋労働組合書記局
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E5%B9%B3%E6%B4%8B%E5%8A%B4%E5%83%8D%E7%B5%84%E5%90%88%E6%9B%B8%E8%A8%98%E5%B1%80
やコミンテルン極東局
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%9F%E3%83%B3%E3%83%86%E3%83%AB%E3%83%B3%E6%A5%B5%E6%9D%B1%E5%B1%80
を通じての、赤露のヤミでの蒋介石政権や中国共産党との西安事件がらみでの関わりもぜひ知りたいんだが、連中は、最初から記録なんて残してないか、残してたとしても、ロシアが解禁しない可能性があるから・・・新生ロシアは赤露KGBの政権!・・半ば諦めてるよ。

<七氏>(「たった一人の反乱(避難所)」より)

 「小池都知事の築地移転延期。まずいな、政治戦略・戦術としては失敗するだろう」「小池都知事が今、力を入れるべきは、築地市場移転問題やオリンピック問題ではない。平成29年度の予算編成だ。築地市場移転問題やオリンピック問題では改革の成果はそれほど出せない。この見立てこそが政治戦略・政治戦術。」
http://lite.blogos.com/article/188640/?axis=&p=2
 橋本さん、普通に8回の土壌調査を予定していたってことは、必要だってことであって、日本代表の市場の安全性確保は重要なことではないのかね??
 目先の権力闘争に専念しろって言ってるだけでしょ。

<NwaRCmbI>(同上)

 橋下って政治の世界に転身して以降、一貫して"政治屋"を目指してた人だし、権力闘争に専念しろってのは実に政治屋らしい発想だわな。
 市長当選当初はまだ一般人の感覚が残ってたけど、ようやく一端の政治屋になれたんだね。
 上記アドレスだと見れなかったので一応。↓
http://blogos.com/article/188640/

<山本>

 「自衛隊ってこんなとこでしたpart1」自衛官から自転車屋に転職したKIYOSHIIIK自衛官時代の四方山話。
https://www.youtube.com/watch?v=QksGaFN_DuE

 「買ってはいけない小型自転車」小型+折りたたみが最悪の自転車だということがわかる。
 小型なので車体強度が弱く壊れる。
部品が特殊かつ共通化されてないので直せない。
車輪径が小さいのでタイヤがすぐチビるかつハブが壊れる。
折りたたみ自転車は車体強度を更に弱くする。
走行性能が低いのに普通の自転車と同じ感覚でコーナーに突っ込んで、コケる怪我する死ぬ。
結論として「小径車は半年乗り潰して修理できないと捨てる」ならアリ。

<ちなみに、>折りたたみ自転車はMONTAGUE PARATROOPERが有名だけど欧州安全規格EN14781を合格しているのはchangebikeぐらいしかない。
https://www.youtube.com/watch?v=lhaJP_9F0hs
http://amzn.to/2bxm0SM
http://amzn.to/2bxnixc

<太田>

 それでは、その他の記事の紹介です。

 ま、確かに、私も含めて心しなきゃな。↓

 「「縄文時代」はつくられた幻想に過ぎない 考古学と社会の関わりを研究する山田康弘さん・・・」
http://digital.asahi.com/articles/DA3S12534084.html?rm=149

 そんなことたって、ドイツ人のラーベはいたもんね。↓

 「習近平氏が「日本の暴行暴いた」と称賛した英国人記者、「南京事件」の現場に居合せず 在職記録もなし・・・」
http://www.sankei.com/world/news/160831/wor1608310007-n1.html

 では、中共官民の日本礼賛(日本文明総体継受)記事群だ。↓

 <耳タコ気味。中共人民観光客はよくモノを紛失するよーね。↓>
 「・・・今日頭条は・・・そのような経験をした中国人観光客について紹介する記事を掲載した。この中国人観光客は、日本で体験したあるハプニング1つで今までの考えを改め、日本に好意を抱くに至ったようである。
 記事はまず、「歴史の問題を差し置いても、日本は決して自分にとって思いを馳せる場所ではなかった」と説明。文化にしろ景色にしろ、日本にあるものは中国国内にあるし、「正直、美しさに窒息するし、目が痛くなる」とした。さらに、「われわれ中華民族に対して犯した過ちは、歴史上忘れることはできない」とした。
 そのうえで「出発するその日、日本の新幹線で一眼レフカメラを紛失した。しかし40分以内に戻ってきたのだ」と紹介。この出来事によって「私は日本という国を尊敬し始めた」と心境の変化を告白するとともに、「日本の多くの場所の中で、京都の水が最も透き通ってると感じた」とし、京都の美しさも讃えた。
 この記事に対するコメントを見ると、「自分も日本で物を落としたが、ちゃんと返ってきて感動した」といった類の感想が複数見られた。」
http://news.searchina.net/id/1617676?page=1
 <シンガポール付け加えるの余計では?↓>
 「・・・中潔網はこのほど、世界各国の公衆トイレに見られる個性的な管理方法について説明し、特に日本とシンガポールの公衆トイレを称賛している。
 記事はカナダ、スイス、ドイツ、日本、シンガポールの公衆トイレを紹介。日本の公衆トイレの清潔さは中国でも広く知られるが、記事は日本では「観光スポットになるほどのトイレもある」と説明。特に外国人観光客は日本でトイレを使用すると同時に日本の歴史や文化を知ることができる存在だと紹介。
 日本で公衆トイレを使用するだけでも、日本人の公徳心の高さのみならず、日本人がいかに公衆衛生を重視しているのか、トイレ用擬音装置に代表されるように日本企業がいかに使う人の立場で製品開発を行っているかなど、見えてくるものは数多く存在すると言えよう。
 またシンガポールの公衆トイレについては「1990年代半ばから公衆トイレを清潔にする運動を大々的に展開した」と紹介、公衆トイレの清潔さは国家のイメージにとって非常に重要という認識が存在することを伝え、「日本とシンガポールの公衆トイレのデザインは周囲の建造物との調和がとれており、中国の公衆トイレ建設に啓発を与える」と論じた。」
http://news.searchina.net/id/1617673?page=1
 <日本のゴミ処理政策礼賛。↓>
 「・・・Fweek節能環保網は・・・記事で日本のゴミ処理システムを絶賛しており、人口密度が高い東京でもゴミ処理システムが非常に高いレベルで機能していることを紹介している。
 記事はまず東京は人口の多さゆえに「人を圧倒するほどのゴミが生じる」と説明、それでも「東京の清潔さで有名」であり「巨大な都市の規模が環境を損なってはいない」と紹介。「世界の都市総合力ランキング」でも、東京は環境の分野で上位にランキングしていると説明し、東京のゴミ処理システムのレベルの高さを絶賛した。
 記事はまた日本のゴミ処理システムは「1世紀という非常に長い時間のなかで模索しつつ確立された」ものであると称賛。日本は100年という長い時間のなかで、ゴミ処理に関わる数多くの法整備を進め、さらに教育を通じて「市民の環境保全意識を向上させた」と指摘。これは「非常に骨が折れる任務」だと記事は強調している」
http://news.searchina.net/id/1617663?page=1
 <日本社会の人間主義性礼賛。↓>
 「・・・斉魯晩報は・・・「初めて日本を訪れた時の事」と題した文章を掲載した。日本を初めて訪れた中国人の大学教授による文章だ。その中で「高いプロ精神とまじめな社会管理は何といっても賞賛に値するものだ」とし、そう感じるに至ったエピソードが4つ紹介されている。その1つが、歩行者の安全や交通の秩序を守り、しかも礼儀正しい警備員についてだったのだ。
 残りの3つは、ゴミがあふれそうなゴミ箱をあふれる前にしっかりに片付ける制服姿の清掃員、新宿の街頭で見た「客引きしている居酒屋に入ると後悔しますよ」という、地元の商店組合が作った「悪の根絶は不可能だが、責任感がある」看板、そして、地下鉄駅のエスカレーターで見た「ここで子どもの傷害事故が発生しています。安全に気を付けましょう」という張り紙だ。
 文章はこれらのエピソードを紹介したうえで、「実際、中国の社会管理に不足しているのは、まさにこのような細かさや専門性なのだ」と指摘。責任ある注意喚起は多くの人の行動を変え、しっかり考えられたデザインは安全性を高め、市民の行動を訓練するのに役立つとした。そして、これらが存在しない典型的な例として「人も自動車も『相手は来ないだろう』という気持ちやテクニックだけを頼りに入り混じる、『中国式道路横断』」を挙げている。」
http://news.searchina.net/id/1617643?page=1
 <定番の日本そのものの礼賛。↓>
 「・・・東方頭条はこのほど、中国は2011年に日本を抜いて世界第2位の経済大国となったとしながらも、「日本はアジアで前例のない高度成長を遂げた国であり、何よりも国土面積が38万平方キロメートルほどしかない島国」であることを認識すべきだと伝えている。
 記事は、日本経済はバブル崩壊によって大きな傷を受けたとしながらも、バブル発生当時にはすでに世界一流の技術を持ち、完備された社会保障制度を有していたと指摘。現在の中国経済も当時の日本経済にはまだ及ばないのが現実であり、中国は日本を見下してはならないと論じた。
 続けて、小さな島国であるはずの日本が強大な経済力を持つのは「まるで謎のようだ」としつつも、日本はイノベーションによって生産性を向上し、世界における競争力を維持してきたと指摘。バブル崩壊後の日本経済は成長率こそ低迷しているように見えるが、世界金融危機でも日本経済は大きく落ち込まず、成長率でドイツを上回る年もあったと指摘した。」
http://news.searchina.net/id/1617662?page=1
 <日本の海外援助政策礼賛。↓>
 「・・・鳳凰網は・・・「アフリカ道路建設支援 中国が日本より多くのお金を投じているのに、なぜ日本の方が評判がいいのか」とする評論文章を掲載した。文章の作者は、日本在住の中国人ジャーナリスト・徐静波氏だ。
 文章は、2008年に中国政府がケニア国内の高速道路建設を受注し、中国企業が全長50キロメートルの道路を地下道や歩道橋などの付帯設備を含めてわずか4年で建設し、「中国の奇跡」などと称されたことを紹介。一方で、日本も同時期にナイロビ市街の中心を走る全長15キロメートルの道路建設を受注、こちらは計画時の片側4車線を同2車線に減らして建設したうえ、完成までに6年を費やしたとした。
 そのうえで、両者について中国国内メディアが建設のスピードばかりに注目して報じていたと説明。しかし、よく調べてみると、日本は調査の段階で現地市民がジョギングを特に好むことに気づき、道路の両側に広い歩道を確保するために車線を減らしたこと、さらに雨季における排水環境を確保すべく広い側溝が設けられたことなど、単にスピードを追求するのではなく、細かい部分にまで配慮がなされていたことが判明したと伝えた。
 また、現地の商業界関係者に日本の投資や支援と中国との違いについて尋ねたところ「道路を作るのに、日本は現地の建設会社に施工させ、原材料も現地調達する。中国は材料を中国から輸入し、作業員も中国から連れてくる。中国のものは名義上援助となっているが、実際は自分たちの余ったものをわれわれに売りつけているのだ」とストレートに指摘されたことを紹介。
 中国が日本に学ぶべきか、との問いに対しても「もし中国が日本のようにケニア人を多く雇い、ケニアの材料を用いて、お金をケニアに残せば、現地人の中国に対する評価も変わるだろう」との回答を得たことを伝えている。」
http://news.searchina.net/id/1617655?page=1
 <勉強になるだー。↓>
 「・・・捜狐はこのほど、日清戦争で日本が勝利し、清国が敗れたのは「清国が海国図志(かいこくずし)を軽視し、日本が海国図志を重視したこと」に原因があると主張した。
 海国図志とは、清国の思想家である魏源が編纂し、当時の英国の情勢なども含まれた地理書だ。記事は、アヘン戦争に敗れた清国は洋務運動を展開し、約30年にわたって国力増強に取り組んだとしながらも、日清戦争で日本に敗れたのは「日本が海国図志を手にして、その内容を重視したため」と主張。むしろ当時の日本がアジア唯一の近代国家へと成長できたのも海国図志によるものとの見方すら存在すると紹介した。
 続けて、海国図志は当時の欧州各国の歴史や制度、文明などが詳細に紹介されていたと伝えつつ、海国図志を編纂した魏源の意図は「相手に勝つには、相手がどれだけ強大な国かを徹底して知る必要がある」というものだったと紹介。当時の日本人は海国図志に触れることで、「欧州各国の強大さと脅威を認識すると同時に、その先進的な思想と文化を学ぶべきであると認識した」と紹介したうえで、海国図志は吉田松陰など明治維新の精神的指導者にも読まれたことを伝えた。
 一方で記事は、清国国内における海国図志に対する反応は「極めて冷淡だった」とし、数千冊も印刷されたものの、3年間で売れたのはたった1冊だったと紹介。むしろ保守的な政治家から冷遇されたことを伝え、「海国図志で中国は何も変わらなかったが、日本に海国図志が渡って30年後に清国は日本に敗れた」という指摘すらあることを紹介した。」
http://news.searchina.net/id/1617584?page=1
 <そして、定番の日本行き推奨。↓>
 「・・・一点資訊はこのほど、日本旅行が好きなことは非愛国的な行動なのだろうかと疑問を投げかける記事を掲載し、愛国心と旅行という行動には一切関係がないはずだと反発した。
 記事は、日本への旅行を楽しんでいる中国人に対し、中国国内では強い不満と批判を浴びせる声が存在し、往々にして日本旅行と「愛国心の有無」を結びつける世論が存在することを紹介。果たしてこうした世論は正常なのかと疑問を提起した。
 続けて、愛国心と旅行という行動には一切関係がないはずだと指摘し、それよりも日本には訪れるだけの魅力があると主張。例えば、日本は狭い国土に多くの人が住んでいるにもかかわらず、非常に衛生的だとしたほか、中国では取り壊される一方の伝統家屋、廃れる一方の伝統衣装も、日本ではよく保存されていると伝えた。つまり、日本には中国にないもの、中国で失われているものが存在し、それを見ることだけでも訪れる価値があるという意見だ。」
http://news.searchina.net/id/1617632?page=1
 <日本人が中共に来なくても君達は日本に行けと促す。↓>
 「・・・捜狐はこのほど、16年7月に日本を訪れた中国人旅行客の数は73万1400人となり、「過去最高記録」だったことを伝え、訪日中国人旅行客の数が前年よりも増えていると紹介する一方、ある点に「大きな矛盾を感じる」と伝えている。
 記事は「円高が進み1年前と比べて人民元に対し約25%も円高となったにもかかわらず、中国人旅行客たちの訪日に対する情熱は冷めていない」と指摘。しかし、訪日中国人旅行客の数は増える一方で、中国を訪れる日本人が減少していることに「矛盾を感じざるを得ない」と指摘し、日本人旅行客は5年連続で減少していると説明した。
 続けて、中国を訪れる日本人旅行客が減少し続けている背景には、「領土問題、空気汚染、食品安全などの問題」が関係していると指摘。また、中国国内で提供される商品の品質やサービスにおける態度などを絶えず向上させなければ、日本人はおろか国内の消費者さえそっぽを向くという見方を示した。」
http://news.searchina.net/id/1617637?page=1
 <4月の記事だが、こういったことを毎日のように聞かされりゃ、日本に行かざるをえなくなるよな。↓>
 「・・・人民網は・・・「日本語の美しさ 花が落ちることを表す様々な方法」とする文章を掲載。日本語では花が「終わり」を迎える様子に対して、さまざまな動詞が用意されており、「情緒に富み、多彩な表現方式」を持っていることを説明。その動詞の種類を、代表的な花とともに紹介した。
 まず、「散る」。これに組み合わせられたのは、やはり桜の花だ。「桜散る」という言葉は、試験に落ちたり願いが成就しなかった時にも用いられるとしている。「こぼれる」は梅の花と組み合わせた。そして「落ちる」の代表として椿を紹介。ポトリと落ちるその姿が死を連想させるため、病院のお見舞いには忌避されるとも解説した。
 このほか、「しぼむ」は朝顔、「舞う」は菊、「崩れる」は牡丹の花が枯れる際に良く使われると説明。一方で、これらの組み合わせはあくまでも一例であり、固定化されたものでないことを併せて指摘。「日本語において花が開き、花が枯れることを形容する方法はとても多く、とても自由なのである」と伝えている。」
http://news.searchina.net/id/1609921?page=1

 で、習ちゃんの指示にちょっとした抵抗を示す記事。↓

 「・・・今日頭条は・・・「中国のアスリートは海外に出ても、くれぐれも日本の国籍に入ってはいけない」とする文章を掲載した。
 文章は、卓球などにおいて中国人が外国籍を取得して国際大会に出場するケースが多いことについて、「アスリートとして自らの優れた技術で他国に受け入れられ、非常に良い環境や条件を与えられるというのは、応援してやるべきことだ」と説明。また、外国籍を取得するアスリートが多ければ多いほど、その競技の国内におけるレベルが高く、競争が非常に厳しいことを示すものであり、誇らしいことであるとの見解を示した。
 その一方で、中国人選手が日本国籍を取得することについては「民族的な感情、歴史的な恨みから、多くの中国市民は受け入れることができない」とし、日本が1930−40年代に中国を侵略して計り知れないほどの破壊を行い、中国人に対して終生忘れられないほどの苦しみを与えたと論じた。
 そして、実際に中国籍を外れて日本に帰化したアスリートの例を紹介。90年代に活躍した卓球の小山ちれ(中国名:何智麗)が94年に広島アジア大会で中国人選手を降して優勝した際に中国で大ブーイングが起こり、過激な行動に出るものまでいたと伝えている。文章は「近年、改革開放が進み、人びとの思想がより開放的になってきたが、日本という民族に対する見方は依然としてちっとも変わっていないのである」と締めくくった。」
http://news.searchina.net/id/1617595?page=1

 礼賛とか抵抗だとかを離れて、オモロイ記事。↓

 「鳳凰網は・・・「あなたの知らない中国サッカー 100年前は日本をボコボコにするのが当たり前だった」とする記事を掲載した。記事は、中国代表として記録が残る1913年以降での日本代表との初対戦が、今から100年ほど前の1917年5月9日にまで遡ると紹介。この試合は極東選手権競技大会のもので、中国が5−0で日本に大勝したと伝えている。
 さらに、20年代に入ると日中間の試合が頻繁に行われるようになり、中国が4−0、5−1、2−0、5−1と全日本を全く相手にしない状況が30年に3−3の引き分ける試合まで続いたと説明した。
 記事は、その後戦争の混乱、中華人民共和国建国後の状況、1970年に共和国が国際社会において「中国」と認められるようになり、国際試合の場に復帰して以降の戦いぶりについてそれぞれ紹介。76年のアジアカップ予選で日本に2−1と勝利するものの、代表としての実力は強化されず、2002年の日韓ワールドカップに出場するまで不遇の時代を迎えたことを伝えた。」
http://news.searchina.net/id/1617671?page=1

 悩ましいところだねえ。↓

 「ブラックとミルク入りで何が違う? コーヒーの健康効果・・・」
http://www.msn.com/ja-jp/health/healthy-lifestyle/%e3%83%96%e3%83%a9%e3%83%83%e3%82%af%e3%81%a8%e3%83%9f%e3%83%ab%e3%82%af%e5%85%a5%e3%82%8a%e3%81%a7%e4%bd%95%e3%81%8c%e9%81%95%e3%81%86%ef%bc%9f-%e3%82%b3%e3%83%bc%e3%83%92%e3%83%bc%e3%81%ae%e5%81%a5%e5%ba%b7%e5%8a%b9%e6%9e%9c/ar-BBw4eTG?ocid=iehp#page=2
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太田述正コラム#8581(2016.8.31)
<チーム・スターリン(その7)>

→非公開