太田述正コラム#8294(2016.3.24)
<ナチスの原点(I部)(その1)>(2016.7.25公開)

1 始めに

 ドイツつながりで、今度は、ヒットラーの原点を探ってみたいと思います。
 たまたま、このテーマに関わる2冊の新刊本が出たので、それぞれについて、「I部」、「II部」のシリーズに仕立てることにしました。
 いつも通り、書評類をもとにその本のさわりをご紹介し、私のコメントを付す、というスタイルです。
 I部で取り上げるのは、ピーター・ロス・レンジ(Peter Ross Range)の『1924年--ヒットラーを作った年(1924 The Year That Made Hitler)』です。

A:https://www.washingtonpost.com/opinions/the-year-when-hitlers-political-confidence-and-strategy-began-to-emerge/2016/03/10/cba95632-c5f0-11e5-8965-0607e0e265ce_story.html
(3月12日アクセス。書評)
B:https://historicalnovelsociety.org/1924-the-year-that-made-hitler/
(3月22日アクセス(以下同じ)。書評)
C:http://www.npr.org/2016/01/14/463028807/the-failed-coup-that-led-to-hitlers-mein-kampf
(著者のインタビュー)
D:http://time.com/4192760/hitler-munich-excerpt/
(この本からの抜粋)

 なお、レンジについては、'U.S. News & World Report’誌の記者を長く勤めた
http://www.iop.harvard.edu/peter-ross-range
ところの、ドイツについて頻繁に執筆してきた著述家、
http://www.nytimes.com/2014/07/08/opinion/should-germans-read-mein-kampf.html?_r=0
ということくらいしか分かりませんでした。

2 ナチスの原点(I部)

 (1)序
 
 「英国の歴史学者のイアン・カーショウ(Ian Kershaw)<(コラム#1894、2715、4937、5452、5462)>は、彼の二巻からなるアドルフ・ヒットラー(Adolf Hitler)の伝記の中で、1924年は、灰の中から蘇った不死鳥のように、極右の旗手になるであろうところの、再編されたナチ党の「絶対的指導者」として「ヒットラーが、頭角を現し始めることができた時点」だった、と記したものだ。
 この『1924年』の中で、ジャーナリストのピーター・ロス・レンジは、この枢要な年に何が起こったかを検証している。
 ヒットラーについての山のような諸本という舞台背景を前にして、ヒットラーの物語の決定的部分に焦点を当てる、というのはいい線を行っている。
 しかし、それは、『1924年』というタイトルが示唆しているほどにはうまくいくはずがない。
 <実際、>レンジは、この本の3分の1超を、序詞、とりわけ、ヒットラーの1923年11月のミュンヘン一揆(Beerhall Putsch)<(注1)(コラム#4992)>とそれに引き続く逮捕に充てている。

 (注1)Munchen Putsch。「1923年11月8日から9日に、ドイツのミュンヘンでエーリヒ・ルーデンドルフ、アドルフ・ヒ<ッ>トラーらナチス党員が参加したドイツ闘争連盟が起こしたクーデター未遂事件。半日あまりで鎮圧され、ヒ<ッ>トラーら首謀者は逮捕された。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%A5%E3%83%B3%E3%83%98%E3%83%B3%E4%B8%80%E6%8F%86
 
 これが、彼の1924年初における裁判、及び、その年の終わりまでの彼の投獄、の舞台を設定した。
 この投獄は、彼が、『わが闘争(Mein Kampf)』・・彼の人種と征服に関する捻じれた諸理論を提示した、自伝的な長たらしく退屈な話・・を書くことを可能にした。・・・」(A)

 (2)ミュンヘン一揆

 「・・・1924年初には、ヒットラーは34歳だった。
 彼は、第一次世界大戦の帰還兵であり、当時、生まれたばかりのナチ(Nazi=NSDAP)の情宣家にして演説執筆者として、そして、その指導勢力として徐々に頭角を現しつつある人物として、その生活の適所(niche)を発見したばかりだった。
 11月8日に、ヒットラーは、ルーデンドルフ(Ludendorff)<(注2)(コラム#2876)>大将その他の党員達がミュンヘンのバイエルン<(注3)>地方政府の統制権を奪取しようと試みた。

 (注2)Erich Friedrich Wilhelm Ludendorff。1865〜1937年。「第一次世界大戦初期のタンネンベルクの戦いにおいて第8軍司令官パウル・フォン・ヒンデンブルクを補佐してドイツ軍を勝利に導いた。大戦中期から後期には参謀本部総長となったヒンデンブルクの下で参謀本部次長を務め、「ルーデンドルフ独裁」とも呼ばれる巨大な実権を握った。最終階級は歩兵大将。戦後は・・・ヒ<ッ>トラーと結び、ミュンヘン一揆を起こした。・・・
 1935年には『総力戦』を著して・・・総力戦の必然性を論じた。・・・<しかし、>ヒ<ッ>トラーは第二次世界大戦の開戦においてこの理論を排除している。つまり軍人が国家を指導するのではなく、政治家ヒ<ッ>トラーによって軍人を統制することが徹底されていた。・・・
 ヒンデンブルクがヒ<ッ>トラーを首相に任命した時には「あなたは偉大な祖国を最悪な扇動者に渡してしまった。この男は我がドイツに不幸な災いをもたらすだろう」と激しく糾弾する手紙を送っている。また陸軍総司令官ヴェルナー・フォン・フリッチュに対しては「ヒ<ッ>トラーには誠意というものが全くない。いまに奴は君のことも裏切るだろう。」と述べたことがあった。」プロイセン高級士官学校卒。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%92%E3%83%BB%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%87%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AB%E3%83%95
 (注3)「南ドイツの州名。首都はミュンヘン。ドイツの中で、最大の面積を誇る州。」
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%D0%A5%A4%A5%A8%A5%EB%A5%F3

(続く)