太田述正コラム#8292(2016.3.23)
<神聖ローマ帝国史(その4)>(2016.7.24公開)

 (6)遺産

 「・・・1861年のイタリア統一の中心となったイタリアの大国のサヴォイ(Savoy)王国は、この旧き帝国に属していたところ、この、元ドイツ王国内のサヴォイ公国(Duchy of Savoy)<(注11)>、という地位は全く無意味だったわけではない。

 (注11)サヴォイア公国=サヴォワ公国。「現在のイタリア北西部(現ヴァッレ・ダオスタ州、ピエモンテ州)とフランス東部サヴォワ地方や現アルプ=マリティーム県、ジュネーヴ(現スイス)も含んだ。首都はサヴォイア伯領の頃からシャンベリ(現フランス)であったが、1563年にトリノに遷都された。1416年、サヴォイア家の<伯爵>アメデーオ8世が、神聖ローマ皇帝ジギスムントから公位を授かり成立した。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%B4%E3%82%A9%E3%82%A4%E3%82%A2%E5%85%AC%E5%9B%BD
 同公国は、スペイン継承戦争終結後の1713年のユトレヒト条約によって、スペインからシチリア島を獲得し、公爵はシチリア王とも称し始め、1720年には、オーストリアにシチリア島を与え、その代わりにやはり1713年までスペイン領であったサルデーニャ(サルディニア)島を得、国号をサルデーニャ王国とした。
https://en.wikipedia.org/wiki/Duchy_of_Savoy
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%AB%E3%83%87%E3%83%BC%E3%83%8B%E3%83%A3%E7%8E%8B%E5%9B%BD

 というのも、同公国はこの帝国内で影響力を維持していたからだ。
 すなわち、サヴォイ公爵は、1541年から1714年まで、全部の帝国議会に、直接出席するか、代理を出席させ、諸等族(imperial Estates)として、この帝国のもう一つの最高裁判所であった帝国最高法院(前出)の管轄を受け入れていた。
 <また、>同公国は、1714年以降も封建諸負担金(feudal dues)を<帝国に>払い続けたし、1788年には、新たな帝国称号を獲得しようと試みている。・・・
 <また、>シャルルマーニュの下での、諸司教座と諸大司教座の確立という教会風景は、1000年間継続することとなり、地域的保護(local patronage)の積み重ねがこの諸構造を堅固なものにした。
 この帝国独特の様相であった、帝国教会制度(Reichskirchensystem=imperial church system)は、統治構造の一部となった。
 このような歴史が、今日においてさえ、スイスを含むドイツ世界における、国が教会所属の信徒達から教会税を徴収するという、教会の諸制度を支える国家システム、<のよってきたるゆえん>を説明する。・・・
 <そしてまた、>この帝国は、理想(ideal)として、また、言葉として、ビスマルク(Bismarck)の皇帝帝国(Kaiserreich)によって、そして、更に甚だしく、ヒットラー(Hitler)の第三帝国(Drittes Reich)によって、汚された。
 ウィルソンは、いかに、この旧き帝国の進化が、諸問題を実際的(pargmatic)かつ非体系的(unsystematic)なやり方で、しかし、その後継者達よりもはるかに平和的に、解決したかを示す。
 それに比べて余り知られていないのが、どれほど多く、この「旧き帝国」が1945年を生き延びたかだ。
 戦後の西独は、欧州の未来の非民族的範例としてシャルルマーニュ<時代の帝国>を回顧し、旧き帝国が、その民族以前の(pre-national)諸地域というカルトと共に、1950年の石炭鉄鋼共同体(Coal and Steel Community)<(注12)>の中に、カロリング家の人々の幽霊を呼び出したのだ。・・・」(C)

 (注12)欧州石炭鉄鋼共同体。「冷戦期に6か国によって設立され、のちに欧州連合となっていった国際機関。・・・設立することがうたわれた100か条にわたるパリ条約は1951年4月18日に<仏>、西<独>、<伊>、<蘭>、ベルギー、ルクセンブルクによって調印された。・・・<この>パリ条約の調印から6年後に、欧州石炭鉄鋼共同体の加盟国は欧州経済共同体<(EEC)>と欧州原子力共同体の創設を取りまとめたローマ条約に調印した。両共同体は若干の修正がなされているものの、欧州石炭鉄鋼共同体の持つ構造や理念に基づいて設立されている。・・・2002年に・・・欧州石炭鉄鋼共同体の活動や資源は欧州共同体<(EU)>に吸収された。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AC%A7%E5%B7%9E%E7%9F%B3%E7%82%AD%E9%89%84%E9%8B%BC%E5%85%B1%E5%90%8C%E4%BD%93

3 終わりに

 ユーロ圏入りを拒んだだけでなく、EUの政治統合に一貫して反対してきた英国の存在、及び、ギリシャ危機に象徴される南北格差、そして、このところの広義の中東からの難民問題/イスラム過激派テロ、によって、EUは、統合/中央集権化のモメンタムを急速に失いつつあります。
 まさに、神聖ローマ帝国と同じ道をEUもまた辿りつつある、という感があります。
 そして、そのどちらに関しても、英国(イギリス)が相当の責任を免れえないという事実は、直近に異なる「先進」文明のイギリスを持った欧州の悲劇である、と言うべきでしょうね。

(完)