太田述正コラム#8254(2016.3.4)
<米キリスト教原理主義の本質>(2016.7.5公開)

1 始めに

 「<米国の>福音主義者達(evangelicals)に一体何が起こったのだろうか?
 彼らは、テッド・クルーズ候補の岩盤であるはずだった。
 しかし、スーパーテュースディには、クルーズは、彼らをドナルド・トランプに失ってしまった。・・・
 <思うに、>今回は、福音主義者達は、自分達のような誰かを求めなかった。
 彼らは、自分達を守ってくれるであろう誰かを求めたのだ。・・・
 トランプが彼らに提供するのは、精神(spirit)ではなく「筋肉(muscle)」なのだ。
 トランプが約束しているのは、教会の諸門の外に立って、中にいる信仰深き者達を守ることなのだ。
 彼は、彼らと、外国の野蛮人達及び国内の攻撃的な世俗主義者達と、の間に屹立するローマの百人隊の隊長なのだ。・・・」
https://www.washingtonpost.com/opinions/donald-trump-defender-of-the-faith/2016/03/03/33fae7a4-e172-11e5-8d98-4b3d9215ade1_story.html?hpid=hp_no-name_opinion-card-b%3Ahomepage%2Fstory

 この米国知識人が苦し紛れにひねり出した分析の類を、一笑に付して(?)、より明快かつ説得力ある分析を提示しているのが、ガーディアンに掲載されたコラム
http://www.theguardian.com/commentisfree/belief/2016/mar/03/donald-trump-success-shows-many-americans-believe-only-in-america
です。
 その筆者は、ガイルズ・フレーザー(Giles Fraser。1964年〜)であるところ、彼は、英国教の牧師であり、ジャーナリスト、放送関係者でもあって、ユダヤ人として生まれ、キリスト教に改宗し、ニューカッスル大等で学び、ランカスター大で博士号を取得した、という人物です。
https://en.wikipedia.org/wiki/Giles_Fraser

2 米キリスト教原理主義の本質

 「米国は、欧州よりも、よりキリスト教的である、と長らくみなされてきた。
 しかし、それは神話なのだ。
 もちろん、米国で、はるかに大勢の人々が教会に行っていることは確かだ。
 また、ぺらぺらの聖書を見せ、祈祷諸朝食会に出席することなくして、<米国で>大統領になることはできない。
 しかし、トランプ現象が顕現したものは、何人かの頭の良いキリスト教観察者達がしばらく前から言ってきたことだ。
 すなわち、米国人達の極めて多数は神を本当に信じてなどいないのだ。
 彼らは米国を信じているだけなのだ。
 もっとも、彼らは、神と米国とを、しばしば同じものだと受け止めているが・・。
 神は、しばらく前に、米国人達の夢(American dream)によって切り刻まれてしまった(hacked)のだ。
 「米国の福音主義教会は、大部分、世界王国の米国における宗教版(version)によって吸収されてしまった。我々は十字架の力よりも刀の力を信じるようになってしまった。」とグレゴリー・ボイド(Gregory Boyd)<(注1)>は、『キリスト教国家の神話(The Myth of a Christian Nation)』の中で記している。・・・

 (注1)1957年〜。米国の神学者、再洗礼派(Anabaptism)の牧師、著述家。カトリック教徒→無神論者→福音主義者→現在、という変遷を遂げた。ミネソタ大卒、エール大神学修士、プリンストン大神学博士。キリスト教右派批判で知られる。
https://en.wikipedia.org/wiki/Greg_Boyd_(theologian)

 「<トランプは、自分は>諸間違いを犯していないといないのに、どうして、悔いたり、赦しを求めたり、をする必要があるのだ。」<と言ってのけている。>
 いや、<それどころか、>トランプは、キリストを彼の人生における範例にし始めようとすらしていない。
 貧者<を侮蔑すること>について、恐怖に訴えることについて、真実を述べる<どころかウソをつく>ことについて、性的諸倫理<など無視していること>について、自分の諸敵を愛す(どころか愛さない)ことについて、貪欲を自分の神にすることについて、トランプは、アンチ・キリストを諸範例にしている。
 しかし、こんなことは、長らく福音主義キリスト教と結ばれてきたところの、共和党投票者達にとっては、さしたることではないのだ。・・・
 米国は興味深い無神論者達を生み出していないが、それは、彼らが否定するだけの興味深い神を持っていないからだ。・・・
 ピルグリム達は、約束された地であるところの、カナン(Cannan)<(注2)>の岸<である北米大陸東海岸>に上陸した。

 (注2)「地中海とヨルダン川・死海に挟まれた地域一帯の古代の地名である。聖書で「乳と蜜の流れる場所」と描写され、神がアブラハムの子孫に与えると約束した土地であることから、約束の地とも呼ばれる。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%8A%E3%83%B3
 「『聖書』によると、族長アブラハム(紀元前17世紀?)がメソポタミアのウルの地からカナンの地を目指して出発したことによりイスラエルの歴史がはじまる。孫のヤコブ(ヤアコブ)の時代にエジプトに移住するが、子孫はやがてエジプト人の奴隷となる。奴隷の時代が400年程続いた後にモーセ(モーゼ)が民族をエジプトから連れ出し(紀元前13世紀?)、シナイ半島を40年間放浪し定住を始めた。200年程かけて一帯を征服して行く。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%81%AE%E5%A4%B1%E3%82%8F%E3%82%8C%E3%81%9F10%E6%94%AF%E6%97%8F

 北米の13の<英領>諸植民地「は、イスラエルの12部族<(注3)>の新生(regeneration)以外の何物でもなかった」、とある米国の新聞は1864年に記している。

 (注3)「ダビデ王(紀元前1004年?‐紀元前965年?)の時代に統一イスラエル王国として12部族がひとつにされる。しかし、ソロモン王(紀元前965年?‐紀元前930年?)の死後、南北に分裂し、サマリヤを首都に10部族による北王国イスラエルと、エルサレムを首都にする2部族による南王国ユダに分かれた。北王国では首都サマリヤやその他の地に金の子牛の像をおいて祭祀の中心としていた[2]。北王国は紀元前722年にアッシリアにより滅ぼされ、10支族のうち指導者層は虜囚としてアッシリアに連行された。この10支族の行方が文書に残されていないため、2部族によって「失われた10支族」と呼ばれた。これで北の住民である10支族は、次第に10支族としてのアイデンティティを失った等といわれてきた。拉致をまぬがれ現地に留まった人々は、周辺の異民族や、アッシリアによって逆に旧北王国の地に移住させられた異民族と通婚し混血することもあった。サマリアにはゲリジム山を中心に、後世に独自に発達したユダヤ教と一部を共有する古来の祭祀が残存し、サマリア人としてユダヤ人と異なる文化とアイデンティティーを保ち続け、現在に至っている。
 南王国のユダは、紀元前586年に新バビロニアに滅ぼされた。指導者層はバビロンなどへ連行され虜囚となったが(バビロン捕囚)、宗教的な繋がりを強め、失ったエルサレムの町と神殿の代わりに律法を心のよりどころとし、宗教的・文化的なアイデンティティを確保するために異民族との通婚を嫌い、異民族と結婚したものをユダヤ人のコミュニティから排除する排他的な純血至上主義が信奉されるようになった。
 彼らはアケメネス朝ペルシアによって解放され、イスラエルに帰還した。解放後、ユダヤ人と解放者であるペルシア帝国は良好な関係を継続し、エルサレム神殿も復興された。ペルシア人はその支配下にあるすべての民族の宗教を平等に扱ったため、同様の恩恵はサマリア人も受けていたと考えられるが、ユダヤ人はその純血主義によってサマリヤ人を異民族との混血と蔑み、北王国の末裔と認めず、祭祀を異にする点からも異教徒として扱う等、南北両王国時代の対立を民族的偏見として引き継ぐ形となった。」(上掲)

 換言すれば、米国は、それ自身の教会となり、やがて、それ自身の神となった。
 それが、米国における真の無神論が、米国人達の夢に疑問を投げかけることである理由だ。
 この夢は、しばしば、資本主義及び勝利者達への祝福(celebration)、と見分けがつかない。
 これが、トランプが崇拝する神なのだ。
 彼は、その大高位聖職者(great high priest)なのだ。
 そして、それこそが、福音主義者達が彼に投票する理由なのだ。
 しかし、それはイエス・キリストの神では決してない。・・・」

3 終わりに

どうやら、米国の福音主義/原理主義キリスト教というものは、選民思想を抱くユダヤ人を選民思想を抱く白人に、カナンを北米に、それぞれ置き換えたところの、ネオ・ユダヤ教だと思えばよさそうですね。
 モルモン教は、米国で生まれた、キリスト教系の新宗教ですが、ユダヤ教の一環と目されるような教義を持っているところ、
https://en.wikipedia.org/wiki/Mormonism
福音主義/原理主義キリスト教も実質的には、ネオ・ユダヤ教と目されるべき、ユダヤ教に極めてよく似たところの、米国教なのであろう、という気がしてきました。
 つまり、米国大衆の宗派とも言うべき米国の福音主義/原理主義キリスト教は、実はキリスト教ではないのではないか、ということです。
 これに対して、(カトリックはもとよりですが、)メインライン・プロテスタント
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%97%E3%83%AD%E3%83%86%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%83%88
は、米国選良の宗派とも言うべきであって、こちらの方はれっきとしたキリスト教であって、その信徒が世俗化したのがリベラル・キリスト教徒である、という整理ができそうです。
 とまれ、ユダヤ教徒が作ったイスラエルにタテマエ上はユダヤ教徒である世俗主義者がいるように、米国教徒が米国のキリスト教徒の過半を占める(典拠省略)米国にも、トランプのような、タテマエ上の米国教徒だが、その実、世俗主義者である者もいる、ということなのでしょうね。