太田述正コラム#8252(2016.3.3)
<中共の体制イデオロギー(その2)>(2016.7.4公開)

 二つの最も顕著な1990年代末からの中共の知的諸発展は、恐らくは、強力な「新左翼主義(New Leftism)」の興隆と無秩序の、しかし、どんどん影響力を増大してきたネオ儒教(neo-Confucian)運動の再出現だろう。・・・
 概ね、新左翼主義とネオ儒教のどちらも、<民主主義、法の支配、そして、自由市場改革という、>このコンセンサスに対する過激な諸知的反動(backlashes)だった。
 それは、部分的には、欧米思想と中共の社会経済的及び政治的な諸現実との感知されたところの諸両立不能性、また、部分的には、中共に対する(感知された)欧米の敵意とイデオロギー的差別へのフラストレーション、そしてまた、部分的には、経済的離陸に伴って自然に生じたところのナショナリスト的諸衝動(urges)、によって駆動されたものだ。
 直近においては、これらの諸運動は収斂する諸兆候を示している。
 ネオ儒教が新左翼主義にしがみついている(latching on to)ように見えるのだけれど、新左翼主義陣営側からはそのような動きはない。・・・」

⇒新左翼主義なるものは、精査するまでもなく、資本主義/個人主義に立脚したところの工業化以降の社会、における人間主義の復活を目指す、というマルクスに忠実な考え方であると想像されるのであって、私見によればその手段として人間主義を核心とする日本文明の総体的継受を行いつつあるところの、中共当局・・共産主義を放棄せず、毛沢東を大いに復権しつつある・・の覚えが目出度い考え方である、という状況であることに、ネオ儒教の擁護者達もうすうす気が付いており、だからこそ、彼らは、例えば、(人間主義の実践を奨励したところの、)陽明学に着目する等の形で新左翼主義にすり寄っているのであろう、とも想像されるのです。(太田)

3 終わりに代えて

 中共当局・・私見では、より端的には最晩年の毛沢東・・が人間主義を核心とする日本文明の総体的継受を行うべきである、という結論を下したのは、支那において人間主義社会を構築するためには、支那人民の阿Q性の抜本的矯正が不可欠であるところ、そのためには、色々試したものの、もはやそれしかない、と考えたからだと思います。
 この、支那人民の阿Q性の一側面たる非合理的な集団的暴発性向を利用することで、その人間主義化の急速な実現を図るというサーカスまがいのことをやって、それに大失敗したのが、毛が発動した文化大革命であったといった趣旨のことも、以前、指摘したことがあります。
 文革当時、毛の念頭にあったところの、人民の非合理的集団的暴発の比較的最近の大規模な事例は、18世紀の白蓮教の乱、及び、19世紀の太平天国の乱、であったと考えられますが、それらの原型の一つとも言うべき、1768年の妖術大恐慌を文革と比較して振り返るコラムが、NYタイムスに載っていた
http://www.nytimes.com/2016/03/02/world/asia/philip-kuhn-china-harvard.html?ref=world
(3月2日アクセス)ので、このコラムのさわりをご紹介することで、本稿の終わりに代えたいと思います。

 「ハーヴァード大の歴史学者のフィリップ・A・クーン(Philip A. Kuhn)・・・が先月、82歳で亡くなったが、・・・<著書の、>『叫魂者達--支那の1768年の妖術大恐慌(Soulstealers: The Chinese Sorcery Scare of 1768)』<(注)> (ハーヴァード大学出版会1990年)の中で、彼は、魔術師達が田舎を彷徨し、人々の諸辮髪をちょん切って彼らの諸魂を盗んで回ったことで集団ヒステリーが始まったこと、そして、それが、国家の内的機能の何を露見させたか、を吟味している。

 (注)「ことの起りは、<1768>年早春に始まった浙江省徳清県の水門工事である。石工が杭を打ちこみやすくする呪いの材料(人の名前を書いた紙片。名前を書かれた人は魂をとられて死んでしまうと信じられていた)を捜しているという噂が広まり、殺したい相手の名を書いて石工のところへ持ってくる者あり、石工の手下と思われて捕まる者ありという騒ぎになった。また同じ年の4月には、同省粛山県で托鉢中の遊方僧が、弁髪を切って魂を盗む妖術使いだと思われて逮捕されるという事件が起きた。5月になると、江蘇省の蘇州府でも「弁髪切り」事件が起り、6月には江南全体に恐慌が広がった。・・・
 <これに対し、乾隆帝が行った>反妖術キャンペーン<は>、ごく普通の人たちに、誰かに仕返しをしたり、金儲けをしたりする機会を与えた・・・
 官僚の間に一種の懐疑論がみられるようにな<り、やがて>、初期に逮捕された「犯人」たちの証言が拷問によって強制されたものであったことがだんだん明らかになり、ついに、官僚の代表が皇帝に捜査中止を迫るに至<った結果、>11月3日に皇帝は捜査の中止を発表した。」
 クーンは、「旧<支那>の官僚組織はよいものではなかったが、良きにつけ悪しきにつけ、あらゆる種類の熱狂を妨げたという点で、重要な碇の役割を果たしていた。」<ところ>、それを失った<その後の支那では>、指導者たちはほしいままに群衆を煽動して「異端者」を攻撃していると<結論付け>ている。」
http://www.terada.law.kyoto-u.ac.jp/tohoken/7_kt.htm

 乾隆帝(Qianlong Emperor)は、自分の統治への知覚された脅威として、この社会的騒擾に対する激しい作戦を展開した。
 自分達の忠誠を示したいとの熱意の下、役人達は、拷問によって、市民達から魔術の諸自供を引き出した。
 市井の人々は恐怖にかられ、社会の底辺の人々に激しく襲い掛かった。・・・
 この本の漢語訳は、1999年に中共・・・で出版された。・・・
 その2011年版の後書で、・・・上海の華東師範大学(East China Normal University)の歴史学教授でこの本の共訳者の一人である劉(Liu)Chang・・・は、クーン氏が描写した集団ヒステリーは支那で繰り返し起こった、と記した。
 「そして、それが頂点に達したのが、史上空前の文化大革命・・・の1960年代・70年代だった」、と劉は記した。
 当時、市民達は、相互に、毛沢東の裏切り者達だと非難し合い、数十万人が政治的諸犯罪の告白を強いられ、少なくとも数万人が死んだ。

⇒随分数字が小さいと言うべきですが、これは、もちろん、中共当局の目を気にしているためでしょう。(太田)

 「あの時代を経験した者なら誰でも、フィリップ・クーンによる諸描写を読んだ時に既視感を覚えることだろう」、と劉氏は記した。
 (劉Changとは親族関係にない)もう一人の華東師範大学の歴史学教授である劉備Qingは、この本の2012年の書評の中で、1768年の妖術大恐慌は支那特有の現象ではない、と記した。
 <その上で、>彼は、中世欧州における諸魔女狩りや米国でのジョセフ・マッカーシー(Joseph McCarthy)上院議員による、共産主義者の疑いをかけられた人々の迫害を銘記した。
 <そして、>今なお、似たようなことが自国で起こりつつある、とも劉氏は銘記した。
 「私がこれを書いているまさにその最中に、中共の10いくつもの諸都市で、巨大な反日抗議諸活動が勃発している」、と彼は記した。
 「若干のものは、仲間である中共人達や彼らの財産に対する暴力にまでエスカレートしている。殆ど信じられないようなことだ」、と。
 劉氏は、かかるふるまいは、妖術大恐慌同様、「無知」<の現れ>であって、「ばかげている」、と主張した。

⇒これは、暗に、戦前の支那における、日貨排斥や日本人襲撃をも非難している、と解することもできそうです。(太田)

 若干の評者達は、妖術大恐慌に対する乾隆帝の対応は、自分たち自身の諸生活にも準えうると感じた。
 「私は国有企業に勤務している」、と、Ye Jiazhouは、この本を議論していたあるウェブサイトに書き込んだ。
 「我々の指導者達が彼らの下僚達に非合理的な諸事柄をやるように求めるたびに、私は乾隆帝とフィリップ・クーンを思う」、と。」

(完)