太田述正コラム#8250(2016.3.2)
<中共の体制イデオロギー(その1)>(2016.7.3公開)

1 始めに

 Taisu Zhang(張)による、表記に係る下掲コラム
http://foreignpolicy.com/2016/03/01/chinas-coming-ideological-wars-new-left-confucius-mao-xi/?wp_login_redirect=0
のさわりをご紹介し、私のコメントを付します。
 なお、Zhangは、エール大卒(歴史・数学)、同大法科大学院卒、同大博士(歴史)で、現在、米デューク大法科大学院の準教授です。
https://law.duke.edu/fac/tzhang/

2 中共の体制イデオロギー

 「・・・今日において、なお、共産主義的諸理想が中共の政策決定を支配していると執拗に主張するような者は、誰であれ、まともな支那専門家としての評判を危うくしかねないところの、かなりの危険性を冒すことになる。・・・

⇒このくだりだけで、私なら、張は支那系米国人のようであるところ、彼は、「まともな支那専門家」失格である、という烙印を押したいところですが、かく言う私自身、数年前まで、共産主義、とりわけ、マルクスのそれが目指していたものの普遍性、すなわち、人間主義志向性、に気付いていなかったのですから、大きなことは言えません。(太田)

 1980年代初から2000年代にかけて、民主主義、法の支配、そして、自由市場改革が、大部分の中共の知識人達だけではなく、大部分の経済界の指導者達、更には若干の役人たちさえもの、共通語となっていた。・・・
 <イデオロギーなど奉っておくだけで余りそれに囚われない、という>支那的プラグマティズムなるステレオタイプは、もはや、恐らく賞味期間が過ぎたのだろう。
 今日の中共では、イデオロギー復興の兆しがあらゆるところに見られる。
 最も目につくのは、長らく死んでいたと思われていたところの、数々の諸偶像(icons)が、若干のケースでは、国家的な政治的修辞の中に高度に成功裏に諸蘇りを見せたことだ。
 その第一が、亡くなって久しいところの、党主席の毛沢東の、恐らくは、党の創建神話とその歴史的正統性の核心的要素としての復権(rehabilitation)だ。・・・
 毛は、イデオロギー的復権の栄に浴した唯一の人物ではない。
 孔子もまた、中共の政治的修辞の中で次第に突出した人物になっている。
 また、党の指導者達は、しばしば、孟子(Mencius)<(コラム#954、957、1560、1561、1625、1640、1680、2607、4172、4852、4854、4856、4858、5622、6731、6801、6918、7177、7742、7944、7948、7989、7992、8106)>、荘子(Zhuangzi)<(コラム#52、4483、6831)>、韓非(Han Fei)(コラム#3401、5628、5632、5634、5654、5656、6198、7754、7944)>、といった、古代の哲学者達を引用してきた。・・・

⇒孔子、というか、儒教、の復権は、(部分的には前にも述べたように、)日本文明の継受めいたホンネを中共当局が正直に口にするのを憚っていた時期において、どちらもタテマエでしかなかったけれど、それまで掲げてきたところのスターリン主義に代わる、つなぎのイデオロギーとしてのものである、と私は見ています。
 孟子の引用は、(前にも述べたように、)その性善説を人間主義への露払いとして用いようとしたものであり、韓非の引用は、言うまでもなく法治を喧伝したいがため、だったのでしょうね。
 荘子(BC369〜286年)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8D%98%E5%AD%90
が中共当局によって引用されたことがある、というのは初耳ですが、それが事実であるとすれば、想像するに、彼が結果として道教の始祖の一人として奉られた(上掲)ことでもなく、支那初のアナーキスト或いは実存主義者であった(コラム#4483)、といったことではもちろんなく、支那の文学に対する荘子の影響には大きなものがあって、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8D%98%E5%AD%90_(%E6%9B%B8%E7%89%A9)
中共当局が、同様、「復権」させたところの、毛沢東も、一応、漢詩人でもあった
http://www5a.biglobe.ne.jp/~shici/sub5.htm
から、ではないでしょうか。
(毛沢東の日本語ウィキペディア
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AF%9B%E6%B2%A2%E6%9D%B1
は、毛の若かりし頃の漢詩を引用しながら、漢詩人としての毛に全く触れていないのはいかがなものか、と思います。)(太田)

(続く)