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太田述正コラム#8240(2016.2.26)
<無神論の起源(その8)>(2016.6.12公開)

 「・・・BC4世紀に関しては、著者は、哲学者として、信仰者が無神論者を折檻しているところを想像したプラトン(Plato)を指し示す。
 「君や君の友人達は、神々についてのこのような見解を抱いた最初の者ではない。
 大勢、或いは少数の、この病気に罹った輩達は常にいた。」と。
 著者は、「我々は、このプラトンの病気を持ち出した想像場面に失望するかもしれないが、彼はその一般的な点においては間違いなく正しかった。
 歴史を通じて、また、全ての諸文化にわたって、聖なるものへの信仰に抵抗した者は<、以下のように>多数いたのだから。」と述べる・・・
 <すなわち、>BC2世紀にプラトン・アカデメイア(Academy)の学頭を務め、「神々への信仰は非論理的だ」と主張したカルネアデス(Carneades)<(注22)>から、ムシンロンシャ達(atheoi)としばしば呼ばれたところのエピクロス派、そして、コロフォンのクセノパネスの無神論的諸著述まで・・。

 (注22)BC214〜129.「キュレネで生まれ、アテナイの<プラトン・>アカデメイアで哲学を学んだ。そしてアカデメイアの学頭となり、急進的な懐疑主義(蓋然主義者ともいわれる)の立場からストア学派を攻撃した。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%83%8D%E3%82%A2%E3%83%87%E3%82%B9
 「キュレネ (Cyrene) は、現リビア領内にあった古代ギリシャ都市で、この地方にあった5つのギリシャ都市の中で最大・最重要を誇った。現在のリビア東部のことを「キレナイカ」(Cyrenaica) と呼ぶのは、キュレネに因むものである。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%A5%E3%83%AC%E3%83%8D
 「カルネアデスの板・・・は、・・・カルネアデスが出したといわれる問題。カルネアデスの舟板ともいう。舞台は紀元前2世紀のギリシア。一隻の船が難破し、乗組員は全員海に投げ出された。一人の男が命からがら、壊れた船の板切れにすがりついた。するとそこへもう一人、同じ板につかまろうとする者が現れた。しかし、二人がつかまれば板そのものが沈んでしまうと考えた男は、後から来た者を突き飛ばして水死させてしまった。その後、救助された男は殺人の罪で裁判にかけられたが、罪に問われなかった。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%83%8D%E3%82%A2%E3%83%87%E3%82%B9%E3%81%AE%E6%9D%BF

 <更に、>その他の諸例としては、BC320年前後から、病気を治す神であるアスクレピウス(Asclepius)<(注23)(コラム#3417)>に関する、手の指々が麻痺してしまったけれど、その頃流布していた奇跡的諸治癒の諸物語を嘲り、そんな類の話を信じなかったところの、ある男の事例等についての、諸文書がある。

 (注23)アスクレーピオス。「ギリシア神話に登場する名医である。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%B9%E3%82%AF%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%94%E3%82%AA%E3%82%B9
 「アスクレピオスの杖(・・・Rod of Asclepius)とは、・・・アスクレーピオス・・・の持っていた蛇(クスシヘビ)の巻きついた杖。医療・医術の象徴として世界的に広く用いられているシンボルマークである。・・・薬学のシンボルとして薬局の看板などに用いる国もあるが、薬学のシンボルとしては「ヒュギエイアの杯」(ヒギエイアの杯)が一般的である。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%B9%E3%82%AF%E3%83%AC%E3%83%94%E3%82%AA%E3%82%B9%E3%81%AE%E6%9D%96
 「ヒュギエイア(・・・ Hygieia)は、ギリシア神話に登場する女神で、健康の維持や衛生を司る。・・・アスクレーピオスの娘・・・父神と同様に一匹の蛇を従えた若い女性として絵画に表されることが多く、薬か水を入れたと思しき壺(または杯)を携えていることもある。この蛇と杯をモチーフにした「ヒュギエイアの杯」が薬学のシンボルに用いられることが多い。・・・英語のhygiene(清潔、衛生)の語源とされる。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%A5%E3%82%AE%E3%82%A8%E3%82%A4%E3%82%A2

 「<そんな男が、ダメもとで、>聖域(sanctuary)<(注24)>で眠った・・これは、育成(incubation)として知られていた儀式的活動の共通の型(common type)の一つ・・ところ、アスクレピウスが夢の中に現れた。

 (注24)「アスクレペイオンまたはアスクレピオスの聖域<は、>・・・アスクレーピオスを祀った古<典>ギリシア時代及び古代ローマ時代の聖域で、病の治癒を祈願する人が訪れる治癒所。・・・嘆願者は聖域内の至聖所・・・に宿泊し、翌日に祈願を行った後に、・・・神官医師団[(Therapeutae of Asclepius)]の治療を受けたり、温泉やギュムナシオンを訪れての治癒法を処方される。また、・・・眠りによる自然治癒が推奨されて<おり、>・・・至聖所で眠っている時に夢に神が現れ治療を施し、目覚めた時にはすっかり治癒していたという伝承もある。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%B9%E3%82%AF%E3%83%AC%E3%83%9A%E3%82%A4%E3%82%AA%E3%83%B3
https://en.wikipedia.org/wiki/Asclepius ([]内)
 「ギュムナシオン(古代ギリシア語: γυμνάσιον、gymnasion)、ギムナシウム(ラテン語: gymnasium)は、古代ギリシアの公共の競技の選手が訓練する施設。同時に社交の場でもあった。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%A5%E3%83%A0%E3%83%8A%E3%82%B7%E3%82%AA%E3%83%B3

 <その時、>彼の指々は治ったのだが、この神は彼を叱った。
 「信じられないような諸物事をお前は信じようとしなかったのだから、お前の名前はこれからアピストス (Apistos)(非信者=Disbeliever)にせよ」、と。・・・」(A)

⇒かつてのギリシャ人が、後のイギリス人と並ぶ天才民族であった、但し、前者は合理論・演繹法の天才であるのに対し後者は経験論・帰納法の天才、という私自身の累次の指摘を、改めて反芻しています。
 この合理論・演繹法の天才であった古典ギリシャ人が、原子なる概念まで創作しながら、しかも、最高神たるゼウス(注25)まで創作しながら、誰一人として、唯一神の概念を創作せず、その「功績」・・実は「超不行跡」であったわけですが・・を、(古代エジプトの国王アメンホテプ4世(注26)によるアテン神の一時的創作を別とすれば、)ユダヤ人にさらわれてしまったことは不思議と言えば不思議です。(太田)

 (注25)「ゼウス(・・・Zeus)は、ギリシア神話の主神たる全知全能の存在。全宇宙や天候を支配し、人類と神々双方の秩序を守護する天空神であり、オリュンポス十二神をはじめとする神々の王でもある。全宇宙を破壊できるほど強力な雷を武器とし、多神教の中にあっても唯一神的な性格を帯びるほどに絶対的で強大な力を持つ。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BC%E3%82%A6%E3%82%B9
 (注26)BC1362?〜1333?年。国王:BC1353?〜1336?年。「多神教であった従来のエジプトの宗教を廃し、唯一神アテンのみを祭る世界初の一神教を始めた・・・アメンホテプ4世の宗教では、アテンはアメンホテプ4世だけの為の神であった。そしてその他の一般の民に対しては、・・・伝統的なエジプト宗教と同じく・・・アメンホテプ4世自身を神として崇拝するよう説いたので・・・実際には二神教であった」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%83%9B%E3%83%86%E3%83%974%E4%B8%96

(続く)

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