太田述正コラム#8236(2016.2.24)
<無神論の起源(その6)>(2016.6.10公開)

 (4)その後

 「・・・古代文明人達によって「<BC>5世紀におけるとりわけ優れた無神論者」と見られた男であるところの、メロスのディアゴラス<(前出)>は、ある詩人がディアゴラスの諸作文(compositions)の一つから盗作したことはないと厳かに誓約した後、自作<と称するところ>の作品を朗読したけれど、神々は彼が誓約を破ったというのに処罰しなかった、というその時に、自分で諸結論を引き出し、神々に対する信仰を失ってしまった、と述べている。
 ある時、彼は、寒いと宣言し、ヘラクレス(Heracles)の木像を火にくべた。
 (「これがお前の13番目の功業(labour)<(注17)>だ」、という辛辣な言葉を口にしながら・・。)

 (注17)ヘーラクレース。「ギリシア神話に登場する多くの半神半人の英雄の中でも最大の存在である。のちにオリュンポスの神に連なったとされる。・・・<彼は、>12の功業を行<った。>」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%98%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%82%AF%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%82%B9

 海上の嵐の中で、彼の船の乗組員達が、<お前が>神々の不興を買った<からだ、>と彼を非難した時、彼は、難儀していたもう一隻の船を指さして、「彼らもディアゴラスを乗っけているとでも言うのかい」、と述べた。・・・」(C) 

 「・・・BC5世紀にはデモクリトス<(前出)>が登場する。
 彼は、宗教的諸信条の起源についての人類学的理論を提示しつつ、現実界(reality)とは、真空の中をランダムに舞っている基本的諸粒子以外の何物でもない、と思いを巡らせ、ギリシャ語の「不可分(indivisible)」から、「原子(atom)」という言葉を創り出した。
 「神々」についての議論(talk)は、自然諸法則を把握することがまだできなかった未開な人々が、幻想的な物語を紡ぎ出すことに拠ったものだったが、それは自然なことだった、と主張した。
 彼の諸著作の正確な諸タイトルは不明だが、彼の在来型宗教の諸起源に関する自然学者的な(naturalist)説明からして、それが、ダニエル・C・デネット(Daniel C. Dennett)<(コラム#1096、3718、5284、6483)>の本のタイトル、『呪文を解いて--自然現象としての宗教(Breaking the Spell: Religion as a Natural Phenomenon)』から借りたものだったかもしれない。
 いや、クリストファー・ヒッチェンス<(前出)>の本の『神は偉大ではない--いかに宗教が全てを汚染するか(God Is Not Great: How Religion Poisons Everything)』という扇動的なタイトルから借りた<と考えた>方が良いかもしれない。
 ルクレティウス(Lucretius)<(コラム#4342、5017、5132、9083)>は、BC1世紀に生きた人物だが、彼は、自分の素晴らしい詩に、より中立的なタイトルを選んだ。
 『事物の本性について(De Rerum Natura=On the Nature of Things)』だ。
 しかし、彼は、ヒッチェンスのサブタイトルが表現している感情と一致し<た感情を抱い>ている。
 彼は、単に、物理的諸現象の自然的諸原因について無知のまま差し出された諸信条の無根拠性にだけでなく、それらの行動上の(behavioral)諸帰結にも焦点を合わせた。
 宗教的確信に捉われていると、人は、他の状態でなら考えられないくらい身の毛のよだつ諸行為を犯すものだ。
 アガメムノーン(アガメムノン=Agamemnon)<(コラム#468、2454、3876、3878、6144、8233)>は、ある僧侶に助言され、鹿を殺されたことに怒っていた女神アルテミス(Artemis)に自分の娘を人間の生贄とした。
 ルクレティウスは、「例えば、こういったものが、宗教が誘発しうるひどい悪なのだ」、と記した。
 <その後、>宗教こそ変わったかもしれないが、ヴォルテール(Voltaire)<(コラム#516、801、996、1079、1254、1255、1256、1259、1665、1865、2382、2454、2502、3413、3559、3684、3702、3722、3754、4023、4443、5134、5238、5250、6634、7043、7244、7493、7558)>にとっても、これはなお極めてしっくりきたので、彼は、プロイセンのフリードリヒ2世(フリードリッヒ=Frederick II)<(注18)(コラム#457、459)>に世俗主義を促す際に、この一節を引用している。

 (注18)1712〜86年。国王:1740〜86年。「優れた軍事的才能と合理的な国家経営でプロイセンの強大化に努め、啓蒙専制君主の典型とされる。また、フルート演奏をはじめとする芸術的才能の持ち主でもあり、ロココ的な宮廷人らしい万能ぶりを発揮した。学問と芸術に明るく、哲学者のヴォルテールと親密に交際し、自ら書を著し哲人王とも呼ばれ、功績を称えてフリードリヒ大王(Friedrich der Grose)と尊称されている。ドイツにジャガイモ栽培を広めたことでも知られる。・・・
 母・・・は後の<英>国王兼ハノーファー<(=ハノーヴァー)>選帝侯ジョージ1世の娘・・・。」〈このジョージ1世の甥(妹の子供)であるところの、父たる国王フリードリヒ・ヴィルヘルム1世〉に虐待されて育ち、結婚はしたものの、生涯不犯(?)で子供はいない。宗教はカルヴァン派。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%922%E4%B8%96_(%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%A4%E3%82%BB%E3%83%B3%E7%8E%8B)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%BC%E3%82%B81%E4%B8%96_%28%E3%82%A4%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B9%E7%8E%8B%29 (〈〉内)
 彼の王妃「は夫に好かれようとして、様々な教養を身につけるべく努力したが、フリードリヒの気を魅くことはなかった。」(上掲) また、彼女「は美しい容姿で、信仰心が篤く善良な人柄であったが、フリードリヒは終生彼女に関心を持つことがなかった。控えめな性格でもあった彼女は、王に顧みられることの全く無い境遇を甘んじて受け入れ、かつひたすら夫を深く尊敬し続け、1786年のフリードリヒの死に際しては人一倍悲しんだと言われる。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%B6%E3%83%99%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%8D%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%A9%E3%82%A6%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%82%AF%EF%BC%9D%E3%83%B4%E3%82%A9%E3%83%AB%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%83%93%E3%83%A5%E3%83%83%E3%83%86%E3%83%AB_%281715-1797%29

⇒フリードリヒは、母のみならず、父を通じても、後に英国王になったジョージ1世につながっており、間接的にイギリスの影響を大いに受けたと思われるのであり、これが、彼をして、代表的な啓蒙専制君主・・つまりは、アングロサクソン文明の歪曲的継受者・・たらしめた、と私は見ています。
 その彼が、父国王の虐待により深い心の傷を負ったことが、彼の王妃との悲劇的な関係からも見て取れます。
 それにしても、王妃がそんな彼に対して一途な思いを抱き続けたことには心打たれますね。(太田)

 しかし、ルクレティウスが、人間達の、自分達の宗教的妄想(delusion)の下における非道徳性に焦点を合わせたのに対し、他の古代文明人達は、自分達自身、神々の非道徳性を強調しつつも、人間の諸悲劇を受動的に許容するかそれらに積極的に参加した。
 神々は偉大ではなかった。
 エウリピデス<(前出)>は、その生涯の終わりに、『ヘラクレスの狂気(The Madness of Heracles)』<という悲劇>を創り出した。
 その中で、一人の登場人物は、「お前は阿呆な類の神だ、いや、お前は生来的に不正義なのかもしれない」、とゼウスを叱りつける。
 死すべき者達<(=人間達)>は不死の者達<(=神々)>を<むしろ>凌いでいる。
 神々は、有徳の者が知っているところの、人間の人生の価値、彼らの罪なき苦悩への怒り、に気付かないでいるのだ<、とエウリピデスは言いたかったわけだ>。

(続く)