太田述正コラム#8234(2016.2.23)
<無神論の起源(その5)>(2016.6.9公開)

 BC650年から323年の間、ギリシャには推定で1200もの他と区分される都市諸国家があり、それぞれが自身の諸慣習、諸伝統、及び、ガバナンス、を持っていた。
 宗教は、この多様性(variety)を、数多くの神聖な(devine)諸存在に捧げられたところの、諸カルト、村の諸儀式や都市の諸お祭り、の形で表現していた。
 このことは、宗教的正統性などというものは存在しない、ということを意味した。
 ギリシャ人達にとっての、統一的な聖なる文章に最も近かったのは、ホメロス(Homer)の諸叙事詩だった。
 それらは、神々の首尾一貫した道徳的物の見方を提供するどころか、しばしば彼らを非道徳的な存在として描写していた。
 同様、人々にいかに生きるべきかを教えることを専門とする聖職者達(clergy)も存在しなかった。
 すなわち、「人に何かを教える僧侶という観念は、ギリシャ世界においては知られていなかった」、と著者は述べている。
 その結果、若干の人々は無神論を間違いだと見たけれど、それが道徳的に正しくないと見られることは殆どなかった。
 実際、無神論は、神々という話題に関して人々が採ることができる数々の諸見解のうちの一つとして、通常、許容されていたのだ。・・・」(E)

 (3)始まり

 「・・・仮に、我々が、BC539年<(注14)>より後のある時に、エルサレムのイスラエル人達が、妬み深く独特なヤハウェ(Yahweh)に肩入れしてその他の神々を全て捨て去った<(注15)>ということを<事実として>受け入れたとして、その頃までには、コロフォンのクセノパネス(Xenophanes of Colophon)<(注16)>は、既に彼の懐疑主義を書き残していたのだ。

 (注14)ペルシャ帝国の皇帝キュロスによって新バビロニアが滅ぼされた年。これにより、バビロニアへの捕囚となっていたユダヤ人はユダヤの地に帰還することを許され、エルサレムに第二神殿を建設したことを契機に、ヤハウェを唯一神とするユダヤ教の原型が確立した。
https://en.wikipedia.org/wiki/Babylonian_captivity
 (注15)BC8世紀にアッシリア帝国がその国家神であるアシュール(Ashur)を最高神であると主張し始め、これに反発して、ユダヤ人の中からヤハウェを共通の民族神とする動きが出、その後、BC607年に、ユダヤ(イスラエル)人達の国のユダヤが新バビロニアのネブカドネザル2世によって滅ぼされ、ユダヤ人達が同国に連れ去られて捕囚になると、自分達のアイデンティティを維持しようとしたユダヤ人達の中から、ヤハウェを唯一神である、と主張する動きが出てきた。
https://en.wikipedia.org/wiki/Monotheism
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%93%E3%83%AD%E3%83%B3%E6%8D%95%E5%9B%9A
 (注16)[BC570?〜475?年。]「紀元前6世紀のギリシア哲学者・・・イオニア地方のコロフォンの人。<BC>545年頃、25歳で故郷を去り南イタリア<のギリシャ人諸植民市>・・・で暮らした。・・・ヘシオドスやホメロスを攻撃して、その神々について語っていることを非難した。・・・神の本性は球状であり、人間と少しも似たところがない。そして全体が知性であり思慮であって永遠なものである<、と主張した>。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%82%BB%E3%83%8E%E3%83%91%E3%83%8D%E3%82%B9
https://en.wikipedia.org/wiki/Xenophanes ([]内)

 換言すれば、無神論は、「アブラハム系唯一神諸宗教と少なくとも同じくらい古い」かもしれないわけだ。
 だから、誰も、無信仰者(non-believer)に啓蒙主義以降の酔狂者(freak)の類、ないし、無神論者達に「その人間性において不完全な」近代の危険な狂人達(weirdos)、といったレッテルを貼るべきではないのだ。・・・」(D)

 「・・・この本は、非信仰(disbelief)は、現実に、「丘々ほども古い」と主張している。
 初期の諸事例、例えば、コロフォンのクセノパネス・・・の無神論的諸著作は、第二神殿期のユダヤ教と同時代のものであり、キリスト教とイスラム教<が生まれる>よりもはるかに前<の時代のもの>なのだ。
 プラトンですら、BC4世紀の著作の中で、同時代の無信仰者達は、「神々についてかかる見解を抱いた最初の者達ではない」、と述べているところだ。・・・」(E)

⇒クセノパネスは、非人格神たる、唯一神、ないし、神々の中の最高神、の存在を主張したのであって、前者を主張した、と受け止めれば、それは後世のスピノザの主張に近い、という指摘がなされています。
https://en.wikipedia.org/wiki/Xenophanes 上掲
 ですから、クセノパネスの主張は、あくまでも、当時のギリシャの多数の人格神からなる宗教観に対する「懐疑論」なのであって、著者のように、彼を「無神論」の祖、と捉えるのは、いささか牽強付会の感があります。(太田)

(続く)