太田述正コラム#8228(2016.2.20)
<無神論の起源(その2)>(2016.6.6公開)

2 無神論の起源

 (1)序

 「・・・<この本>の主要テーマは、・・・無神論(atheism)なるものは、そのあらゆる微妙な諸種類いかんを問わず、近代の産物なぞではなく、古典ギリシャ世界という、初期の欧米の知的伝統にまで遡る、というものだ。・・・」(B)

 「・・・歴史の多くの諸部分においては書き漏らされているが、ある新しい研究が示唆するところによれば、古代世界の多神教的(polytheistic)諸社会の中では、無神論者達は大勢おり、彼らは、人間達にとってまことに宗教は付き物である(wired)のかどうか、にかなりの諸疑問が提起されつつある。
 この主張こそ、この・・・新しい本の中心的命題なのだ。
 その中で、著者は、典型的には近代の現象と見られて来たところの、無神論は、古典ギリシャやキリスト教前のローマにおいてありふれていただけでなく、恐らくは、これらの諸社会の中で、それより後の大部分の諸文明においてよりも、もっと流行っていた、ということを示唆している。
 その結果、この研究は、無神論者達と信仰者達(believers)との間での現在の諸議論で輩出する2つの諸前提に疑問を投げかけている。
 それは、第一に、無神論は近代的見解であるという観念であり、第二に、人間達にとっては、神々を信仰するものと、生来、その運命が定められている、ないしは、神々が付き物であるという観念だ。・・・」(E)

 「・・・無神論は様々な諸形と諸寸法で出現したが、著者は、世代を超えて強い諸連続性が存した、とも主張している。
 古代の無神論者達は、多くの人々が今日においても依然疑問に思っている基本的な諸事柄(fundamentals)と格闘した。
 例えば、悪の問題をどう取り扱うか、そして、ありえなさそうに見えるところの、宗教の諸側面をどう説明するか、について・・。
 これらの諸テーマは、雷や諸地震といった諸現象が、現実には神々とは何の関係もないということを説明しようとした、アナクシマンドロス(Anaximander)<(注1)(コラム#2458)>とアナクシメネス(Anaximenes)<(注2)>、から、その諸劇が神による因果(causality)を公然と批判した、エウリピデス(Euripides)<(注3)(コラム#908、3878、7548)>のような有名な作家達、に至るまで、広範に見られるのだ(extended)、と。

 (注1)BC610?〜546年。「ミレトスに住んでいたようで、タレス、アナクシメネスと共にミレトス学派(イオニア学派)の代表とされる。自然哲学について考察し、タレスとともに最初の哲学者とされることが多い。万物の根源(アルケー)が“無限なもの”(アペイロン)であることを論じた。・・・この発想の画期性とはタレスが「水」という自然界に存在する要素を用いて世界の起源を説明しようとしたのに対し、「火」や「水」といったあらゆる対象物の根源を抽出するために「無限なもの」を概念化したことである。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8A%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AD%E3%82%B9
 (注2)BC585〜525年。「アナクシマンドロスの弟子で、・・・万物の根源(アルケー)は空気(気息、pneuma)であるとした。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8A%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%A1%E3%83%8D%E3%82%B9
 (注3)BC480?〜406?年。「古代アテナイのギリシア悲劇における三大悲劇詩人の1人である。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%82%A6%E3%83%AA%E3%83%94%E3%83%87%E3%82%B9
 「デウス・エクス・マキナ<、すなわち、>・・・機械仕掛けの神<とは、>・・・古代ギリシアの演劇において、劇の内容が錯綜してもつれた糸のように解決困難な局面に陥った時、絶対的な力を持つ存在(神)が現れ、混乱した状況に一石を投じて解決に導き、物語を収束させるという手法を指した。悲劇にしばしば登場し、特に盛期以降の悲劇で多く用いられる。アテナイでは紀元前5世紀半ばから用いられた。特にエウリピデスが好んだ手法としても知られる。・・・エクス・マキナ(機械によって)とは、この場面において神を演じる役者がクレーンのような仕掛けで舞台(オルケストラ)上に登場し、このからくりが「機械仕掛け」と呼ばれたことによる。由来は、「機械仕掛けで登場する神」ないし、舞台装置としての解決に導く神そのものが機械仕掛けであることとも解される。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%82%A6%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%A8%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%82%AD%E3%83%8A

 恐らく、古代世界における、最も有名な無神論者達の集団は、エピクロス派(Epicureans)<(注4)(コラム#3703、3805、5017、7063)>だろうが、彼らは、定められた運命(predestination)などはないと主張し、神々が人間の生活に対して支配を及ぼしているとの観念も拒絶した、と。・・・」(E)い

 (注4)エピクロス(BC341〜270年)は、「アテナイの植民地であったサモス島に・・・生まれ」、後半生をアテナイで送った哲学者だが、「われにパンと水さえあれば、神と幸福を競うことができる」「死はわれわれにとっては無である。われわれが生きている限り死は存在しない。死が存在する限りわれわれはもはや無い」といった言葉を残している。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%94%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%82%B9
 「エピクロスについての真剣な研究がウェルギリウスやルクレティウスらの詩人によって行われ、特に後者による『事物の本性について(De rerum natura)』はエピクロス哲学を熱狂的で絢爛たる詩句で叙述し、迷信と恐怖からの解放を説いた。エピクロス哲学がルネサンス以降の読書人によって知られるようになるのは、ルクレティウスによる。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%94%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%82%B9%E4%B8%BB%E7%BE%A9

(続く)