太田述正コラム#8222(2016.2.17)
<米国の「急進的リベラリズム」の伝統(その4)>(2016.6.3公開)

 彼女と彼女の支持者達は、クリストファー・ラッシュ(Christopher Lasch)<(注8)>の宿命論的な嘆きであるところの、「米国における急進主義は記録に残っている限りでは大きな諸勝利を遂げたことがない」、をおうむ返しに口にしており、それが善よりも害をなすことを示唆している。

 (注8)1932〜94年。「<米国>の歴史学者、社会批評家。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A5
 ハーヴァード大とコロンビア大で学び、アイオワ大、米ロチェスター大で教鞭を執った。
https://en.wikipedia.org/wiki/Christopher_Lasch

 しかし、そのような彼らは、米民主党の歴史の重要な教訓を忘れている。
 すなわち、リベラル達の今日のコンセンサスなるものは、その諸観念の大部分が過去の天邪鬼的な革命家達からの盗用なのだ。
 自然界同様、政治においても、あらゆる運動は相対的なのであり、クリントンや彼女の同盟者達が主張しているところの、政治的中央(center)なるものは、それほど昔ではない頃には、周辺(fringe)、とみなされていたのだ。
 米国のリベラリズムの、今日に至るまでの最も大きな諸達成であるところの、進歩主義的諸改革、ニューディール、偉大な社会<(注9)>、フェミニズム<(注10)>と多文化主義(multiculturalism)<(注11)>、は、全て、革命的諸運動から生まれてきたものなのだ。

 (注9)ジョンソン大統領は、「国民にケネディ路線の継承を呼びかける一方,コンセンサスをうたう巧みな議会工作で公民権法の制定,貧困撲滅,社会保障の拡充,学校教育に対する連邦の援助などの政策を次々に実現化し,その指導力を印象づけた。64年の大統領選で圧倒的な支持を得て当選すると教育,福祉,人種差別廃止,環境保全,都市開発など広範にわたる〈偉大な社会〉政策を提唱したが,これらは以後の<米国>社会を方向づける基本的要素となった。」
https://kotobank.jp/word/%E5%81%89%E5%A4%A7%E3%81%AA%E7%A4%BE%E4%BC%9A-1268987
 (注10)いわゆる第二波のフェミニズム。「20世紀初頭から1970年代ぐらいに<米国>を主にしておこった運動で単なる働く権利ではなく職場における平等、男子有名大学などへの入学の権利、中絶合法化、ポジティブ・アクションなど市民権運動の一環として行われた女権運動を指す。・・・
 <なお、いわゆる第一波のフェミニズムは、>「18世紀から20世紀初頭の、近代国家における投票権や参政権のほか就労の権利や財産権などの法的な権利の獲得にかかわる闘争を指す。・・・」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%9F%E3%83%8B%E3%82%BA%E3%83%A0
 (注11)「<米>国では<、カナダや豪州とは違って、>政府の正式な政策として多文化主義を採用しておらず、一部の州政府が英語とスペイン語の二言語常用を採用しているのみである。しかし近年では、<米国>政府は多文化主義を支持する傾向にある。例えばカリフォルニア州では、・・・運転免許を取る際に試験の言語を選択することが出来る。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%9A%E6%96%87%E5%8C%96%E4%B8%BB%E7%BE%A9

⇒「偉大な社会」は、ニューディール・マークIIであったけれど、それが、ニューディール・マークIと違って、(ソ連はともかくとして、)北ベトナムや中共のような共産主義諸国との対決なる対外政策と共に推進された点、そして、黒人差別撤廃を包含して推進された点、が違っていた、というのが私の認識です。
 また、「フェミニズムと多文化主義」は、女性差別と非白人差別の解消を図った、ということであり、その限りにおいては評価すべきであるものの、人間主義そのものの採択というパラダイム転換を伴っていなかったところに限界があった、だからこそ、タテマエ上はともかくとして、実態上での女性や黒人・ヒスパニック差別は解消しないまま現在に至っている、というのが私の見解です。(太田)

 民主党員達が守ろうと欲しているところの、主流のリベラル的秩序は、彼らが今嘲笑しているところの、革命的主張(talk)抜きで到来することは決してなかったはずだ。・・・
 クリントンのプラグマティックな感受性は物事を達成するためには非常に貴重であることに殆ど疑いの余地はない。
 しかし、サンダースが立脚しているところの、革命的伝統は、過たずして正しい諸理由でもってそれらを達成することを可能にすることができる。
 このように、中央と周辺は共存関係にあるのだ。
 イデオロギーは、統治にとってはひどい道具だが、政府が何のために存在するのかを思い起こさせてくれるという意味で必要なのだ。
 今度サンダースが革命について語った暁には、懐疑的な主流のリベラル達は、<とりあえずは、>口を塞いで、米国の政治体制の最も例外的な<高い>質は、現実の革命が全くないにもかかわらず、かくもたくさんの革命的諸観念を吸収し実施する、その能力にあることを、思い起こすべきだ。・・・
 民主党員達は、サンダースの革命についての主張(talk)を恐れるべきではない。
 彼らの党はその上に建設されたのだから。・・・」

3 終わりに

 最後に米国礼賛になってしまった点は鼻白みますが、このコラムの筆者は、イスラエルのテルアヴィヴ(Tel Aviv)大学で政治学と歴史学の教鞭を執っている、ヨアヴ・フロマー(Yoav Fromer)という人物であり、ユダヤ系のサンダースを米有力紙上で支援する、という目的意識から、米国をあえて持ち上げたのかもしれないので、これに対する具体的な批判は控えたいと思います。
 とまれ、この点を除けば、これは、なかなか、ツボを押さえた好コラムなのではないでしょうか。
 
(完)