太田述正コラム#8186(2016.1.30)
<矢部宏治『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』を読む(その9)/私の現在の事情(続x73)>(2016.5.16公開)

 「2009年9月に誕生した民主党・鳩山政権は、過去半世紀つづいた極端な対米従属路線に根本的な見直しを迫ることをかかげて誕生した政権でした。

⇒この鳩山政権評には完全に同意です。(太田)

 その公約のひとつが、戦後結ばれた日米安保に関する密約について調査し、関連する日本側の公文書も公開するというものだったのです。・・・
 ところが、調査の開始から半年後の2010年3月9日、外務省の委嘱をうけた「有識者委員会」・・・座長<は>北岡伸一・東京大学教授(当時)・・・は、厳密な意味での密約はなかったとする報告書(「いわゆる『密約』問題に関する有識者委員会報告書」)をまとめ、調査は幕引きとなりました。
 アメリカ側が公文書を開示し、そうした密約があったことはわかっているのに、なぜそんな結果になってしまうのか。
 108ページにのぼる報告書の冒頭で、北岡氏は突然、密約には「狭義の密約」と「広義の密約」が存在すると定義します。
 そして「狭義の密約」の典型を、第二次大戦終結以前の帝国主義時代において大国同士が結んだ密約、たとえば1907年緒日露協商<(注12)>(後段では、1939年8月の独ソ不可侵条約に付属した秘密議定書<(注13)>や、1945年2月のヤルタ会談<(注14)>における米英ソの秘密協定)によって代表させ、「厳密な意味では、密約とはそういうものを指して言うべきものであろう」と報告書の冒頭で・・・のべているのです。・・・

 (注12)日露協約(1907年)。「清国の独立、門戸開放、機会均等の実現を掲げる一方で、秘密協定では日本の南満州、ロシアの北満州での利益範囲を協定した。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E9%9C%B2%E5%8D%94%E7%B4%84
 (注13)「東<欧>における独ソの勢力範囲の線引きが画定され、バルト三国、ルーマニア東部のベッサラビア、フィンランドをソ連の勢力圏に入れ、独ソ両国は・・・ポーランドの分割占領に<も>合意し・・・た。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8B%AC%E3%82%BD%E4%B8%8D%E5%8F%AF%E4%BE%B5%E6%9D%A1%E7%B4%84
 (注14)「ソ連の強い影響下にあった外モンゴル(モンゴル人民共和国)の現状を維持すること、樺太(サハリン)南部をソ連に返還すること、千島列島をソ連に引き渡すこと、<蒋介石政権の同意抜きで(太田)>満州の港湾と鉄道におけるソ連の権益を確保することなどを条件に、ドイツ降伏後2ヶ月または3ヶ月を経てソ連が<日ソ中立条約に違反して(太田)>対日参戦することが取り決められた。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%83%AB%E3%82%BF%E4%BC%9A%E8%AB%87

⇒原文が、日露「協約(agreement)」なのに、日露「協商(entente)」と書き間違っていたとは考えにくいだけに、これは、矢部のケアレスミステイクでしょう。
 ちなみに、両者には、「「協商」:国家間の係争点を調整し、親善関係を結ぶために協議してとり決めること。これは「同盟」よりゆるく、条約ほど正式ではない。」、「「協約」:国家間で協議した上で約束をとりむすぶこと。いわゆる条約の一形式。」という違いがあります。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1428276424 (太田)

 <このような>勝手な線を引いて「戦後の日本の対米密約は、厳密な意味での密約ではなかった」としているのです。」(111〜112)

⇒報告書に書いてあるのかもしれませんが、報告書があげる、最初の例は、条約の公表部分に反する取極めですし、二番目と三番目の例は、国際法違反の取極めである・・最初の例もそうであるとも言える・・のに対し、「戦後の日本の対米密約」は、公表部分に必ずしも反しないところの、公表部分の解釈に係るものであるので、「広義の密約」とは言えるかもしれないけれど、「厳密な意味で<の>密約」、すなわち、「狭義の密約」ではない、ということではないでしょうか。
 そうだとすれば、それは、妥当な指摘であると思います。
 ただ、自民党/外務省のポチである北岡・・しかも、外務省職員であった経歴あり・・(コラム#省略)を、よりにもよって、民主党政権が、引き続き政府の審議会的なものの座長に起用したことは、それ自体が、この報告書の信頼性を損なうものであったことは確かです。
 鳩山は、そもそも、自分とは対外政策や安全保障政策に関する考え方が全く異なるところの、吉田ドクトリン信奉者たる岡田克也(コラム#省略)を外相に起用した
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B3%A9%E5%B1%B1%E7%94%B1%E7%B4%80%E5%A4%AB%E5%86%85%E9%96%A3
ことからしておかしかったわけですが、本件で言えば、せめて、岡田が推薦してきた北岡を差し替えさせさせるといったことさえやらなかったため、外務、防衛を中心とする官僚達になめられ、彼らに鳩山の「独立」志向政策への徹底的な抵抗を許すことになったのは、自業自得というものでしょう。(太田) 

(続く)
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--私の現在の事情(続x73)--

 本日、夕刻から、お台場の大江戸温泉物語・・今は米国資本・・
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%B1%9F%E6%88%B8%E6%B8%A9%E6%B3%89%E7%89%A9%E8%AA%9E
で開催されたところの、(大学紛争を一緒に体験した)東大教養課程のクラス(42LI16D)の同級会に出席してきました。
 地下鉄浅草線で新橋まで行き、ゆりかもめに乗り換えて、テレコムセンター駅で下車しましたが、ゆりかもめに乗ってから結構時間がかかった印象です。
 車中半分くらいは外国人観光客でしたね。
 彼らが降りた駅はさまざまでしたが・・。
 若い女性2人組の韓国人観光客に、乗車する時と、駅で下車してから、(私自身も初めてだったけど、)大江戸温泉物語にどう行くのか、日本語で教えてあげました。
 さて、同級会ですが、13名の出席であり、かねてから私が出席してきた、同じクラスの同級会・・但し、メンバーは6名・・とは並行して、やはり小グループで開催されてきた方から、今回、私のグループの方の2人に声がかかって、事実上の合同同級会になった、という経緯があります。 
 最初に各自、三々五々、受付でグループ名を言ってロッカーキーをもらい、入浴した後、18:00から20:00過ぎまで懇親会、という段取りです。
 私からは、自分は、幸か不幸か、まだ公私ともやり遂げたいことがあるという意味で青春真っただ中である、と前置きした上で、・・娑婆って、無償ボランティア、精神障害者、そしてLGBTだらけなのね、と茶化しつつ・・「本来行われるべきだったまともな東大闘争を、たった一人で58歳にもなって始めた誇大妄想狂のキチガイ」(2007.10.28)(コラム#2152)との私の「宣言」に端的に表れているように、日本の米国からの「独立」を目指す青春・・第二の人生・・を謳歌してきた過程で、中共の日本化戦略を発見し、その関連で、廣松渉に遭遇し、実は、修辞的にでなく、文字通り本当に自分が東大闘争を現在戦っているということを自覚した、といった話をしました。
 初めて出会ってから50年近くが経っているけれど、本日出席しなかった同級生を含め、亡くなっている者が一人もいないことが確認できただけでもよかったです。
 途中、(昨年12月26日のオフ会以来の発声だったので、)声が枯れてきたけれど、何とか懇親会終了まで持ち堪えました。