太田述正コラム#8180(2016.1.27)
<矢部宏治『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』を読む(その6)>(2016.5.13公開)

 「<以前、説明したように、>少なくとも「国家レベルの安全保障」については、最高裁が絶対に憲法判断をせず、その分野に法的コントロールがおよばないことは確定しています。
 おそらく・・・2012年6月27日<に>改正された「原子力基本法」に、「前項[=原子力利用]の安全の確保については、(略)わが国の安全保障に資する[=役立つ]ことを目的として、行なうものとする」(第2条第2項)という条文がこっそり入ったのもそのせいでしょう。

⇒世の中、絶対に安全な構築物や機械は存在しない以上、どの程度のリスクを甘受するかということであり、その場合、経済的観点からのみ核施設を捉えた場合と、安全保障的観点も加味して捉えた場合とでは、後者の方が甘受すべきリスクは大きいわけであって、核施設は安全保障上の観点からも設置されている(注7)以上、安全保障条項の導入は、むしろ遅きに失したと言うべきでしょう。(太田)

 (注7)「一九五四年の第五福竜丸事件以降、日本では「反米」「反原子力」気運が高まっていく。そんな中、衆院議員に当選した正力松太郎・讀賣新聞社主とCIAは、原子力に好意的な親米世論を形成するための「工作」を開始する。」
http://textream.yahoo.co.jp/message/552020080/86hafa4rbfdbfj856a7cfabebaac9af90a4hc05nobebebc0oba

 この条文によって今後、原発に関する安全性の問題は、すべて法的コントロールの枠外へ移行することになります。・・・

⇒すぐ後で述べることに照らしても、このくだりで、矢部には余りにもひどい論理の飛躍がある、と言うべきでしょう。(太田)

 田中耕太郎判決は「統治行為論」、柏木賢吉判決は「裁量行為論」、米軍機の騒音訴訟は「第三者行為論」とよばれますが、すべて内容は同じです。・・・
 こうした「法理論」の行きつく先は、・・・司法審査権の全面否定にもつながりかね<ません。>・・・

⇒「<私がこれまで何度も指摘してきたように>大陸法系の訴訟手続をとる日本では、・・・いわゆる判例拘束性の原理を採らない・・・一方<、>裁判により規範性をもつ準則(rule)としての法が形成されることは、しだいに認められるようになってきているといえ<のであり、>労働法における「整理解雇の四要件」(四要素とする裁判例もある)のように法源性の高い<もの>もあり、「譲渡担保」も・・・認められている」ところです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%A4%E4%BE%8B
 とはいえ、「統治行為論」や「裁量行為論」や「第三者行為論」が準則的なものである、と仮に言えたとしても、後の2者は、下級審で援用されたものに過ぎませんし、最高裁における「統治行為論」についても、「田中耕太郎<を裁判長とする>砂川事件上告審判決・・・<は>、統治行為論と自由裁量論を組み合わせた変則的な理論を展開して、司法審査の対象外とした<ものであり、1960年の>苫米地(とまべち)事件上告審判決・・・<が、>衆議院の解散の合憲性判断について、純粋な統治行為論を採用して、司法審査の対象外とした<のが、>統治行為論をほぼ純粋に認めた唯一の・・・例とされる。
 <しかし、>これ以降<の半世紀を超える期間>、議員定数不均衡訴訟などにおいて、被告の国側は統治行為論を主張するが、最高裁はそれを採用せず、裁量論で処理」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B5%B1%E6%B2%BB%E8%A1%8C%E7%82%BA%E8%AB%96
してきた、というのですから、「統治行為論」的な「準則」が確立している、とは到底言えそうにありません。(太田)

 そうした判決に向けて圧力をかけているのが、おそらく・・・最高裁事務総局であることは、すでに複数の識者から指摘されています。
 裁判所の人事や予算を一手に握るこの組織が、「裁判官会同」や「裁判官協議会」という名目のもとに会議を開いて裁判官を集め、事実上、自分たちが出したい判決の方向へ裁判官たちを誘導している事実が報告されているからです。(『司法官僚』新藤宗幸著/『原発訴訟』海渡雄一郎/ともに岩波書店)」(85〜86)

⇒当然のことながら、最高裁事務総局が、統治行為論的なものを援用するように誘導しているということについての具体的な根拠を矢部はあげることができていません。(太田)

 「悪名高き・・・第2条<を含む>・・・ナチスの全権委任法・・・制定によって、当時、世界でもっとも民主的な憲法だったワイマール憲法はその機能を停止し・・・たとされ<てい>ます。・・・
 「政府は憲法に違反する法律を制定することができる」<というのが第2条の趣旨です。>
 これをやったら、もちろんどんな国だって亡ぶに決まっています。・・・
 しかし日本の場合はすでに見たように、米軍基地問題をきっかけに憲法が機能停止状態に追い込まれ<てしまっているのです。>・・・
 しか<も、>現在の日本における現実は、ナチスよりもひどい。
 法律どころか、「官僚が自分たちでつくった政令や省令」でさえ、憲法に違反できる状況になっているのです。」(87〜88)

⇒ご存知のように、私見では、日本には、明治憲法の時から、憲法に規範性はないのですから、そもそも、「政府は憲法に違反する法律を制定することができる」のであり、だからこそ、現行憲法の下で、その憲法第9条第2項に反する自衛隊法・・最初は警察予備隊令(ポツダム政令)だった
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AD%A6%E5%AF%9F%E4%BA%88%E5%82%99%E9%9A%8A
・・が制定されているのです。
 ところが、日本は、警察予備隊令が制定された1950年からなら65年以上、自衛隊法が制定された1954年
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E8%A1%9B%E9%9A%8A
からでも61年以上、が経過していますが、亡びてはいません。
 もっとも、私に言わせれば、日本が亡びていないのは、憲法違反の存在であるところの、使うつもりのない、従って使えない、自衛隊の存在のおかげではなく、日米安保条約があるから、より正確には同条約によって日本が米国の属国になっているから、であるわけですが・・。
 なお、「「官僚が自分たちでつくった政令や省令」でさえ、憲法に違反できる状況」なのは、日本が、裁判官や官僚に対して、裁量権を大幅に与える形の法律を制定してきている(コラム#省略)ことと、前述のように憲法に規範性がないことから、当然です。(太田)

(続く)