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太田述正コラム#8148(2016.1.11)
<映画評論46:007 スペクター(続)>(2016.4.27公開)

         --映画評論46:007 スペクター(続)--

 言いたいことをほぼ言い尽くした感があったからこそ、昨日、表記のシリーズを終えたわけですが、今朝、ベッドから起きる直前、まだうとうとしている時に閃いたのが今から記す事柄です。
 今回の映画に登場する「スペクター」という悪の組織は、ボンド・シリーズの第1作の『ドクター・ノオ(007は殺しの番号)』(1962年)に既に登場しています。
 そして、その作品の中で、「スペクターの一員である謎の東洋人ドクター・ノオは、ボンドに組織の名と目的<について、>「我々は東側でも西側でもない。私の組織は、対敵情報活動・テロ・復讐・強要のための特別機関、頭文字を取って、S.P.E.C.T.R.Eだ。我々の目的は世界の完全なコントロール…いや、もっと大きなものを手中に収めることなのだ」」というタテマエ的な説明が行われ、更に、後の作品である「『007 サンダーボール作戦<(Thunderball)>』<(1965年)の中>では、<スペクターが、>・・・ソ連・・・<や>中<共>など、・・・必要があれば、当時の共産圏<諸国とも>裏で協力し利益を得て<おり、共産圏と>・・・の「冷戦」のなかで、ボンドは<米>CIAとも協力しながら、・・・スペクターと戦い続けている」
http://realsound.jp/movie/2015/11/post-369.html (「」内)
http://www.hyou.net/ta/007.htm (前掲。上演年)
という、ホンネ的な補足説明が行われていますが、この「スペクター」がボンド映画のタイトルに書きこまれたのは今回が最初・・私見では、既に記した理由から最後になるはず・・です。
 ですから、そのこと自体に深い意味があるはずです。
 今回の映画は、スペクターのサハラ砂漠内の本拠の爆破・消失、及び、その創業者で独裁的ボスであるオーベルハウザーの逮捕によって、この組織は壊滅したはずであるところ、スペクター(spectre=specter)の意味は「恐ろしい幻影」
http://ejje.weblio.jp/content/specter
なのですから、これは、それと対をなすところの、「恐ろしい(formidable)現実(reality)」の存在を暗示していて、英国の首相や内相は、この「恐ろしい現実」に仕えていることを示唆しているのではないか、と私は思うに至ったのです。
 「恐ろしい現実」は何なのかを考えるにあたっては、「1966年に、キングズリー・エイミス(Kingsley Amis)<(注)>が、ボンド・シリーズの成功要因の一つは、・・・「暫定的かつ地域的かつ幻想的な諸要素」と共に、ボンドの幻想的(fantastic)世界が、何らかの種類の現実(reality)にしっかりと根を下ろしている(be bolted down to)ことがもたらす・・・効果だ、と指摘した」
http://www.nytimes.com/2015/11/06/movies/review-in-spectre-daniel-craig-returns-as-james-bond.html?_r=1 (★)
ことが手掛かりになります。
 この手掛かりに照らせば、今回の映画の中で、米国がいかなる形でも全く登場しない、という非現実性(unreality)が頗るつきに気になってこざるをえません。

 (注)1922〜95年。イギリスの小説家、詩人、批評家、教師。オックスフォード大卒。サマーセット・モーム賞(Somerset Maugham Award。文学賞)受賞。(彼の息子も同じ賞を受賞することとなる。)
https://en.wikipedia.org/wiki/Kingsley_Amis

 このことは、英国の首相や内相が仕えている「恐ろしい現実」が米国であることを意味しているのではないでしょうか。
 確かに、それが米国であれば、今回の映画は、英国が落ちぶれているもかかわらず、自らの過去の経済や政治面での偉大さ、という幻影に踊らされ、戦後においても、身の丈を超える対外政策を中東等で行ってきたものの、米国の意向に逆らったスエズ戦争での失敗に懲り、爾後、米国の腰巾着の形で対外介入行動をとることとし、米国の「成功」のおこぼれにあずかってはきたものの、その結果は、中東等において、状況の漸次的・不可逆的悪化をもたらしてしまった上に、今や、高度な国民監視国家になってしまった英国は、その内外政策のいずれもが、自傷行為的なものへと堕しつつある、という絶望的メッセージを発している、という形できれいに総括ができます。
 英国の没落にとどめをさしたのが、先の大戦において、英国を引きずり降ろして名実ともに新しい世界覇権国へとのし上がった米国であったことを想起すれば、米国は、現在の英国の苦境の全てに関わっている疫病神であって、だからこそ、英国は、(自らの過去の偉大さの幻影の憑依を払いのけた上で、)米国とは決別しなければならない、というメッセージをこの映画は同時に発している、ということにもなります。

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