太田述正コラム#8146(2016.1.10)
<映画評論46:007 スペクター(その6)>(2016.4.26公開)

 それは、今後、ボンド・シリーズを続けていくための伏線では、と言いたい人がいるかもしれません。
 確かに、製作会社はこのシリーズを続ける気であり、2016年の春に早くも次作の製作に着手する、とも言われています。
http://www.bbc.co.uk/newsbeat/article/31654971/sam-mendes-spectre-about-bonds-childhood (★)
 しかし、そうだとしても、というか、そうだとすると、辻褄の合わないことが多過ぎます。
 今回の作品の監督をしたメンデスは、次作は手掛けないと明言していますし、今回、最後に、クレイグが演じたボンドに逮捕されるところの、主悪役を演じたワルツは、次作にも出演するかどうかはクレイグ次第だとしているものの、今回を含め、立て続けに4本のボンド映画に主演したところの、肝心のクレイグは、もうボンド・シリーズには出演しないと示唆している(上掲、及び
http://www.hyou.net/ta/007.htm 前掲)
ことが第一です。
 第二に、今回の映画が、ボンドの辞職・結婚で終わっていることです。
 「ボンドが愛する女性と結ばれた末にMI6を辞職して映画が終了するのは、『女王陛下の007』<以来である>」(C)、というのですが、『女王陛下の007』では、「ボンドは[コルシカ出身のイタリア人たる]テレサ[・ディ・ヴィセンゾ公爵夫人]と結婚し、彼女のランチア・フラミニアに乗って新婚旅行に出かけた。だが、2人を追い越したマセラッティに乗っていたのは、<主悪役の>ブロフェルドであった。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%B3%E7%8E%8B%E9%99%9B%E4%B8%8B%E3%81%AE007
https://en.wikipedia.org/wiki/Tracy_Bond ([]内)
と、ボンド・シリーズの継続がミエミエだったのに対し、今回は、エンディングにそのような含みは皆無です。
 (蛇足ながら、コルシカ系イタリア人のテレサ役を演じたのは、ダイアナ・リグ(Diana Rigg)という、英国の女優でした。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%82%A4%E3%82%A2%E3%83%8A%E3%83%BB%E3%83%AA%E3%82%B0 )
 しかも、ボンドの今回の結婚相手は、マドレーヌ・スワンという、プルーストの20世紀を代表する長編小説の一つである、『失われた時を求めて』ゆかりの名前を持つ、これまでの歴代の(ボインだけが最大の取り柄であった)ボンドガール達中、最も傑出した知力を持つ女性
http://www.telegraph.co.uk/film/james-bond-spectre/review/ 前掲
 (どのような「ゆかり」であるかは、下掲参照。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%B1%E3%82%8F%E3%82%8C%E3%81%9F%E6%99%82%E3%82%92%E6%B1%82%E3%82%81%E3%81%A6 )
であり、(プロのジゴロであったはずの)ボンドは、あろうことか、彼女に、狂おしいまでの恋心を抱いてしまう、ときているのです。
http://www.latimes.com/entertainment/movies/la-et-mn-spectre-review-20151105-column.html (★)
 それもそのはずであり、(その学歴や知力もさることながら、)彼女は、ボンドに勝るとも劣らない銃遣いの名手であるとともに同じく酒類の目利きでもあり、かつ、勁さと官能性を二つながら兼ね備え、
http://www.theguardian.com/film/2015/oct/25/spectre-review-another-stellar-outing-for-bond-mark-kermode (★。あの高級紙ガーディアンが、3度も今回の映画評を掲載していることに注目していただきたい。)
更にまた、その軽度の精神的不安定さがミステリアスであってもっと知りたいという気持ちとともに守ってあげたいという気持ちを男性に掻き立てさせるところの、ボンドにとって・・いや、私にとっても・・、文字通りの理想の女性だからです。
 そして、その彼女が、ボンドに、自分と人生を共にしたいのなら、(当然、ボンドは、危険極まりないところの、その命をかけるに値するほどの仕事をさせられていないことを、その高度な知力で見抜いたが故に、)工作員を辞任することを求めた(映画)のに対し、ボンドが最終的に彼女のその要求を呑んだからこそ、2人は結婚した、と解される以上、そんなボンドが、二度と工作員なんぞに復帰するはずがないのです。
 つまり、ボンド・シリーズの製作会社の皮算用に反し、今回の映画は、脚本陣、監督、そして主演俳優までもが、阿吽の呼吸でもって結託することによって、ボンド・シリーズの最終回に仕立て上げてしまったところの、ボンド・シリーズの最高傑作なのであって、仮に、ボンドなる英国の工作員が登場する映画が今後登場するとしても、それは、ボンド・シリーズの名前を借りた、全く似て非なるものである、と私は訴えたいのです。

 (4)エピローグ

 「<今回の映画では、>オーストリア・アルプスとタンジールが舞台となっているが、『リビング・デイライツ』でも舞台となった。」(C)というのですが、ボンド・シリーズで過去に舞台となった場所が数多ある中で、どうして、今回、この2か所を選んだのかにも、深い訳がある、と思いたいところです。
 まず、アルプスについては、それを登山とスキーの聖地に仕立て上げたのは英国でであった(コラム#61)という因縁がありますし、タンジールについては、「17世紀後半、ポルトガル王女カタリナとイングランド王チャールズ2世の結婚による持参金代わりに一時的にイギリス領になったが、その後モロッコのイスラーム王朝によって征服された<という歴史に加えて、>・・・1911年のアガディール事件(第二次モロッコ事件)を経て、・・・タンジ<−ル>は・・・1956年<まで、英国を含む3か国、のちには9か国による>・・・国際管理地域とされた。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%82%B8%E3%82%A7
という因縁があります。
 また、メキシコシティについては、英国が、恐らくは、米独立戦争及び1812年の米英戦争を戦った米国を南部から牽制するためでしょうが、地理的意味での欧州諸国中、真っ先に1821年にスペインから独立したメキシコを承認した
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%81%AE%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E9%96%A2%E4%BF%82
こと、かつまた、米国が、対英予防戦争的に1846〜48年の米墨戦争を起こし、その領土の3分の1をぶんどった
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B1%B3%E5%A2%A8%E6%88%A6%E4%BA%89
こと、が念頭にあったと言えなくもないと思います。
 また、東京については、英国が、日本とかつて日英同盟を結んでいたこと、その日本は、「米英戦争・・・の時に<英国から>受けた攻撃以降、太平洋戦争まで、<米>本土は他国の正規軍からの攻撃に曝されることはなかった。・・・、1942年(昭和17年)2月24日、大日本帝国海軍伊号第一七潜水艦による、カリフォルニア州サンタバーバラのエルウッド石油製油所に対する砲撃(<米>本土砲撃)だった。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B1%B3%E8%8B%B1%E6%88%A6%E4%BA%89
ことが念頭にあった、と思いたいところです。
 (それどころか、米英加豪ニュージーランドからなるエシュロン(典拠省略)に、旧植民地の南ア等と並んで日本も加入させるべきだ、とこの映画の製作陣は訴えている、という見方さえできます。その場合、残りの2か国はどこなのでしょうね。インドとナイジェリアかな。)
 メキシコシティと東京については、牽強付会もいいところだと思われたかもしれませんが、この映画の、隠されてはいるけれど、最大のテーマが、英国の偉大な過去に対するオマージュであるとすれば、オーストリア・アルプスとタンジールは、まさに、英国の偉大な過去を象徴する場所としてぴったりである以上、メキシコシティと東京だって、同じことだ、と考えてしかるべきではないでしょうか。

(完)