太田述正コラム#8118(2015.12.27)
<2015.12.26東京オフ会次第(その2)>(2016.4.12公開)

4 質疑応答(補遺)

A:記念「講演」関連だが、太田さんは、敵は黒船云々ではなく、ロシアだった、と言っているわけだな。
O:そうだ。吉田松陰が米国船に乗り込んで渡米しようとしたのは、米国の最新の文物等を身に着けて持ち帰り、それらを対ロシア抑止のために用いようと思ったからだ。
 実は、米国の方がロシアよりもより大きな潜在的脅威だったのであり、ずっと後にその潜在的脅威が顕在化して日本はひどい目に遭うわけだが、だからといって、吉田ら、幕末・維新期の日本の先覚者達を、それに気づかなかったとして責めるのは酷というものだ。
A:士族反乱には武士の特権剥奪に対する憤懣もあずかっていたのではないのか。
O:それはそうなのだが、まず、武士とは何であったか、を振り返らなければならない。
 本来、行政は貴族が行い、武士は軍事に携わったわけだが、泰平の江戸時代には、武士は行政官になってしまった。
 しかし、武士は、それはあくまでも仮の姿であって、自分達の本分が軍事にあることを忘れたことは決してなかった。
 だから、みんな剣道だけじゃなく、軍学だって身に着けようとした。
 要するに、彼らは安全保障のプロだった、いや、それが言い過ぎだとすれば、プロたらんと心掛けていた、とは言えるだろう。
 で、士族反乱というのは、政府、すなわち反征韓論派が徴兵制軍隊が整備されるまでの間は対露抑止は先延ばしすべきだと主張したのに対し、野に下っていた征韓論派は、安全保障のプロの武士達を活用して対露抑止に即時着手すべきだと主張したのだが、埒が明かないので、彼らが、業を煮やして武力蜂起をした、ということなのだ。
E:朝鮮出兵について、太田さんは、対スペイン抑止目的だったと主張しているが・・。
O:そうだ。朝鮮出兵(慶長・文禄の役)のウィキペディアには、秀吉の出兵目的について、実に、11も説が列挙されており、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%87%E7%A6%84%E3%83%BB%E6%85%B6%E9%95%B7%E3%81%AE%E5%BD%B9
どれが有力説であるかすら書かれてない。
 しかも、私の説ないしそれに似た説は、その中に登場しない。
 しかし、西郷や江藤が明治維新を境に急に耄碌するはずがないのと同様、秀吉だって、天下人になったから、或いは、子供が生まれたから、といって、急に耄碌するはずがない、と思わないか。
 藩の伝統ないし方針を受けて「見識」を磨き、藩に庇護されつつ維新にあたってリーダーシップを発揮した西郷や江藤らとは違って、秀吉は、徒手空拳で日本の最高権力者に成り上がった人物であり、時代は違うけれど、その状況判断能力は、西郷や江藤より更に高かったはずだ。
 西郷や江藤は、対露抑止目的で維新や士族反乱を行ったところ、私は、秀吉のキリシタン対策等を踏まえれば、対スペイン抑止目的で、彼が朝鮮出兵をした、というのが、最も素直な説だと思っている。
F:二・二六事件における満州ファクターを重視する見解は、これまでもないわけではなかった。
O:しかし、それはごく少数にとどまってきたように思う。
G:人間主義とは一言で言うと何なのか。
O:個人がまずあって、複数の個人達が、特定の思想や特定のルールに基づいて組織や社会を作る、というアングロサクソン由来の世界標準たる考え方とは異なり、人間関係の網の目の結節点として人が存在していて、組織や社会の形成・維持に関して思想やルールが必要とされない、と考えるのが人間主義だ。
H:どうして太田さんは突然死のことを考えているのか。
O:人間はいつか死ぬわけだが、いつ死ぬかは誰も分からないから、突然死することも考えておかなければならない。
 それに、私の場合、そのイスラム教廃絶論一つとっても、私が売れていないからいいようなものの、売れてきたら、イスラム過激派によって直ちに暗殺対象とされかねないのであって、そう考えただけでも、私が突然死の場合のことを、予め考えておくのは当然だろう。

(完)