太田述正コラム#8080(2015.12.8)
<西沢淳男『代官の日常生活』を読む(その12)>(2016.3.24公開)

 「多くの場合・・・物価上昇などの要因もあり、緊縮予算を組んでもなおかつ赤字財政を余儀なくされているわけであるが、うまく公金貸し付け業務を得られた代官は、付け届けもあり、その運用いかんによっては多額の事務手数料を得ることができた。
 なかには、拝領屋敷の地貸しや相対替え<(注54)>によって資金を得たり、土地売買や町屋経営による利益を得る代官もいた。

 (注54)「江戸<で言えば、>・・・大名屋敷や武家屋敷屋敷<も>『拝領屋敷』(はいりょうやしき)<であ>って、所有権は公儀(こうぎ)つまり幕府がもっています。大名たちは、あの土地を使用する権利を持っているにすぎません。したがって、幕府から罰を受けたり、役職が替わったならば、即座に退去しなければなりません<でした>。
 <但し、>お互いが納得すれば宅地、建物を交換することは可能でした。当時のことばでは、それを『相対替え』(あいたいがえ)といいました。当然ながら、周辺環境、屋敷の広さ、古さ新しさがありますから、無償での交換とはいきません。条件が悪い側が、ある程度の金額を支払いました。その額の相場は状況によって違っていました。」
http://education.mag2.com/osusume/2008/11/185.html

 一方、適法であるか否かは別として、無尽<(注55)>を主催して徳益を得る代官もいたのである。・・・

 (注55)「一定の口数と給付金額とを定めて,定期に掛け金を払い込ませ,1口ごとに抽選,入札その他の方法により,掛け金者に対し金銭以外の財産の給付をなすべきことを約する行為。」
https://kotobank.jp/word/%E7%84%A1%E5%B0%BD-140498

 代官の日常生活を見て・・・共通することは、検見廻村のような特別な出張時をのぞいて仕事に追われている様子は見出せないことである。
 ・・・諸方との書通のやりとり、来客や訪問の多さ<が見て取れるが、>基本的には優秀な下僚を抱えていれば、作成された膨大な諸帳面・諸書類を決裁・押印することが仕事となる。
 とすれば、特に江戸時代後期以降についてキャリア技官・スペシャリストとしての能力よりもキャリア事務官・ジェネラリストとしての能力が代官に求められ、御用という事務をそつなくこなし、日々人脈を広げていった者が出世していったということができるのではないだろうか。」(231〜232)

 「手代の給金は、幕臣ではないので幕府から給されるわけではなく、代官の職務執行費として認められていた口米<(注56)>・口永<(注57)>という本年貢・小物成<(注58)>の3パーセントに当たる付加税のなかから適宜支給されていた。

 (注56)「江戸時代、米納の本租である年貢米のほかに加徴された税米。年貢の減損などを補うためのもの。」
https://kotobank.jp/word/%E5%8F%A3%E7%B1%B3-484198
 (注57)「江戸時代、金納の貢租に付加された税。本租100文に対して3文を定率とし、銀で納めるものを口銀(くちぎん)、銭で納めるものを口銭(くちせん)といった。」
https://kotobank.jp/word/%E5%8F%A3%E6%B0%B8-484009#E3.83.87.E3.82.B8.E3.82.BF.E3.83.AB.E5.A4.A7.E8.BE.9E.E6.B3.89
 (注58)「江戸時代の雑税の総称で,小年貢ともいう。・・・土地に課せられた本途物成 (ほんとものなり) あるいは本年貢に対して小物成があり,前者はそのほとんどが米で支払われていたが,後者は (1) 山林,原野,用水などの用益またはその産物を対象としたものや,(2) 問屋,市場,製造業などの営業収益を対象としたものがあり,種類,税率,課税方法は地方によりさまざまであった。」
https://kotobank.jp/word/%E5%B0%8F%E7%89%A9%E6%88%90-66307

 この付加税を代官の役所運営費として支給する方法は、制度的な欠点から、1725(享保10)年幕府から代官支配高に応じた運営費を予算化して支給する方法にあらためられた・・・。
 手代をはじめとする下僚へは、本給以外にもさまざまな手当てが支給されていた。・・・
 住居手当、引っ越し手当て、出張日当、出張旅費、特殊任務手当、副食代、文具代、光熱費、さらに年貢関係書類作成期のように御用が多く残業した外宅通勤者には夜食代などがあり、他に御用始めに饗される酒・吸い物・肴代、歳暮祝儀、正月飾餅、さらに新規の召し抱えの際には扇箱や引っ越しなど出立の際にも贈り物があ<った>・・・。
 これらの制度は、場合によっては現代の官僚以上のものかもしれない。・・・
 手代は世襲化していくものは・・・少なく、村や奉公先からの欠落・出奔等の逸脱層や酒や博打で身を持ち崩した者、山師体の者などが江戸へ出て、手代仲間の伝(つて)で代官の侍(年季奉公の家来)か書役<(注59)>の手伝いをしながらついには過去を隠し書役・手代へ潜り込む者が多<く、>しかも借金返済のために手代になるよう心掛ける<者もいた。>・・・

 (注59)「文書の草案を作ったり,記録・書写したりする役職。書記。」
http://www.weblio.jp/content/%E6%9B%B8%E5%BD%B9

 手代は<本給は(?太田)>薄給のうえに保証のない不安定な身分から、自分が現役で働けるうちに家族のため後々のために不正金銀を蓄えようとする傾向があ<った。>」(235〜238、243、245)

⇒代官の役所の下僚の処遇は悪くなかったけれど、それが故に、いかがわしい人々が手代等を目指し、手代等になってから不正蓄財に励む者も少なからずいた、といったところでしょうか。
 手代等は、全くの情実だけで採用され、身分も不安定であったわけですから、無理もありません。
 一般論として申し上げれば、売り上げ、利益等の業績を踏まえた人事管理が基本的に馴染まない役人業においては、採用時から、キャリア事務官、キャリア技官、ノンキャリア等の身分区分に応じた人事管理を行わざるをえないところ、大部分が生涯下積みであるところの、ノンキャリアの処遇や人事管理は容易ではない、ということでしょう。
 現代においても、厚労省の「身なりから言動、仕事までなにもかもが“規格外”のアウトロー」のノンキャリアが、収賄事件で世間を騒がせた
http://www.sankei.com/premium/news/151023/prm1510230006-n1.html
ことは、記憶に新しいところです。(太田)

(続く)