太田述正コラム#8046(2015.11.21)
<鄭大均編『日韓併合期ベストエッセイ集』を読む(その7)>(2016.3.7公開)

 「<私、金素雲が>初めて・・・北原白秋<(注8)(コラム#5002、7485、7627)>・・・先生に対面した時、彼の口から発せられた最初の言葉が、・・・「朝鮮民謡集」の草稿<に目を通させてもらったが、>・・・「こんな素晴らしい詩心が朝鮮にあったとはねえ!」という感嘆の一言だった。

 (注8)1885〜1942年。早稲田大学英文科卒(?)「詩、童謡、短歌以外にも、新民謡(「松島音頭」・「ちゃっきり節」等)の分野にも傑作を残している。・・・
 1921年・・・佐藤菊子(国柱会会員、田中智學のもとで仕事)と<3度目の>結婚。・・・
 1924年・・・1月5日、田中智學の招きで両親、妻菊子、長男隆太郎らとともに静岡県三保の田中智學の最勝閣へ旅行、龍華寺、羽衣の松などを観光、長歌1首、短歌173首を作る。・・・
 1935年・・・大阪毎日新聞の委託により朝鮮旅行・・・
 1938年・・・にはヒトラーユーゲントの来日に際し「万歳ヒットラー・ユーゲント」を作詞するなど、国家主義への傾倒が激しくなった」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E5%8E%9F%E7%99%BD%E7%A7%8B

 夜遅く訪ねて行った--、そのうえ病床にある人を強いて面会しようとした無礼な訪問者に、先生は不快な気配を少しも見せず、長いこと待っていた知己にでも対するように暖く、讃め言葉と激励とを推しまなかった。・・・
 私を日本詩壇に紹介する集まりを持とうという話が、改造社と白秋先生の間にあったようだ。
 神田にある名月館という朝鮮料理屋を会場に決めて、招待状まで発送した2、3日後に、私は何の原因からか異議をとなえて改造社と衝突してしまった。
 すでに組版の終わった『朝鮮民謡集』を、印刷所へまで出掛けて行って、私の手で壊すことまでした。・・・
 今日の集まりは白秋先生の名前で招待したものだが、費用は私の本を出版する改造社が支払うことになっていたはずだ。
 その改造社と決裂したのでは、一体どこから費用が出るものか--?
 <これが、>頭を離れない気がかり<であった。>・・・
 私の口からは改造社と衝突した話を打明けることができなかったが、先生はすでにご存じだったようだ。
 白秋先生のポケットから・・・300円<が出された。>・・・
 <その>一月あまり後に、私はたまたま藤田健次という民謡詩人に行き逢った。・・・
 <彼は、>友人<の朝日新聞の学芸部の記者>から送ってきた・・・手紙・・・のうち何行かを<私に>読んできかせた。・・・
 「--幾日か前、北原白秋が頼んでもいない短歌30首を送ってきて、有無を言わさず稿料300円を支払わされたが、白秋もこんなになるとは行商人と変りない…」・・・
 私は・・・脇腹に匕首を突き立てられたようなショックを感じた。・・・
 どんな社会のどんな人物にも敵というものがある。
 不世出の大詩人北原白秋にも彼を嫉視し中傷する、粟粒のような群小の敵がいることは別に驚くべきことではない。
 けれども私のために先生の本音でない〈原稿の持ち込み〉をしたとなれば--、それによってこんなけちな輩の口にのぼるような種をつくったとすれば、これは一生かかっても償えない大きな負債を負ったとしか言いようがない。」(244、246〜251・金素雲)

⇒金素雲は、性狷介なる人物です。
 非人間主義者とは言えないまでも、せいぜい出来損ないの人間主義者といったところでしょうか。
 最初に紹介した挿話では、わざわざ朝鮮服で電車に乗り込み、タチの悪い日本人達の反発を買ったわけです。
 当時の日本は、「大正時代にサラリーマン層が成立すると、公の場では少なくとも男性は洋装をしネクタイを着用するのが当たり前となった。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B4%8B%E6%9C%8D
というのに・・。
 今度紹介した挿話では、大恩人の北原白秋に多大な迷惑をかけることを承知の上で改造社に難癖をつけて同社に損害を負わせたのですから、ひどい話です。
 そもそも、金の最初の北原との出会いが、押し売りのような形でなされたときています。
 さすがの金も恐れ入っていますが、北原は・・いくら金の才能を買っていたらしいとはいえ・・何たる人間主義のカガミなのでしょうか。
 北原の朝鮮の関わりを見る限り、彼が朝鮮ないし朝鮮人に対して特別の思い入れがあったとは考えにくいにもかかわらず・・。
 その北原が田中智學(田中智学。コラム#50、7625、7772、7989、8030)と因縁少なからぬ間柄であったとは知りませんでしたが、そんなところからも、北原の人間主義が相当性根のすわったものであったことが想像できる、というものです。(太田)

(続く)