太田述正コラム#8032(2015.11.14)
<小林敏明『廣松渉--近代の超克』を読む(その11)>(2016.2.29公開)

 「・・・廣松がたびたび共感をもって三木清との対談に出てくる西田幾多郎の次のような言葉を引用しているのは示唆的である。

 ・・・今日の日本の軍隊が強いのも、信玄や楠正成の兵法から出たのでなく、西洋の兵法で勉強したお蔭だらう。学問だけはそれがいかんと云っては困る。軍人が西洋式を採ったやうに、学問も西洋流にやることだ。そしてそれを突き抜けることだ。・・・」(171)

⇒西田にも、当時の日本人の御多分に洩れず、アングロサクソンと欧州とを区分する発想も、軍事についての素養もないことから頓珍漢なことを言っているのであり、そんな西田の言に「共感」していた廣松にも困ったものです。
 まず、兵法(兵学)は、学問というよりは、極端に単純化して言えば、取り扱いに熟練を要する武器のマニュアルのようなものであり、性能が高く熟練するのに容易な武器(とそのマニュアル)なら、「西洋」非「西洋」を問わず、どこのものであれ、調達すべきでしょう。
 次に、学問ですが、日本にだって、和算に象徴されるところの、ギリシャに発する演繹的学問はあったわけで、欠けていた、イギリス(アングロサクソン)に発する帰納的学問を継受する必要があった、ということでしょう。(太田)

 「・・・廣松が亡くなる直前の、朝日新聞に発表し・・・<た>「東北アジアが歴史の主役に」と題された記事で、・・・以下のよう<に言う。>・・・

 新しい世界観や価値観は結局のところアジアから生まれ、それが世界を席巻することになろう。日本の哲学屋としてこのことは断言してもよいと思う。・・・
 単純にアジアの時代だと言うのではない。全世界が一体化している。しかし、歴史には主役もいれば脇役もいる。将来はいざ知らず、近い未来には、東北アジアが主役をつとめざるをえないのではないか。・・・
 日中を軸とした東亜の新体制を! それを前梯にした世界の新秩序を! これが今では、日本資本主義そのものの抜本的な問い直しを含むかたちで、反体制左翼のスローガンになってもよい時期であろう。・・・

 ・・・中国への期待が強いの<は>、そこでは少なくともまだ自分の一生の信条としたマルクス主義が生き残っているからである。・・・」(174〜175)

⇒以前に(コラム#7650で)この引用されたくだりの一部を紹介済みですが、その折にも記したように、私の最近の主張ないし指摘と全く同じことを廣松が「遺言」したように見えます。
 これが表見的な類似だった、という可能性も完全には排除できませんが・・。
 さしあたりは、私は、結果としてですが、廣松の衣鉢を継いだ、という自恃の念をもって、(そのためには日本の米国からの「独立」が大前提として不可欠だと考えていますが、)生ある限り、人間主義の世界への普及に努めたい、と考えています。(太田)

3 終わりに代えて

 私は、東大教養の時のクラス(46L I II 16D=昭和46年入学の文1及び文2の16D組)の5〜6名の、年一回程度の忘年会ないし新年会に卒業後ずっと出てきたところ、今年、初めて、私以外は構成員がダブっていない、20名を超える、同じクラスの年一回程度の某宴会ないし新年会にも、誘いがあったので出席することになりました。
 前者の会の構成員は、私を含め、東大紛争時のスト反対派だけであるのに対し、後者の会は、スト賛成派の方が多いこともあり、このところ、久しぶりに紛争の頃のことを回顧しています。
 当時、ストを主導した全共闘や、スト粉砕の先頭に立った・・その中には、他クラスだが同期の舛添要一のような右派のグループもいたけれど、・・日本共産党の下部組織である民青が、マルクス主義に染まっていて、どちらもファナティックであったために、私は、すっかりマルクス主義嫌いになるとともに、マルクスに対して偏見を持ってしまい、大学1〜2年の間に、マルクスの、文庫本で出ていた著作全てを(ご存知のような事情で途中で投げ出してしまった『資本論』を除き)読破し、エンゲルスやレーニンの主要著作も読んだというのに、マルクスが人間主義者である的なマルクスに対する好意的な見方・・当時、既に和辻哲郎の『人間の学としての倫理学』を読んではいたわけですが・・など全くできませんでした。
 そして、卒業してからも、マルクス主義を国是とする、ソ連、中共、北朝鮮を潜在敵国とする防衛庁に奉職したことから、私は、比較的最近に至るまで、マルクスや毛沢東に対する偏見をそのまま引きずってきていました。
 (また、廣松についても、マルクス主義者だというだけで、その著作を読もうとしてきませんでした。)
 こういうわけで、随分時間がかかってしまったけれど、ようやく、最近、この偏見から解放され、毛沢東、ひいては中共について、正しい理解に到達できたな、という感慨に耽っている次第です。
 なお、紛争の時は、上記クラスが主として法学部と経済学部に分かれて進学する前であったところ、紛争中に、法学部の教官室の入っている建物が全共闘に占拠され、内部にあった、とりわけ、近代主義者たる丸山真男と川島武宜の部屋がひどく荒らされ、彼らに大きな心理的打撃を与えたのは、こんなことを言ったら叱られそうですが、ストに関する全共闘の唯一の功績だったと言えるのかも、という気が最近し始めており、苦笑することしきりです。
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[買って損した本]

 丸善で買ってきた文庫本の2冊目の、三浦佑之『平城京の家族たち--ゆらぐ親子の絆』は、先ほど、少し読み進めたのだが、残念ながら、使えない、と判断した。
 「8世紀以前の<日本の>社会<は、>・・・「核家族」<から成っていたことを>・・・古代の神話や説話や歌から見出せ<た。すなわち、>・・・「妻問い婚」の実態がいかなるものかは措くとして、必ずしも、男が通ってゆくのが古代の結婚システムではないということ<が>確認<できた。>」(9、12〜13、20)と書いてあったので、古代においてのみならず、日本では妻問い婚が基調であった、という通説に立脚して論じてきたところの、最近の私の、日本の女性優位社会論の根底を覆す説があったのだ、と吃驚したのだが、三浦のこの自説の説明ぶりは極めて分かりづらく、しかもその一方で、彼は、当時、「母の財産が娘に譲られ<た>」(68)ことを当然視しており、古代も女性優位(母系)社会であることを事実上認めているかのようでもあって、訳が分からないからだ。
 (もっとも、彼は、譲られる財産は、「相当高価なものであり、妻にとっては唯一の財産だった」(68)、そもそも、財産が譲られたのは、「<貴族のような>高貴な母をもつ<場合だけだった。>」(68)としているが、根拠らしい根拠を提示していない。)
 ちなみに、三浦(1946年〜)は、「三重県美杉村(現津市)出身。三重県立津高等学校、成城大学文芸学部卒業、同大学院博士課程単位取得退学。共立女子短期大学、千葉大学教授を経て立正大学教授。2013年4月より立正大学大学院文学研究科長。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E6%B5%A6%E4%BD%91%E4%B9%8B
という人物だ。
 三浦以外で、日本の古代が女性優位(母系)社会であったことに疑問を投げかけていたり、否定したりする人がいて、それなりに説得力ある議論を展開している例があったら、ぜひご教示願いたい。
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(完)