太田述正コラム#8008(2015.11.2)
<米海兵隊について(その12)>(2016.2.17公開)

 オコンネルは、海兵隊の例外的性格<なるもの>に固執するのではなく、全ての軍種において喧伝されている諸伝説と伝承の文脈の中にそれを位置付けた方が良かったのだ。
 海兵隊は、米軍の全ての諸部門同様、軍事予算のより大きな割合の獲得を目指して、その競争相手達に対して切り札を出して勝とうとしてきた。
 海兵隊は、「自分が最良である以上、謙虚であることは容易ではない」、という観念の中に表現されたイメージを醸成してきたかもしれないが、同隊は、<あくまでも、>司令官以下、それが誰であろうと、国家の諸敵と戦うチームプレヤーであり続けてきたのだ。
 今日の海兵隊は、一般目的の戦争と同時に、諸叛乱や諸小戦争のためにも訓練をしている。
 彼らは、核戦争のためと同時に水陸両用諸強襲(raids)のための計画を行い、重火器を含む、最良のテクノロジー、と、より優れた諸戦闘機を懇願してきた。
 全軍種とも、同じことを行ってきたのだ。
 アーロン・オコンネルは、米海兵隊についての諸ステレオタイプを徹底的に調べ、それらの真正性を評価する、という長く放置されてきた営みを成し遂げはした。
 <その>彼が、極めてしばしば、海兵隊の生活に関するより極端な諸神話を永久なものとし、たった一つの範例(template)が個々の海兵隊員全員にあてはまることを示唆したのにはがっかりだ。
 彼は、例えば、将官達の間のものを含む、兵卒(ranks)の中の諸徒党、における、軋轢の諸源泉、或いは、とりわけ空地(air-ground)チームの中におけるところの、種々の特別諸紐帯や諸部隊、の内部的諍い(strife)、を認めない。
 この本では、これらや他の多くの諸問題(issues)が取り扱われておらず、<海兵隊という、>一つの複雑な組織について、読者達に、不完全かつ単純過ぎる絵柄を与えただけなのだ。・・・」(G)

3 終わりに

 たまたま、先の大戦の時に太平洋戦域では島嶼戦が中心となり、上陸作戦を専門とすることがウリであった米海兵隊が、実際のパフォーマンスはともあれ、大活躍した、というイメージ作りに成功し、戦後における、このイメージの組織をあげてのマーケティングの奏功もあって、ついには、米国において、海兵隊が陸海空軍と対等な4番目の軍種としての地位を獲得する、という破天荒かつ異常な結果が招来された、というわけです。
 皮肉を交えて申し上げますが、私見では、この海兵隊が最も大きな「役割」を果たしたのは、米ソの第二次冷戦期です。
 米国が、NATO正面でのソ連の軍事攻撃に対して、まずは極東で反撃する、という戦略を打ち出したことで、ソ連は、千島列島やサハリンへの米地上部隊の侵攻を想定させられ、当然、その侵攻部隊の中核になるはずの米海兵隊・・あくまでその虚像ですが・・に対して恐れ戦いた、と想像されるからです。
 (千島列島とサハリンを奪取すれば、シベリア鉄道、及び、ソ連極東地域の空軍基地の撃滅と相俟って、オホーツク海はソ連の第二撃核戦力(大陸間弾道弾搭載原潜)の聖域ではなくなるとともに、ソ連は、極東地域への米軍の侵攻に抗う術がなくなってしまいます。)
 ソ連の冷戦における敗北をもたらしたものは、第一にNATO正面に配備された米国の戦域核ミサイルであり、第二には、極東所在、及び、極東増援、の米海兵隊(の虚像)であった可能性が高い、と言えないこともない、というわけです。
 しかし、冷戦は、加速化する時の流れに照らせば、既に大昔のことであり、今や、海兵隊の存在意義、とりわけ、想像上の虚像ではなく、実戦闘上の実存在意義は皆無であると言っても過言ではありません。
 先の大戦後、廃止させられてしかるべきであった米海兵隊の息の根を、今こそ止めなければならないのです。
 それが、オバマにさえできなかったのですから、米国に代わって日本がやるしかありません。
 それは、日本の「独立」のための次の避けて通れないステップであるとともに、もうお分かりだと思いますが、米国のためでもあるのです。
 沖縄における普天間の辺野古移転阻止闘争は、かかる見地から、その意義は極めつきに大きいのです。

(完)