太田述正コラム#7968(2015.10.13)
<キリスト教の天使と悪魔(その5)>(2016.1.28公開)

 もう一つの違いは、療法士達(therapists)は天使達の善性と無辜を強調する傾向があるけれど、古代の諸宗教は、全て、純粋理性(pure reason)が天使達の、他の全てに優先する属性(overriding quality)であること、に合意しているところにある。
 理性と欲望との間、天国的諸衝動と地上的諸衝動との間、で引き裂かれている人間とは異なり、天使達が地上的諸特徴(characteristics)を全く有していないことについては一般的なコンセンサスが存在する<、というわけだ>。
 それこそ、彼らが、人間達よりも高く格付けられているゆえんなのだ。
 彼らは、純粋知(pure intellect)なのだ。
 そして、彼らを定義する諸試みの全てを通じて、「理性(reason)」と「知性(intelligence)」という二つの言葉がどれほどよく<我々の>耳に入ってくるかを銘記しておいて損はない。
 例えば、トマス・アクィナスは、「宇宙の完全性(perfection)は知的諸被造物(creatures)の存在を必要とする。その知性は、肉体(body)ないしはいかなる形而下の機能(corporeal faculty)であれ、その活動であるはずがない。なぜなら、全ての肉体は「ここ」かつ「今」に制約されているからだ。よって、宇宙の完全性は非形而下的被造物の存在を必要とする」、と主張した。
 マイモーンもまた、天使達を非形而下的諸知性と描写したし、フィッチーノは、人が全ての肉体的(bodily)諸感覚と諸気持ちとを投げ捨てて純粋精神(pure mind)に自分自身を委ねるならば、天使の地位(status)を志望することは可能だ、と考えた。
 この見解は、クスローにおいても反響(echo)されている。
 彼は、一人ひとりの個人が潜在的な天使であるところの合理的な魂(soul)を持っている、と信じた。
 人は、この魂が、自分の諸感情(tempers)と諸性欲(sensual appetite)とに打ち克たせることで、天使になるのだ、と。
 そして、神の存在に疑問を呈した、「サドカイ派(Sadducees)<(注30)(コラム#5852、6479)>、及び、自由思想家達(Free Thinkers)<(注31)>」に対して神学者達が怒り狂ったところの、啓蒙主義の時代の間においてさえ、天使達が理性の先触れ(heralds)であることについては、一般的合意が存在していたのだ。

 (注30)「第二神殿時代の後期(紀元前2世紀)に現れ、ユダヤ戦争に伴う・・・ローマ軍によるエルサレム神殿の破壊(70年)と共に、よるべき場所を失い、消滅した<ところの、>・・・神殿に拠って権力者たちと結託していた祭司のグループであったと考え<られている>・・・ユダヤ教の一派。・・・「サドカイ人」と表記されることもある。・・・霊魂の不滅や死者の復活、天使の存在を否定し<ていた。>・・・<その後、>ライバルであったファリサイ派がユダヤ教の主流となっていくことになった。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%89%E3%82%AB%E3%82%A4%E6%B4%BE
 (注31)「自由思想家は<、>事実、科学的探求、理論に基づくべきであ<るとし>、いかなる事実的/論理的誤謬、権威の影響、認知バイアス、常識、大衆文化、偏見、党派主義、伝統、都市伝説、あらゆる種類のドグマ<、>から独立して信条を構築するよう努める。宗教に適用されれば、自由思想家は<、>通常、既知の事実、確立した科学理論に比べて宗教的な教義や超自然現象はそれを支持する不十分な証拠しかないと考えた。19世紀のイギリスの数学者ウィリアム・キングドン・クリフォード[(William Kingdon Clifford。1845〜79年)]は「クリフォードのクレド」によって自由思想の前提を上手く表現した。何であれ不十分な証拠で信じるのは、常に、至る所で、誰にとっても間違いである<、と>。 」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E7%94%B1%E6%80%9D%E6%83%B3
 クリフォードは、ロンドン大キングスカレッジ及びケンブリッジ大で学び、ロンドン大ユニヴァーシティカレッジ教授という経歴。哲学者でもある。
https://en.wikipedia.org/wiki/William_Kingdon_Clifford ([]内も)

 <例えば、>英王立協会内のミルトン(Milton)の同時代者達は、天使達を諸思考実験に用いたものだ。
 <また、>ジョン・ロック(John Locke)<(コラム#90、91、503、517、519、592、812、883、1008、1254、1364、1787、2281、3148、3702、3714、3718、3896、4066、4385、4489、4745、4852、4864、6618、6885、7061、7072、7082、7084、7228、7493、7558、7564)>は、その『人間悟性論(Essay on Human Understanding)』の中で、繰り返し、自然哲学の実践を通して熟考されるべきところの、精神世界(spiritual world)の一部という形での<天使達への>言及・・「中身がない推論的真実(bare speculative truth)、及び、それが神自身であれ、天使達であれ、精霊達であれ、肉体達(bodies)であれ、或いは、彼らの諸性向(affections)であれ、この分野(branch)に属するところの、人の心によぎることができるありとあらゆるもの(whatsoever can afford the mind of man any such)」の探索・・を行っている。
 <その>彼の諸見解は、19世紀の神学者のヘンリー・ラッサム(Henry Latham)<(注32)>に反響されている。

 (注32)米国の19世紀の著述家。
https://en.wikipedia.org/wiki/Henry_J._Latham_(writer)

 彼は、論文『天使達の奉仕(Service of Angels)』の中で、天国を心に描く有益な方法は、「我々の心における(mental)、かつ、独特的な、諸能力(faculties)の行使の継続として」心に描くことだ、と示唆している。・・・」(C)

⇒いい加減、げんなりしてきておられることでしょうが、後2回ほどで本シリーズもおしまいなので、後しばらくのご辛抱です。(太田)

(続く)