太田述正コラム#7950(2015.10.4)
<科学の発明(その6)>(2016.1.19公開)

 「・・・複式簿記や透視図を教えることは、ガリレオのような数学者達にとってはいい稼ぎになったことは確かだ。
 透視図の発展は、とりわけ、レオナルド・ダ・ヴィンチ(Leonardo da Vinci)<(注24)(コラム#806)>やアンドレアス・ヴェサリウスの仕事におけるように、人間の解剖図の正確な表示への新たな関心へと導いた。

 (注24)1452〜1519年。「イタリアのルネサンス期を代表する芸術家・・・絵画、彫刻、建築、音楽、科学、数学、工学、発明、解剖学、地学、地誌学、植物学など様々な分野に顕著な業績を残し、「万能人 (uomo universale)」 という異名などで親しまれている。・・・
 レオナルドは200枚以上の紙にドローイングを描き、それらの多くに解剖学に関する覚書を記している。・・・」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%82%AA%E3%83%8A%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%80%E3%83%BB%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%83%81

 透視の知識は視差(parallax)<(注25)>の理解へと導き、それが今度は、ブラーエが1572年に最初に見たところの、新しい星、新星(nova)<(注26)>の宇宙における位置を理解する鍵となった。

 (注25)「視差は、二地点での観測地点の位置の違いにより、対象点が見える方向が異なること、または、その角度差・・・視差を使えば、三角測量の原理で、対象点との距離を測定できる。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A6%96%E5%B7%AE
 (注26)「新星は、・・・恒星(白色矮星)の表面に一時的に強い爆発が起こり、それまでの光度の数百倍から数百万倍も増光する現象を言う。・・・
 新星爆発を起こす星は、白色矮星と通常の恒星(主系列星)の連星で、特に双方の距離が小さい近接連星である。・・・恒星の中心部の核融合反応は巧みに調整され、安定してエネルギーを放出し続けるが、白色矮星は縮退した物質でできているため、このような調整が利かない。主系列星から降り注いだ水素が表面で核融合を始めても白色矮星はそのエネルギーを吸収して膨張したり密度を下げたりできないため、核融合反応は急激に進行、つまり暴走し、白色矮星の表面全体が爆発して新星として観測される。爆発後は水素や、核反応で生じたヘリウム・炭素・酸素等のガスを宇宙空間に放出して核反応は終息し、光度は下がってもとの暗い連星系に戻る。・・・
 1572年、ティコ・ブラーエがSN 1572を発見し、ラテン語で de stella nova (新しい星について)という本を出版した。これが新星 (nova) という語の始まりである。新星そのものは以前から知られていたが、中世からルネサンス期にかけての西洋世界では、キリスト教とそれに基づく世界観が絶対視されており、神の創造した宇宙は永遠に不変であると考えられていた。従って新星や彗星のように短期間で大きく変化する現象は宇宙空間に属するものではなく、地上から近い大気圏内に生じたものであると解釈されていた。ティコはこの本の中で、新星を精密に観測[注 1]したが動かなかったため、遠く離れた宇宙空間での現象であると主張した。
 ティコの新星は現在では超新星に分類される。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E6%98%9F
 超新星(supernova)は、「大質量の恒星が、その一生を終えるときに起こす大規模な爆発現象である。・・・
 一つの渦状銀河内での超新星の発生頻度は数十年に1回と考えられる。我々の銀河系も同様のはずであるが、1604年以降発見されていない。銀河中心核をはさんだ反対側に出現したり、地球近傍でも濃い星間雲に隠されたりして見えなかったためと考えられている。系外銀河に出現したものは遠すぎて通常は肉眼では見えないが、1987年、銀河系の伴銀河である大マゼラン雲で超新星SN 1987Aが出現し、肉眼でも見える明るさになって、精密な観測がなされた。その際、発生したニュートリノが日本のニュートリノ観測施設カミオカンデによって検出され、ニュートリノ天文学が進展することとなった。このカミオカンデにおける成果が認められ、小柴昌俊は2002年度、ノーベル物理学賞を受賞している。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%85%E6%96%B0%E6%98%9F

 ウートンが示すように、これらの全ての諸進歩は数学に依存しており、最も重要なことは、これらが個々の数学者達に、世界についての有益な諸声明を発することを可能にし得ると信じることに自信を与えたのだ。
 現代の素粒子物理学は、殆んど全面的に数学的諸方程式に依存しているのであり、ヒッグス粒子への道が始まった所以なのだ。・・・」(B)

 (6)印刷

 「この<本>の全体を通して流れている主題は、コミュニケーション過程における印刷機の重要性だ。
 1600年までには、科学に関連する諸本が、驚異的な速度で生産されるに至っており、広く流通していた。
 ガリレオの個人的書庫には、科学に関するものばかりではなかったが、500を超える諸本が収納されていた。
 『ジュルナル・デ・サバン(学術雑誌=Journal des scavans)』(パリ。1665年1月)<(注27)>や『フィロソフィカル・トランザクションズ(哲学紀要=Philosophical Transactions)』(ロンドン。同年3月)といった最初の科学諸雑誌の出現もまた、記念碑的だった。・・・」(B)

 (注27)世界最初の学術雑誌。後に、Journal des savantsへと改題。
https://en.wikipedia.org/wiki/Journal_des_s%C3%A7avans
 (注28)「現在でも刊行されている最長寿の科学雑誌でもある。フィロソフィカルを名乗るが、現在でいう狭義の哲学を指すわけではなく、古い意味における自然哲学、現在でいう科学を意味している。・・・王立協会 "The Royal Society" が設立されたのは1660年であったが、当初は非公式なものであった。後にチャールズ2世 の勅許を受け1662年に“The Royal Society of London”、翌1663年に“The Royal Society of London for the Improvement of Natural Knowledge”と名称を変更するとともに出版の勅許も受けた。これにより・・・1665年3月6日付で本誌の第1号が発行された。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%AD%E3%82%BD%E3%83%95%E3%82%A3%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B6%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%82%BA

⇒ここも一種の韜晦です。
 『哲学紀要』の日本語ウィキペディア(上掲)にもウートンのそれと同様の記述があるのですが、『哲学紀要』と『学術雑誌』を同列視するのはおかしいのであって、後者には「著名人の死亡記事や法的諸報告書も含まれていた」(同雑誌の英語ウィキペディア前掲)ということと、現在の同誌は人文科学(Humanities)の雑誌だ(同左)というのですから、ウートンがこの本の中で対象としている科学、すなわち自然科学、を対象とする雑誌では当初からなかった、と思われるからです。(太田)

 (7)その他

 「・・・ドゥームズデイ・ブック(Domesday Book)<(注29)(コラム#5009、6951)>の時代には、<既に、>イギリスには、6,000を超える水車群があった。・・・」(B)
 (注29)「<イギリス>を征服したウィリアム1世が行った検地の結果を記録した世界初の土地台帳の通称である。1085年に最初の台帳が作られた。本来、ドゥームズデイ(Doomsday)とは、キリスト教における「最後の審判」のことで、全ての人々の行いを明らかにし罪を決定することから、12世紀ごろからこの台帳をドゥームズデイ・ブックと呼ぶようになった。つづりが変わっているのは、dome が「家」を意味するからであろう。 内容は単に土地の台帳だけでなく、家畜や財産など細かく調査し、課税の基本としたもので当時としては画期的だった。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%82%A5%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%82%BA%E3%83%87%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%83%E3%82%AF

⇒11世紀のイギリスで世界で初めて検地が行われた、との日本語ウィキペディアの記述は、それより数世紀前から、北魏から唐代まで実施された均田法
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9D%87%E7%94%B0%E5%88%B6
やそれを継受した日本の班田収授の法
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8F%AD%E7%94%B0%E5%8F%8E%E6%8E%88%E6%B3%95
の前提として実施された検地を想起しただけでも疑問符が付きますが、それはともかく、水車の話は、改めて、イギリス人の省力化志向と卓越した匠の伝統(それぞれ、コラム#省略)を思い起こさせてくれますね。
 もちろん、この延長線上に産業「革命」ならぬ、熱水(蒸気)による冷水(川の水)の置き換えがあったわけです。(太田)

(完)