太田述正コラム#7946(2015.10.2)
<科学の発明(その5)>(2016.1.17公開)

 (5)数学の活用

 「・・・科学の発明に関わった人々、諸物語、諸事実は沢山存在する。
 通常の対象者達、例えば、ケプラー、ガリレオ、デカルト、ニュートン、そして、ベーコン等の他にも、何ダースもの殆んど知られていない重要人物がいる。
 例えば、イエズス会員たる数学者であり、1622年に、オランダの攻撃からマカオ(Macau)のポルトガル植民地を守るために諸大砲の射角を計算した<(注15)>人物がそうだ。

 (注15)Jeronimo Rhoのことらしいが、名前以上のことは、ネット上の英文資料からは分からなかった。
 なお、ポルトガル側で、ドミニコ派修道僧達(や黒人奴隷達!)も戦っている。
https://en.wikipedia.org/wiki/Battle_of_Macau

⇒カトリック教徒たる聖職者達は、正教徒者たる聖職者達に、いや、イスラム教の教祖ムハンマドや初期カリフ達にさえ、勝るとも劣らず、好戦的であること、また、イスラム教の教祖ムハンマドや初期カリフ達同様奴隷制を当然視していたこと、を改めて認識させてくれますね。(太田)

 どうして本物語において彼は重要なのか?
 それは、彼が、科学の数学化の更なる事例を提供しているからだ。
 透視図 (perspective drawings)<(注16)>、航海術、及び作地図と同様、弾道学は、数学者達に、彼らが、哲学者達よりも世界をよりうまく説明することができるという自信を与えた。

 (注16)「もっとも初期の遠近法は、紀元前5世紀頃の古代ギリシャで舞台美術に使われたものだった。舞台の上に奥行きを与えるために、平面パネルを置いてその上に奥行きのある絵を描いたという。・・・
 線遠近法 (linear perspective)を用いた・・・遠近法で描かれた絵画・・・
 中世以後初めて透視法的表現を用いたのは、13世紀のイタリアの画家チマブーエであった(「荘厳の聖母」)。・・・[イタリアの画家]ジョット[(Giotto di Bondone。1267?〜1337年)]は作品「大祭司カヤファの前のイエス」ではじめて・・・透視図法を利用した。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%A0%E8%BF%91%E6%B3%95
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BB%E3%83%9C%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%BC%E3%83%8D ([]内)
 チマブーエの「荘厳の聖母」
http://www.wga.hu/frames-e.html?/html/c/cimabue/madonna/madonna.html
 ジョットの「大祭司カヤファの前のイエス」
http://www.wga.hu/frames-e.html?/html/g/giotto/padova/old/chris16.html

 やがて、この数学革命は、機械革命へと転じた。
 すなわち、科学は紙の上で行われるだけでなく、ボイル(Boyle)<(注17)(コラム#4342、6338)>の空気ポンプ、ホイヘンス(Huygens)<(注18)>の振り子諸時計・・これらは自然を理解する諸手段を提供したところの、「哲学的諸機会」だった・・を通じて行われるようになったのだ。

 (注17)ロバート・ボイル(Robert Boyle。1627〜1691年)は、アイルランドに派遣されたイギリス人官吏/貴族の子として「アイルランド・・・<で生まれた>貴族、自然哲学者、化学者、物理学者、発明家。神学に関する著書もある。ロンドン王立協会フェロー。
 ボイルの法則で知られている。彼の研究は錬金術の伝統を根幹としているが、近代化学の祖とされることが多い。・・・1659年に・・・空気ポンプを完成させ、一連の空気についての実験を始めた」イートン校卒。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%9C%E3%82%A4%E3%83%AB
 (注18)クリスティアーン・ホイヘンス(Christiaan Huygens。1629〜1695) は、「オランダの数学者、物理学者、天文学者。」ライデン大学卒。「振り子時計を初めて実際に製作・・・世界初の実用的な機械式時計・・・<を>製作・・・<また、>ホイヘンスの原理<を>提唱<した>。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%9B%E3%82%A4%E3%83%98%E3%83%B3%E3%82%B9
 ホイヘンスの原理については下掲参照。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%82%A4%E3%83%98%E3%83%B3%E3%82%B9%EF%BC%9D%E3%83%95%E3%83%AC%E3%83%8D%E3%83%AB%E3%81%AE%E5%8E%9F%E7%90%86

⇒近代化学の祖はイギリス人のロバート・ボイル(1627〜1691年)、近代物理学の祖はやはりイギリス人のアイザック・ニュートン(1642〜1727年)、という我々の常識で、やはり問題なさそうです。(太田)

 この時期のもう一つの枢要な機械は、印刷機<(注19)>だった。

 (注19)ヨハネス・ゲンズフライシュ・ツール・ラーデン・ツム・グーテンベルク(Johannes Gensfleisch zur Laden zum Gutenberg。1398?〜1468年)が、「ドイツ出身の・・・活版印刷技術の発明者<である。>・・・
 14世紀に<欧州>で初めて作成された木版は<支那>のものとほとんど同じである。このことから「初期の宣教師や旅行者らが中国から<欧州>へ印刷の技術をもたらしたのではないか」と考えられている。・・・なお、東アジアの漢字文化圏では、活字の種類が膨大なものとなるため、活版印刷は定着<しなかった。>・・・
 <その後、欧州>の印刷の中心地はヴェネツィアとなり、ギリシアやローマの古典が印刷されるようにな<り、ルネサンスにつながり、>・・・マルティン・ルターの『95ヶ条の論題』は印刷されたことで広く普及し<、宗教改革につながった>。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%83%8F%E3%83%8D%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%B0%E3%83%BC%E3%83%86%E3%83%B3%E3%83%99%E3%83%AB%E3%82%AF
 ちなみに、「現在、確認出来る世界最古の印刷物<は、日本で764年から770年にかけて印刷された>・・・百万塔陀羅尼<だ>」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BE%E4%B8%87%E5%A1%94%E9%99%80%E7%BE%85%E5%B0%BC
「韓国・慶州の仏国寺で発見された「無垢浄光陀羅尼経」」の方が古いようだ。
 また、高麗で「13世紀の初期に独自の技術による銅活字がいち早く開発され・・・実用化に成功し」ている。
http://www.jfpi.or.jp/printpia/part2_03-03.html

 それは、知的諸コミュニティを創造し、知識の拡散を革命化した。
 そして、諸望遠鏡<(注20)>及び諸顕微鏡<(注21)>は新しい諸世界を開いた。・・・」(A)

 (注20)ナポリの博学者、医師のジャンバッティスタ・デッラ・ポルタが1589年までに発明したようだ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9B%E9%81%A0%E9%8F%A1
 (注21)1590年、オランダの眼鏡製造者サハリアス・ヤンセンらが発明した。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A1%95%E5%BE%AE%E9%8F%A1

⇒活版印刷、望遠鏡、顕微鏡は、珍しく、欧州人が行った大発明であった、ということです。
 なお、「三大発明<とは、>・・・15〜16世紀、<欧州>に大きな社会的変革をもたらした三つの発明。火薬・羅針盤・活版印刷術をさすが、実際にはいずれも<支那>伝来のものを改良・実用化したもの。」
https://kotobank.jp/word/%E4%B8%89%E5%A4%A7%E7%99%BA%E6%98%8E-514121
という理解が一般的ですが、高麗の活版印刷が支那経由で欧州に伝わった形跡はないので、活版印刷についてはあてはまらないのではないでしょうか。(太田)

 「・・・ウートンの長所は、相互連関を作りだすところにある。
 それは、まさに、諸観念の歴史家たる鍵となる資格だ。
 「科学の数学化」の章の中で、彼は、複式簿記(double‐entry bookkeeping)<(注22)>、透視図、解剖(anatomy)<(注23)>、及び、天文学の諸相互連関を描写してみせる。

 (注22)「複式簿記の起源は諸説あるが、ローマ説、12世紀頃のアッバース朝のイスラム商人説がある。その後、複式簿記の仕組みはヴェネツィアやジェノヴァの商人を経てヨーロッパにもたらされた・・・
 複式簿記では1つの取引における取引金額を、取引の原因と結果の観点から借方と貸方に振り分け、それぞれ同一金額を記録してゆくことになる・・・単式簿記よりも手順としては複雑になるが、資金の収支に限らず全体的な財産の状態と損益の状態を把握できるという利点がある。・・・
 複式簿記の起源は諸説あるが・・・確実に遡れるのは1494年にイタリアの商人出身の数学者ルカ・パチョーリ(1445年ごろ〜1517年)によって書かれた「スムマ」(算術・幾何・比及び比例全書)と呼ばれる本の中の「簿記論」である。それは当時行なわれていた簿記についての解説である。その後複式簿記は広く<欧州>で行われた」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A4%87%E5%BC%8F%E7%B0%BF%E8%A8%98
 (注23)「1500年代に入るとボローニャ大学で体系立てた解剖学の研究が始められ、1543年、[ブリュッセル生まれでパドヴァ大学の]アンドレアス・ヴェサリウスは実際に解剖して見たものを詳細に著した“De humani corporis fabrica”(人体の構造)を出版し、近代解剖学の基礎を築いた。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A7%A3%E5%89%96%E5%AD%A6
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AC%E3%82%A2%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%82%B5%E3%83%AA%E3%82%A6%E3%82%B9 ([]内)

⇒透視図や複式簿記や解剖の復活は、「古典古代(ギリシア、ローマ)の文化を復興しようとする文化運動であ<った>」ルネサンスの一環としてイタリアで始まったところ、それが欧州の他の地域ではなくイタリアであったのは、地中海貿易で北イタリアの諸都市が繁栄したことによってルネサンスのための資金が潤沢であったこと、イタリアは古代ローマ帝国の本拠で古代の遺物が多く残っていて、彫刻家、建築家らはこれらから直接学ぶことができたこと、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%83%8D%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%82%B9
そして、以下は私見ですが、それらに加えて、(スペイン同様、)(イスラム圏との貿易を通じてのほか、)南部に(古典ギリシャや古代ローマ文化、更には支那文化を取り入れていたところの)イスラム教徒ないしイスラム文化が長く残っていたこと、もあげられると思います。
 いずれにせよ、(透視図や複式簿記や解剖の復活を含む)ルネサンスなるものは、あくまでも、1000年以上も前の古典古代の文化の復活・改善の域を出るものではないのであって、ルネサンス自体は、近代ではなく、古典古代の一環ないし延長、と位置付けられるべきでしょう。
 以前から何度もご披露している私見ですが、近代は、あくまでもイギリスに始まった、というより、イギリスそのものが、どこまで遡っても、(より正確には、アングロサクソン諸王国成立時まで遡っても、)近代そのものなのです。(太田)

(続く)