太田述正コラム#7924(2015.9.21)
<現代の怪物キッシンジャー(その5)>(2016.1.6公開)

 (4)グランディン批判

「・・・しかし、もちろん、キッシンジャー<の活躍>より前からその他の諸戦争や諸紛争はあった。
 仮に米国人達が、アメリカ原住諸部族との間で調印した諸条約は言うに及ばず、他者達の主権や諸国境の尊厳について良心的(scrupulous)であったならば、北アメリカ大陸内の米国領の多くは、いまだに他者達の手中にあったことだろう。
 そして、それとまさに並行して、1923年に生まれたキッシンジャーよりはるか前から、ハイチ、パナマ、そしてドミニカ共和国といった、小さな問題ない(unoffending)諸国に対する諸侵攻が行われてきていた。
 キッシンジャーは波に乗ったかもしれないけれど、彼が波を起こしたわけではないのだ。・・・」(A)

⇒この批判は中っており、まことにもってその通りです。(太田)

 「・・・この本の二番目の主要な主張は、キッシンジャーは、一般には認められていないが、そのネオコン諸変種を含むところの、近代的な新右派の知的諸先祖の一人である、というものだ。
 一見したところ、そうは見えない。
 結局のところ、キッシンジャーは、国際問題に関して、<右派とは違って、>公然と(avowedly)道徳を気にしない(amoral)アプローチをとってきたのだから・・。・・・
 私は、キッシンジャーは、グランディンが認めるよりも、もっと、現実政治(realpolitik)についての古典的な理解に綱で繋がれていた(techered)と思う。・・・」(B)

⇒ここも中っています。
 ここでも、ファーガソンの本の前出の書評から引用しましょう。
 「キッシンジャーの半生は、価値から自由な圏内(value-free zone)のものではない。
 というのも、彼は、マッキアヴェッリ(Machiavelli)よりは、スピノザ(Spinoza)とカント(Kant)によってより形成されたことは明確だからだ。・・・
 ファーガソンは、キッシンジャーが究極的な実際的な現実主義者(pragmatic realist)であって、自分達の諸観念がその諸行動を形成し満たしている人々とは対蹠的であるとの一般的な見方に抗する主張を、とりわけ説得力ある形で行っている。・・・
 ファーガソンに言わせれば、キッシンジャーは、カントの人間性についての現実主義、及び、バーク(Burke)の歴史の諸力への敬意、によって大きな影響を受けた(moulded)のだ。」
http://www.ft.com/intl/cms/s/0/0a69b8b8-5c73-11e5-9846-de406ccb37f2.html 前掲(太田)

 「・・・主要諸強国に関しては、キッシンジャーは、和平実現(peacemaking)の諸正当化(justifications)を見つけることができ、現に彼はそうした。
 共産主義支那との外交関係の樹立への助力、中東での彼のシャトル外交、ソ連との二つの主要軍備管理諸協定の交渉、そして、より大きなデタントの政策の指揮(spearheading)、がそうだ。
 キッシンジャーの凝視の下で最もひどい目にあった(suffered)のは、諸大国ではなく、全球全域の取るに足らない(marginal)諸国だった。
 結果論だが、ほんのいくつかの例をあげれば、チリ、(当時インドネシアの一部だった)東ティモール、(当時東パキスタンだった)バングラデシュ、ベトナム、カンボディアとラオス、において、彼が許(countenance)した瀉血は不必要だった(gratuitous)。・・・」(B)

⇒私が既に示唆したように、キッシンジャーは、彼が政府内にあった時、その時点での米国の(既に戦後直後に比べて相対的に下降していた)国力に見合ったところの、米国の国益だけを考えたところの、取り得る最大限の対外政策を追求しただけのことなのであり、ここでも、この書評子のグランディン評には首肯できます。
 問題は、キッシンジャーが、過剰適応者として、米国の国益だけを考えたことと、そのこととも関連し、「取り得る最大限の対外政策を追求」した、つまりは、短期的な米国の国益だけを考えた、ことにある、というのが私の考えです。(太田)

3 キッシンジャーの唯一の功績?

 またまた、ファーガソン本の書評からの引用を枕に、表記の観点から、このシリーズの中締めをしたいと思います。
 「キッシンジャーが、最初に悪名高くなったのは、核戦争(warfare)の戦術に関する彼の諸著作を通じてだった。
 それらは、彼に、ドクター・ストレンジ・ラブ(Dr Strangelove)<(注14)>という不当な(unjust)評判を残した。・・・

 (注14)キューブリック監督の映画『『博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか(Dr. Strangelove or: How I Learned to Stop Worrying and Love the Bomb)』(1963年制作・1964年公開)の主人公。「大統領科学顧問。ドイツから米国に帰化したという人物。・・・何度も大統領を総統と呼び間違え、・・・緊急事態にも関わらずに終始一貫して恐れを見せず、むしろ楽しげに自論を披露する。・・・モデルには、『水爆戦争論』を書いた軍事理論家ハーマン・カーン、宇宙ロケット研究者でV2ロケットを開発し、後にはアポロ計画のロケット開発を主導した科学者ヴェルナー・フォン・ブラウン、あるいは髪がウェーブし、右足が革の義足だったことからエドワード・テラー、車椅子に乗っていたことからジョン・フォン・ノイマンといった水爆の開発者、ロバート・マクナマラ(彼のミドルネームはStrange)などと諸説ある。容姿や訛りが似ていることからヘンリー・キッシンジャーがモデルとの指摘も多いが、この役を演じたピーター・セラーズ及びキューブリック監督はこれをことあるごとに否定し、2人ともキッシンジャーを見たこともなかったという。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%9A%E5%A3%AB%E3%81%AE%E7%95%B0%E5%B8%B8%E3%81%AA%E6%84%9B%E6%83%85_%E3%81%BE%E3%81%9F%E3%81%AF%E7%A7%81%E3%81%AF%E5%A6%82%E4%BD%95%E3%81%AB%E3%81%97%E3%81%A6%E5%BF%83%E9%85%8D%E3%81%99%E3%82%8B%E3%81%AE%E3%82%92%E6%AD%A2%E3%82%81%E3%81%A6%E6%B0%B4%E7%88%86%E3%82%92%E6%84%9B%E3%81%99%E3%82%8B%E3%82%88%E3%81%86%E3%81%AB%E3%81%AA%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%81%8B

 キッシンジャーは、個々の脅威は、それぞれ適切な水準でもって対処されなければならない、と主張した。小さな脅威に対する返答は小さな核装置たりうる、と。

⇒もう少し敷衍すれば、「[戦略]核兵器はあまりに威力が大きすぎ、キッシンジャーが指摘するところによると、相手国を全面戦争へと巻き込むという脅し以上に使用できないのである。ここに[戦略]核兵器によって互いの戦力が制限された戦争、すなわち制限戦争(限定戦争とも)の概念が生まれた。また、制限戦争下では[戦術核兵器のほか、]通常兵器もまた必要であることが示された」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A0%B8%E6%88%A6%E7%95%A5
http://www.ipcs.org/books-review/nuclear/nuclear-weapons-and-foreign-policy-259.html ([]内)
というわけであり、戦術核兵器の意義をキッシンジャーが強調したことは、(彼自身に果してそういう認識があったかはともかく、NATO正面よりも、東アジア正面、とりわけ日本列島正面において大きな意味を持った、と私自身は考えています。
 何となれば、渡洋攻撃を決行しつつある勢力に対する戦術核兵器の海上での使用は、エスカレートの危険の最も少なく、かつ、最もコラテラルダメージが少なく、かつ、最も効果的な核使用であるところ、米国がかかる形での戦術核使用を考えている可能性がキッシンジャーのおかげで現実化したことによって、日本は、(弾道弾による核攻撃を除き、)史上初めて領域的脅威から解放されるに至ったからです。(太田)

 <ちなみに、>近年においては、キッシンジャーは、他の元の米外交政策及び安全保障官吏達に加わり、全核兵器群の撤廃を始めることを擁護するに至っている。」
http://www.ft.com/intl/cms/s/0/0a69b8b8-5c73-11e5-9846-de406ccb37f2.html 前掲

⇒これだけ核保有国が増えてきてしまった以上、事故ないしは偶発による核爆発ないし核戦争の危険性が増大しており、核兵器廃棄を、オバマ大統領を含め、米国の指導層の相当部分が唱えるに至ったのは、当然でしょう。(太田)

4 終わりに

 結局、キッシンジャーの、政府内に入ってから以降の功績はマイナスだが、それ以前の学者時代の功績は、少なくとも日本人の立場からすると、少しはあった、といったところでしょうか。

(完)