太田述正コラム#7920(2015.9.19)
<現代の怪物キッシンジャー(その3)>(2016.1.4公開)

 ・ネオコンのゴッドファーザー

 「・・・グランディンの言上によれば、キッシンジャーは、今日のネオコンのゴッドファーザーなのであって、彼は、「ネオコンの恒久戦争という急進的なヴィジョンが世界の諸問題の多くにとっての妥当な(reasonable)選択肢であるかのように見せた、のだ。」・・・」(C)

 「・・・「新右派(New Right)」<(注9)>は、キッシンジャーを攻撃することで頭をもたげてきたが、それと同時に、彼ら・・ディック・チェニー(Dick Cheney)<(コラム#756、1498、1604、2051、2052、3981、4095、4723、7365)>、ポール・ウォルフォヴィッツ(Paul Wolfowitz)<(コラム#1154、1498、1568、1616、1731、1744、1747、1772、4374)>、ドナルド・ラムズフェルト(Donald Rumsfeld)<(コラム#1189、1497、1616、2037、2960、2964、3574、4095、4374、4801、6031)>・・は、キッシンジャーと、全ての形而上学的権力欲(metaphysical will-to-power)、すなわち、政治家は情報によって罠にかけられることがあるのであって、彼らはむしろ行動しなければならず、行動することが現実を創り出す、という観念、でもって世界について考える点で、強い類似性を有している。・・・」(E)

 (注9)新右派は2つあるが、双方とも、ロックフェラー共和党員達(Rockefeller Republicans)<(後出)>、及び、反軍事介入主義(non-interventionism)、を抱懐するところの旧右派(Old Right)、に反対の立場。
 第一の新右派(1955〜64年)は、リバタリアン達、伝統主義者達(traditionalists)、反共主義者達、を中心とする人々であり、1964年の(自身もこの新右派であった)バリー・ゴールドウォーター(Barry Goldwater)共和党大統領候補の選挙運動期間中に最高潮に達した。
 第二の新右派(1964年〜現在)は、社会諸問題や国家主権問題に関心が強く、宗教右派(Religious Right)としばしば連携する人々であり、1980年の大統領選挙で(自身もこの新右派であった)レーガンを当選させた。
https://en.wikipedia.org/wiki/New_Right

⇒ウォルフォヴィッツらは(反スターリン主義左翼から右翼へと「転向」し、民主主義の普及と米国益の追求のために軍事力の行使を辞さない)ネオコンであって、活躍時期がブッシュ父政権時代以降であることもあり、
https://en.wikipedia.org/wiki/Neoconservatism
新右派ではないと言うべきか、或いは、第三の新右派とでも言うべきか、悩ましいところですが、グランディンには悩んでいる様子がないのが不思議です。(太田)

 (3)キッシンジャー、その人物と「思想」

 「・・・キッシンジャーが、諸事実を操作したり創り出したりしたこと、そして、彼が擁護した諸政策の結果が詮索された場合にはそれら<(操作や創出)>を否定もしたこと、を否定するのは困難だ。
 例えば、彼は、1970年から73年にかけての米国によるカンボディアを荒廃化した諸行動、と、1975年におけるポルポト(Pol Pot)の同国におけるジェノサイド的指導者としての興隆、との間に関連(connection)などない、とする。・・・
 グランディンによる、究極的な政治的カメレオンたるキッシンジャーの弁護はより強力だ。
 彼は、政治において、リベラルな共和党員たるネルソン・ロックフェラー(Nelson Rockefeller)<(注10)>を支援したり、時々は民主党諸政権の顧問をすることで、政治と関わり始めた。

 (注10)1908〜79年。ニューヨーク州知事(1959〜73年)及びフォード大統領の時の副大統領。1960年、1964年、1968年の三度にわたって共和党の大統領候補指名を模索したがいずれの場合も失敗。「彼のように社会政策に関してはリベラルで、他の問題ではおおむね他の党員と見解を一にする共和党員を「ロックフェラー・<共和党員>」と呼んだ。」ダートマス大卒。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8D%E3%83%AB%E3%82%BD%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%A9%E3%83%BC

 しかし、1968年には、空気(tealeaves)を読み、彼が当初危険で大統領たる資格はないと信じたところの、リチャード・ニクソンに賭けたのだ。・・・」(A)

 「・・・<また、>グランディンは、キッシンジャー崇拝者達が、キッシンジャーが「ソ連とのデタント、共産主義支那の開国、ソ連政府との軍備管理諸条約の交渉、そして、彼による中東におけるシャトル外交」において責任を果たした(responsible)、と言及することに理解を示す。

⇒1960年代末からの米ソデタントは、米国の力の相対的衰亡という背景の下、ソ連を始めとする東側諸国が、食糧自給が不可能になったことに伴って、米加等からの食料輸入が必要になったことにより、ソ連主導で実現したものです
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B1%B3%E3%82%BD%E3%83%87%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%83%88
し、中共の対米開国もまた、同じ背景の下、中共側主導で実現したものです(コラム#7905)から、この二つをニクソン政権の功績と評価することすら困難であるところ、キッシンジャーの功績などでは全くないでしょう。
 また、「中東におけるシャトル外交」とは、1973年の第四次中東戦争の停戦へのニクソン政権の関与を指しているのでしょうが、国家安全保障担当補佐官から国務長官に転じてから間もないキッシンジャーが、若干エジプト側に花を持たせる形で停戦成立を仲介した、というか、仲介できたのは、イスラエルが米国の軍事的支援に大幅に依存している状況下で、エジプトをソ連から米国寄りに転換させる目的を達成したかった、という背景
https://en.wikipedia.org/wiki/Henry_Kissinger 前掲
を考えれば、誰がやっても同じような結果になっていたことでしょう。
 結局、キッシンジャーが米政府内にあった時に、米国の戦後史に残した功績など無に等しい、と言うべきでしょう。(太田)

 しかし、この良く調査された本の大半は、トルーマン時代の対ソ封じ込め政策に対するキッシンジャーの軽蔑、及び、軍事力に関しては、「行動が可能であることを示すために不作為は避けなければならない」、との信条、についての諸宣明に焦点をあてている。・・・
 1975年に、キッシンジャーは、インドネシアの指導者のスハルト(Suharto)による東チモール侵攻計画を承認した。
 この行動は、102,800人のチモール人の死をもたらした。
 <更に、>彼は、南アフリカに対する政策を、「白人至上主義諸国家たる南アフリカとローデシアとの紐帯を強化する」目的で遂行した。
 そして、彼は、イラクが9.11同時多発テロに関与していたか否かに関わらず、サダム・フセイン(Saddam Hussein)に対する力ずくの軍事行動を擁護した。・・・」(C)

(続く)